ITALA TOUR
イタリアツアー紀行用ピサ洗礼堂写真

イタリアツアー地図map8

 時期 ・ 期間 ・ 旅行の種類
2004年9月3日(金)〜11日(土)・ ツアー
 目的地 ・ 目的
初めてのイタリア旅行のため代表的な絵画、最後の晩餐、ウフィツィ美術館、シ スティーナ礼拝堂に見に行けるツアーを考えて検討し始めた。どうせならとヴェネチア、ナポリも、さらにピサやシエナ、アッシジにも寄るという短期間にも関 わらず欲張りなツアーを見つけこれにした。
 印象 ・ おすすめポイント
移動型のツアーは過去にも1、2度参加したが添乗員が最初から 最後まで付いたツアーは初めてで、しかもフリータイムがほとんどないツアーも初めてだった。観光中心で特にイタリア美術に強い関心があったわけではない し、下調べもほとんどしなかった。ミケランジェロ、ラファエロ、ダビンチ、ボッティチェリくらいしか美術家の名も知らなかったが、行ってみたら、多くの美 術作品や多くの名前の知らない作家の作品に感動してしまい、イタリアにはまってしまった。美術作品だけでなく、建築や街並み、風景にも魅かれた。一 方で、近くに行きながら立ち寄れなかったり、中に入らなかったりとフラストレーションが非常につのってしまうツアーだった。多くの都市を駆け足で移動する のはやはり無理がある。こうした団体パックツアーはあくまでもその国や地方の入門編でしかないという印象。いつもの1拠点での街歩き型の旅が良いことを再認識した。このフラ ストレーションのおかげで、イタリア美術、特に中世からルネサンス、バロック期の変化について知りたいことがはっきりし、情報を集め始めた。フラストレー ションの解消にはまた行くしかない。


行き先
宿泊地
9月3日(金) 1日目
移動日
MILANO
9月4日(土) 2日目
MILANO , VERONA
VENEZIA
9月5日(日) 3日目
VENEZIA
FIRENZE
9月6日(月) 4日目
SIENA , PISA
FIRENZE
9月7日(火) 5日目
ASSISI , FIRENZE
ROMA
9月8日(水) 6日目
POMPEI , NAPOLI
ROMA
9月9日(木) 7日目
ROMA
ROMA
9月10日(金) 8日目
移動日、MILANO

9月11日(土) 9日目
移動日


当初、フィレンツェだけの個人旅行にするつもりが、イタリアの情報を集めだしたら
最後の晩餐はミラノ、ヴァチカン博物館はローマで、ベネチアも行って
みたいと思いだし結局ツアーを探すことになってしまった。イタ
リアは人気の行き先らしく多くのツアーがあり、選ぶ
のに苦労した。短期間で見たい美術を見られ
シエナやアッシジにもというので選択。
行けば、こうした大移動ツアー
は無理があると
分るのだが。

  9月3日(金) 1日目 移動日

成田発JAL417便13:00  →18:25ミラノ空港着・空港出発20:00→22:30ホテル着

添乗員付きのツアーは初めて。お客は 25人と多い。これでぞろぞろ歩くのかと思うとぞっとするが、決めてしまったのだから仕方がない。一緒になっても、まだ団体という感じではない。それぞれ で行動してゲートへ。定刻にミラノに着いたが入国審査場はものすごい列になっている。ミラノ空港の職員は混雑していても関係なくのんびり雑談しながらでい らいらする。やっとバスでホテルに移動するがどこをどう走っているか全くわからず。ホテルの位置も不明。市街地でビルに囲まれている。

  9月4日(土) 2日目   ミラノ市内・ベローナ

9:00バスで出発→ス フォルツェスコ城ドォー モヴィッ トリオ・エマヌエル二世ガレリア12:15サ ンタマリア・デラ・グラッツエ教会→昼→(170km)ベ ローナ→(115km)20:00ヴェネチア泊 

ドゥオーモ 
今日の目玉は、サンタマリア・デラ・グラッツエ教会の最後の晩餐。その前に、まず、スフォルツェスコ城にいく。バスは自由席、どこでもいいが、添乗員から なるべく前の席は皆さんで交代してくれというニュアンス。三々五々席に。大型バスなので席はゆったり。すぐに着く。

14C領主ヴィスコンティ家の居城で 次の領主スフォルツ家が改築した。そのためゴシックとルネッサンス様式の混在したものとなっている。中はいろいろな博物館になっている。中にスフォルツァ城vi16は少しも入ら ず、外側だけ見て中庭を通りぬけただけ。 私が一番ツアーの行動に向いていないみたい。

次は、ミラノの中心、ドォ−モへ。バ スは、からり離れた道に止め、ドォーモの後ろ側から近づく感じ。裏側も美しい。レースをかけたような白いタテのラインがいい。イタリア最大のゴシック建 築。1386年ヴィスコンティ家により着工、500年かかってミラノ大聖堂vi1019Cに完成した。