TURKEY

08年トルコツアー記録パムッカレ

トルコツアーマップmap3

時 期・期間・旅行の種類
2008年5月25日(日)〜6月1日(日)・ツアー
目的地・目的
中世や初期キリスト教美術をイスタンブールで見た いと計画し始めたが、個人旅行では、言葉が通じそうもないので不安になり、エフェソスやカッパドキアのキリスト教美術にも行ってみたくなり、いくつかのツ アーからこのツアーを選んだ。
印象・おすすめポイント
カイマルクの地下都市やギョレメ、パムッカレだけ でなく、エフェソス、ベルガモンもアヤソフィアと同様に思いの外良かった。素朴な初期キリスト教美術や古代遺跡もローマと違い、自然の中にあり風景に溶け 込んでいるのが良い。ダーダネルス海峡やボスポラス海峡を渡る船旅も天気にも恵まれ良かった。ホテルもいつもなら絶対泊まらないようなホテルで快適だっ た。ツアー客が私を含めても5人。現地ガイドと添乗員の7人で小回りが利いたし希望も聞いてくれ、ツアーらしくないツアーだったことも幸いした。


行き先
宿泊地
5月25日(日) 1日目
移動日
カッパドキア
5月26日(月) 2日目
カッパドキア(カイマルク、ギョレメ
コンヤ
5月27日(火) 3日目
コンヤ、パムッカレ、ヒエラポリス
パムッカレ
5月28日(水) 4日目
エフェソス、ベルガモン
アイワルク
5月29日(木) 5日目
トロイ、ダーダネルス海峡
イスタンブール
5月30日(金) 6日目
ブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ
イスタンブール
5月31日(土) 7日目
ボスポラス海峡、イスタンブール、移動

6月1日(日)    8日目
移動日


当初、イスタンブールの中世や初期キリスト教、ビザンチン美術を見る旅を計画し情報を集めだしたが、
個人で歩き回るには余程英語でもできないと無理そう、という結論に。イスタンブールだけの
ツアーもあることはあるが、私の行きたいところには寄らない。どうせなら、
他の行きたいところを含むツアーから選ぼうとこのツアーに
なった。団体ツアーは好きではないが、結果
として少人数で気さくな方ばかり。
添乗員も小回りを利かせ
てくれたツアーに。

  *トルコツアーの写真はGALLERIA にあります。HPのトップからご覧ください。

  5月25日(日) 1日目  移動日

成田12:50 TK005便–19:40イスタンブール空港着−24:00発 TK266便−25:30カイセリ空港着―バスーネヴシェヒル・ホ テルチェックイン26:00 −27:00就寝

 

イ スタンブールからの国内線が遅れカッパドキアのホテルに着いた時にはくたくた。どこをどう走っているのか深夜でわからず。5つ★ホテルも意味がない。トル コの通貨はトルコリラで、1リラが90円くらい。両替したリラから円に戻すのは大変とのことで、2人で2万円分を交換した。枕銭、トイレ、食事の飲み物 代、途中の買い食いで1週間分としては十分。使い切ることを考えながら使った。
 

5 月26日(月) 2日目 (現地1日目) カッパドキア
 

9:40出発〜10:00 ウ チヒサール〜個人の洞窟住宅でお茶〜10:30出発10:40じゅうたん屋12:30発〜12:50ギョ レメ野外博物館13:50発〜13:55洞窟レストラン(昼食)15:10発〜15:15ゼ ルベの谷(徒歩)〜15:55マ ラシュ〜16:30カ イマルクの地下都市17:20発〜(バス3時間)〜20:10コンヤ・ホテル着〜スーパー

カッ パドキアとは一帯のことらしく、いくつかの奇岩の渓谷や洞窟遺跡からなっている広いエリアらしい。荒れた野原のようなところから、岩山の近くに行く。カッパドキア洞窟住居vt12ま ず、ウチヒサールというところで下車。三角の岩山に洞窟を掘った住居のある一帯。現在も住んでいるのはわずからしい。鳩が巣をつくっている。さすがに、他 ではみたこともない景観。エルジェス山の噴火の後、火山灰と溶岩が風雨で侵食されこうした景観を生んだらしい。紀元前のヒッタイト族の交易ルートとして栄 え、4世紀にキリスト教の修道士が洞窟を掘り住み始めた。現在は、レストランになっている洞窟住居が多い。

洞 窟住居に住む一般のトルコの家庭を訪問する。トルコのお茶、チャイをごちそうになる。1階に家畜、2階に台所と居間・客間、3階が寝室というのが、洞窟住 居に限らず、トルコの住宅のよう。但し、洞窟住居では、内階段はなく、いちいち外階段を使う。風呂は隣りの洞窟住居。じゅうたんが重要な家財で、床一面に 敷き詰めている。壁にかけているのは、奥さん自慢の手織りじゅうたん。

ギョレメ野外博物館
ギョレメ屋外博物館vt16やっ と出発し、ギョレメ野外博物館にいく。ギョレメの谷には30以上の岩窟教会があり、壁画の残っているところも多い。有名なものは、大体が12、13世紀に 描かれたもののようだ。残っている壁画も目が削られているが、これで、目が治ると信じられたため。目以外の破壊は、後にイスラムにより削られた。リンゴの 木教会、洞窟内食堂、サンタ・バーバラ教会、ヘビの教会、サンダルの教洞窟壁画vt14会などには入る。一番有名な暗闇の教会には入らず、通り過ぎられた。残念。

昼食後、ゼルベの谷にいく。 谷底に いかず。手前の台地でバスをおり、散歩する。気持ちがいい。火山台地を歩いていくと、ゼルベの谷を見下ろす丘にでた。そこから急坂を下り、谷底の奇岩を見 て廻る。ここも洞窟住居や教会があるらしいが、1箇所入っただけ。急がされ、バスにのりカイマルクへ。車窓の眺めも新鮮。岩山を遠望しながら台地を行くという

地下都市
カ イマルクの地下都市の3階まで下るせまい迷路のようなコースに入る。観光客で数珠つなぎのとカイマルク地下都市vt8ころもある。紀元前400年ころから存在。アラブから逃れたキ リスト教徒が外部から知られずに住んだ都市と言われている。カイマルクは2万人が住んだといわれ、家畜部屋、換気装置、厨房、教会などが残っている。井戸 や進入路をふさぐ丸石などもある。隣の町までの10Kmの地下通路もあるという。よく整備されている。天井が低いが。今日泊まるコンヤへ移動。車窓は畑。来る前の
イメージと違い進んだ農業国の印象に。

コ ンヤは近代的な大都市だ。ホテルにすぐに入る。夕食の前後に、ホテルの周囲を見に大通りに出た。広い道の向かいに大型のスーパーを発見。商品が多く、豊 かに見える。夕食はホテルの食堂だったが、地元の大家族の宴会の脇の席でにぎやかというより騒がしくて食事にならない。そうそうに引き上げた。コンヤはイ スラム色の非常に厳格な都 市らしい。夜明け前の4時過ぎに、ミナレットからの大音響、お祈りの声で目が覚めてしまった。

  5月27日(金) 3日目 (現地2日目)コンヤ →パムッカレ

8:30出発〜8:40イ ンジェ・ミナーレ神学校博物館9:10〜9:15メ ブラーナ博物館10:10発〜(パムッカレへバス 5時間)12:10昼食13:15発〜15: 20休憩〜17:00パ ムッカレ着―(徒歩)−17:45ヒ エラポリスー (徒歩)−パ ムッカレ石灰棚 19:00発〜ホテル着19:30夕食 20:40温水プール 

コンヤ市内
イ ンジェ・ミナーレ神学校博物館にいく。13世紀に建てられた建物。ミナレットは落雷のため、当初の3分の1の高さしかないとのこと。アラビア文字の装飾、ミナインジェミナーレvt19レッ ト側面の装飾はセルジュークトルコの様式で、落ち着いて美しい。現在は、イスラム関係の木彫と石彫の博物館になっている。簡素ながら美しいドームと内装。 展示されているのは、細かい彫刻のドアや窓、石棺など。

街 にはバスの他、市電のような電車が走っている。公園が多いのか緑も多く、人通りも多いエリア。見学するところから次へもバス移動なので街歩きという感じで はないのがさみしい。次に、コンヤの有名な見学場所、メブラーナ博物館に。回転し踊るイスラム教の神秘主義の一派、メブレヴィー教団の創始者、メブラーナ の霊廟を博物館にしている。内部は、撮影禁止。土足厳禁。

13 世紀に建てられ、外部はスレイマン大帝に寄進された建築。1925年アタチュルクにより、教団が解散させられ霊廟を博物館とした。内部は豪華。土葬のため、 盛り土にさらに様々な装飾がされている。 美しい。古文書もキリスト教の手書き彩色写本のよう精密さ。セルジューク時代、オスマン朝時代の工芸品、宝物、 着物、コーラン、じゅうたんなどが展示されている。

パムッカレ
10 時過ぎには、コンヤを出発。5時間のパムッカレへのバス移動。トルコのイメージが変わる。なんとなく山国のイメージだったが農業国のイメージになっパムッカレvt1てく る。トルコ第2の平野部をぬける。麦畑や果樹の畑が美しい。また、羊や牛の放牧もかしこで見られる。道路沿いに、果物や野菜を売る産直店のようなテント小 屋も見かける。風景は見飽きない。白い花畑はモルヒネを作るアヘンという。途中休憩のドライブインでヨーグルトの蜂蜜がけを食べる。美味。ヨーグルトはク リームチーズのように固めで、蜂蜜はトルコの名産の一つ。

17: 00やっとパムッカレに着く。まだまだ明るい。よく紹介されるパムッカレ一帯へのゲートが設けられ、チケット売り場になっている。大型の観光バスがたくさん連な り、人が多い。日差しが強く暑い。最初に、石灰棚に行くのかと思ったら、石灰棚を左にみながら、古代ローマの遺跡であるヒエラポリスを散策する。紀元前 190年 ベルガモン王国のエウメネスによって作られた都市。ローマ、ビザンチンと栄えたが、セルジューク朝に滅ぼされた。メインの通りらしい遺跡の中の 通りを歩く。ハドリアヌス帝に建てられた紀元前2世紀のローマ劇場を右に見て、北ビザンツ門を抜けたところまで散歩して、引き返した。ドミアンテ門の先は ネクロポリス(古代墓地)。家型墳墓も見られる。観光客は石灰棚の回りにだけたまっていてこちらの遺跡群のほうには観光客は全くいない。

石 灰棚の中でいくつか仕切られていて、人が入れるところ入らせないところがある。大勢いる棚の脇で休憩。30分だけ靴をぬいで、歩いて入る。人が多い。ここ はもう白くなく茶色の汚れがこびりついている。靴を脱がないで入る観光客が後をたたず、警笛を鳴らされている。これだけの人間がはいれば、石灰棚もこわ れ、汚れるはずだ。今は、水量を調節して、時間で水をいれる棚を変えているとのこと。写真で見られるきれいなところは全体のほんの一部でしかない。

テレビで紹介されるパムッカレは白い 石灰棚が棚田のように水をたたえているが、この調子ではいつまでもつか。人を中に入れなければいいのに。
今日のホテルは石灰棚から下った下側のわりと近い高級リゾートホテル。温水プールがあるので、水着をきて入ることができた。塩分の濃い温泉だ。海外で初めて温泉に入ったのが トルコとは。イタリアでは横目にみてまだ行っていない。夕食と寝るだけなので、こんな高級リゾートホテルでなくていいのだが。夕食はツアー用でまあまあ、といったところ。



 5月28日(水) 4日目 (現地3日目)エフェソス、ベルガマ、アイワルク

7:30出発〜(バスで約3時間) 〜10:00革屋10:45出発〜10:50エ フェソス遺跡着 〜(徒歩)〜クレテス通り〜永遠の火〜ドミティアヌス神殿 〜 ニケ〜ヘラクレスの門〜医者の像〜トラヤヌス帝の泉〜スコラスティカのハマス〜娼館 〜ハ ドリアヌス帝の神殿 (メデューサ、アーテキテベレのレリーフ)(キベラ・アルテミス・聖母マリア)〜トイレ〜ケルスス図書館 〜ローマ・テアトロ  〜12:50出発〜 (バス) 〜13:00昼食レストラン13:40出発 〜 (バス2時間30分) 〜16:10ベ ルガマ着 〜入口(徒歩) 〜トラヤヌス神殿 ・テアトロ・ゼウス神殿〜17:10出発 〜  17:20 トルコ石屋 18:00出発〜アイワルク・ホテル着18:50 〜ホテル散歩

エフェソス遺跡群
添 乗員さんもやりにくかったと思う。5人しかいないお客、しかもお土産をたくさん買うタイプでない若い人間だけをお土産屋に連れていかなくっちゃいけないんだから。5人とも連れていかれる店にはほとんど興味がな い人間ばかり。皮屋では、ものは確かにいいので気に入ったものがあれば、と少しは期待したのだがデザインが全く趣味違い。おまけにファッションショーエフェソス・図書館vt20の真似 事までさせられて。

やっ と10:50エフェソス遺跡の入口に着く。車はここまで。エフェソス遺跡は、紀元前2世紀から紀元後2世紀前後のものといわれる。ローマ時代に拡張されて きた。天気が良すぎる。日差しが熱い。メインの遺跡の通りにはものすごい数の観光客。エーゲ海に留めた大型客船で大人数の客が来ていて一緒になってしまっ た。

上 のアゴラ (市場と訳されたが広場)から オデオン(音楽堂)、市の公会堂跡・永遠の火がともされた。ヘラクレスの門。  ニケのレリーフは、この門の アーチの一部だった。 スコラティカの浴場。(1世紀のものが4世紀の地震で崩壊し、スコラティカが再建した)。ハドリアヌス神殿。ティケ、メデューサの レリーフがある。これは、レプリカ。古代の知識はほとんどないので、ガイドさんの説明をしっかり聞くふりをする。それでも1700年以上前のものが存在す るのだから遺跡とはいえものすごい。建築や街づくりPLANとか技術はそれほど進化していないように思う。むしろ彫刻や装飾は素晴らしく思える。公衆ト イレ、 娼館の跡。ケルスス図書館。一番修復されている。この図書館の4つの女性像もレプリカらしい。古代は知識自体が大いなる財産であり権力と結びついていた。

中世はそれを修道院や教会が囲いこん でいた。さらに歩くとマーブル通り。名前のとおり大理石の大通り。娼館の広告が床に彫られていて、これが世界最古の広告という。最後は古代ローマの劇場跡 だ。行きたかった聖母マリア教会を遠目にみるだけで、通り過ぎられてしまって残念。

ベルガマ遺跡群
ベルガマ遺跡アクロポリスvt5エ フェソスを12:50出発し昼食に。 ここからバス2時間30分かけて、ベルガマに行く。16:10ベルガマのペルガモン遺跡の入口に到着。アレキサン ダー大王の死後にペルガモン王国が始まり、遺跡は広範囲に散らばっているが、ここはその一つアクロポリスで低い山の上に広がっている。ローマの属州になっ た後も繁栄した。その後アラブの攻撃をうけ没落。バスから降ろされ、入口から坂を上ると結構な高台になる。コリント式の列柱をもつ、トラヤヌス帝の神殿。  エジプトのアレキサンドリア図書館に対抗して作った図書館、などの遺跡が点在している。パピルスの輸出を禁止したエジプトに、エウメネス2世が羊皮紙を発 明したと言われる。斜面を生かした劇場跡。 ゼウス神殿などがたたずむ。ナチスドイツが美しいレリーフの神殿をドイツに持って行ってたらしく今はドイツに あるらしい。17:00閉館で追い出される。17:10発。

18: 50分ハリッチパークホテルに到着。海の中道のような通りを行く高級くリゾートホテルだ。周りは浅そうで、まだ泳いでいる人がいる。高級リゾートらしく庭も 整理され、プライベートビーチもいい雰囲気。荷物を置き、夕景の海を眺めながらホテルの周囲を散歩する。こういうホテルに1泊だけというのはどうなの?


5月29日(木) 5日目 (現地4日目) トロイ ・ イスタンブール 

7:45出発〜(バスで2時間30 分)10:30  トロイ遺跡 11:30出発〜12:15ラクセ港 〜12:30発 (フェリー・ダー ダネルス海峡 )〜13:00ゲリポリ港〜13:10昼食〜13:55 〜(バスでイスタンブール まで5時間)〜15:40 テキルダーで休憩16:05発〜1930 イスタンブール市内 〜 20:50ホテル・コンラッド着〜21:40 散歩 

トロイ遺跡
トロイ遺跡vt23ホメロス、シュリーマンで有名なトロイへいく。アイワルクからバスで約2時間30分。遺跡の入口の 木馬は15年に1度建替えるそうで、現在のものは3カ月前に作られた出来立て。 遺跡の中の木馬を運び入れたといわれる斜面の遺跡からするとこれほど大き くはないと思うが。

トロイは紀元前3000年から幾層に もわたり同じところに建造物が作られていたことがわかっている。はっきり地層状に9層になっている発掘場所もある。今も発掘はつづいているが、夏の3ヶ月 しか行わないので、少しづつしか進んでいない。まだ、中途半端な荒地のような印象。

最初にU期の壁とW期の壁というとこ ろを通る。さらに進むとアテネ神殿。 エフェソスやベルガマのように遺跡が整備されていないので、全体の形がイメージしにくい。荒地の中の土塁を巡ってい る感じ。遺跡の入り口に戻ってきた。

11: 30出発。ここからは、今日はイスタンブールまでいく。バスとフェリーで5時間。車窓から、左側にはエーゲ海が見え隠れするようになる。ラクセという桟橋 の街につきバスに乗ったままフェリーに。バスから降りてデッキに上ったり上部甲板にでたりして海峡を眺める。風がフェリーにとって向かい風の北風で、晴れ ている割に冷たい。キオスクのような売店がある喫茶室にいく。アジア側からヨーロッパ側へダーダネルス海峡を渡る。ダーダネルス海峡は、マルマラダーダネルス海峡vt11海とエー ゲ海をつなぐ。

ゲ リポリ港で降り、そのまま近くのレストランで昼食。ピスタチオ屋がたむろしている。バスに乗り、イスタンブールへ。あちこちにモスクと塔が見られるように なってきた。思えば、あんまりアジア側では見かけなかった。はじめは農地だった景色が徐々に住宅が増えてきた。イスタンブール市街に入ったら大都会だ。車 が多く、渋滞。ドライバーさんの運転技術はすごい。渋滞の中を少しづつ割り込んでいく。やっと21時前にコンラッドに着く。五つ星の高級ホテルだ。残念ながら団 体用のレストラン、普通の部屋と高そうなレストランや宿泊階とはっきりわかる区別がある。これなら別にコンラッドでなくてもいいのに。ガイドさんからは、 夜はそれほど安全ではないので出ないほうがいい、と言われたが、表通りだけでもと散歩に出た。ホテルが奥まったところにあるので表通りに出るまでも多少不 安になる。このあたりは開いている店はすくなく、マクドナルドなど見たことのあるチェーン店だけだ。1周してすぐにホテルに戻る。

5 月30日(金) 6日目 (現地5日目) イスタンブール市内

9:00出発〜9:35ト プカプ宮殿―11:00 ハー レム―12:15宝物館前集合12:40出発 〜昼食〜14:00ア ヤソフィア〜徒歩〜15:20地 下宮殿ブ ルーモスク〜16:55グ ランド・バザール−自由散歩―18:00〜ホテルへ19:00。 20:00ホテル発−20:40ベリーダンスディナーショー  〜22: 50ホテル着。


トプカプ宮殿
トプカプ・ハーレムvt17ト プカプ宮殿は、1453年にコンスタンチノープルを陥落させたオスマントルコのメフメト2世が1460年代に、金閣湾とボスポラス海峡を見渡す要衝の地に 着工した。70万uの広さをもつ宮殿。宮殿の入り口は第一から第三の門と厳重にチェックされるようになっている。第2の門の中にハーレムと陶磁器コレク ションを展示してある厨房などが並ぶ。さらに奥の第3の門の内側に謁見の間、宝物館、などがある。

建 物の装飾は、タイル装飾。タイル装飾は近くで見ると美しいが、全体でみると平板に見える。アルハンブラ宮殿のような緻密さは感じられない。謁見の間には、 スルタンが奥から覗く、王の目が残る。ハーレムは装飾タイルが見もの。30分のフリータイムで、第4の庭園のマルマラ海への眺望と、金閣湾側の眺望、宝物 館と別棟の宝物館を見る。駆け足でみたが、宝物館は、スプーンのダイヤモンドしか記憶にない。別の宝物館では、聖遺物としてマホメットのひげがあるが、最 初、どこか分からなかった。ガイドさんに後で帰り際に教えてもらった。


アヤソフィア
アヤソフィアvt4イ スタンブールに来ようと思ったのはアヤソフィアを見たかったから。やっと目的のものが見られる。同じドームでも外観はやや平らに見えるが、巨大。最初の教 会は325年コンスタンチヌス1世の時代に着工され360年のコンスタンチヌス2世の時完成。その後焼失し、537年ユスティアヌス皇帝によりビザンチン 様式で完成させた。ビザンチン帝国が終わるまで、ギリシャ正教の大本山として存在した。モスクへの入り口は正面でなく左脇に回り込んだところにあった。

1454 年にコンスタンチノープルが陥落しメフメト2世によりイスラムのジャーミィに変えられ、もとのモザイクは漆喰で塗りつぶされてしまった。1931年に壁の 中のモザイクが発見され、ビザンツ時代の遺跡として、初代大統領アタチュルクが、アヤソフィアを博物館としたもの。内部は天井が高い。中世のゴシック教会 と違い身廊のように高い柱がなく広い空間のまま天井まで見えるので、開放的アヤソフィアモザイク壁画vt2ではあるがだだっ広いというのが第一印象。外周の2階に上ると損傷が激しいが、 2階の回廊などにモザイクの一部が残る。1階入口の柱は、緑がアルテミスの神殿から、茶色がエジプトから、白はアルステ海からのもってきたもの。同様に 化粧大理石も高級な素材を使っている。

2階回廊には、ユスティアヌス帝の マークや知と地獄のドアと呼ばれる仕切りなども残る。マリアの手形という柱。手が360度まわれば子宝に恵まれるという伝説があり、磨り減っている。もっ とゆっくり見たかったが、モザイクの殆んどは見られた。

地下宮殿
ア ヤソフィアからすぐそばの地下宮殿にいく。宮殿と呼ばれるが地下宮殿は、旧市街地の貯水池。4世紀から6世紀のコンスタンチヌス帝からユスティアヌス帝の 時代に作られた。ビザンチンからオスマンにかけて主要な水がめとなっていた。1984年の大改修の際、メデューサの大きな顔が発見された。今も水の中に。へ んに、観光客向けlにどぎつい明かりの照明をあてた演出をしてあるがかえって見にくい。

ブルーモスク
ブルーモスクvt6ブ ルーモスクは、スルタンアフメット・ジャーミィの別名。内部の青のタイルの美しさからブルーモスクで知られるのだが、ブルーに見えない。6本のミナレット を持つ大きなモスクでイスタンブールの象徴的なモスク。アフメット1世により1616年に建造。内部は、土足厳禁で、靴を脱いで入る。内部は広い。2万枚 のタイルはブルーというより緑に近く見える。じゅうたんが敷き詰められ、礼拝用の位置を示す模様になっている。


グランドバザール
次 に、グランドバザールにいく。バザールまで行く道は大渋滞、よく車がぶつからないと思う。バザー迷路のグランドバザールvt15ルは4000軒以上の小さな店が迷路のように集積してい る。どの店も怪しげに見えてくる。1つの入口近くで、自由行動になったが、戻れるか自信がない。メインらしき道を基準に、方向を意識しながら見て 廻ったので、入口のほんの近くの一画だけしか見ていない。特に買いたいものもないので娘のうしろを付いていく。トルコは、このバザールもそうだが、値札は 殆んどついていない。聞いて、言い値で買うか、このバザールのように値段交渉して決める。楽しい一面、面倒だし、買った値段が適正なのかもわからない。

今晩はベリーダンスのディナーショー へ行くので一旦ホテルに戻り休憩してから出直した。よくある団体向けのディナーショーで料理も雑。すぐあきる。

5 月31日(土)・6月1日(日) 7日・8日目 (現地6日目) イスタンブール、移動日

8:30出発〜9:30エ ジプシャンバザール〜10:10ボ スポラス海峡クルーズ・ニミノニュ港10:30出港〜11:40イエニキョイ下船〜12:30昼食 13:30出発〜14:00アタチュル ク空港―17:10トルコ航空TK0050便〜6月1日 10:20成田空港 定刻着 

 
エジプシャンバザール
エジプシャンバザールvt13ホ テルをチェックアウトしてしまい、観光しながらそのまま空港へいく。まず、港近くのエジプシャンバザール。ここは、それほど大きくないバザールで香辛料やナッ ツ類、蜂蜜など食品、ロクムなどのお菓子もある。周りには園芸用品、日用品、肉屋、魚屋もあった。何も買わず、ぶらついて入り口に戻る。シルクロードの西 の起点ということらしい。エジプシャンバザールの脇には、1598年着工のイエニ・ジャーミーがどーんとある。10時に再集合して港にいく。


ボスポラス海峡
港 につくと、乗る予定の船には既に、客がいっぱい。船室の席には多少の空席はあるが、デッキや両サイドの通路、3階展望デッキは満員で、眺めることもできな い。一旦、空席を探して、ガイドさんの説明を受ける。いっぺんに多くを説明され、メモもとれずあきらめた。ガイドさんが買ってきたトルコの桑の実をごちそ うになる。トルコでは、白いものが甘い。粒粒も小さい。動きだしたので、眺められる場所をさがしに、ウロウロするが、どこも満員で写真もとれず、しかたな く、一番下の乗船口で人のすくのを待つ。風が冷たい。上着をバスに置いてきてしまって寒い。

ボ スポラス海峡は、マルマラ海と黒海をつなぐ海峡で、交易の要衝。ヨーロッパ側を最初に見る。行きたかった、ガラタ橋、ガラタ塔。それにドルマバチェフボスポラス海峡vt7宮 殿。などが見える。はいれなくて残念だ。1843年からのオスマン最後の城。バロック様式を取り入れたオスマンとの混在様式という。ボスポラス海峡にかかる2つの橋のうち、ボスポラス大橋が 見えてくる。最もせまいところで幅は700mだそうだ。

船 の往来は多い。 第2の橋の手前にルメリ・ヒサルが見えてくる。メフメト2世が1453年に建てた要塞跡。観光客が手を振っている。第2の橋は、メフメット大橋。海面からかなり高 いところにかかっているが、大型船は橋げたのすぐ下を通る。この船はあちこち寄りながら行くようだ。最初の停泊場所、カンルジャというアジア側に立ち寄 る。

我 々は、次のイエニキョイで下船。この港はヨットやミニクルーザーが多く係留してあり、家もリゾートのようだ。港の脇にバスが待っていて、また、イスタン ブールの中心部へと戻る。こちら側は高層マンション群などが立ち並ぶ新興住宅地らしい。ぐるぐる道を回り、ブルーモスクの裏側の海岸通りに出た。シーフー ドレストランが並んでいる一画でバスをおり昼食。ついでに、トルコリラは円に戻しにくいので、お菓子屋を見つけてほとんどお菓子を買ってしまう。両替は もっと少なくてもよかったかも。実際は小銭以外は、円、ドルでもユーロも使えたので、2万円の両替は多すぎた。最終日は、小銭のクルシュまですっかり使いきった。


も う旅も終わり。トルコはイスラム教が90%だが、イスラム教国でない分、自由度は高いらしいが、モスクは多く、ミナレットはどこにもあり、スカーフをかぶ白い桑の実vt21 る女性も多い。観光ツアーで見て歩くだけでは、イスラム色はあまり感じられない。言葉が分からなさすぎるので臆病になってフリーに歩かなかったな。

時 間が来て、空港にいく。ガイドのアイツゥルさんとお別れだ。アイツゥルさんは細かく古代史から説明してくれたが、変わった言い回しの日本語でわかりずら く、それでなくても、中近東や地中海の世界史はわかりにくいので、殆んど聞き流してしまった。日本語はちょっとわかりにくかったけど気を使ってくれて快適 だった。快適といえば、このツアーのホテルは、いつもの旅行のクラスより数段上の4つ星、5つ星のホテルばかりで、部屋や施設、朝食はどれも満足できた。


ホームへ戻るボタン 旅行記トップへ戻るボタン トルコ紀行のトップへ戻るボタン

               Copyright © 2012/01/01 Allrights Reserved.

inserted by FC2 system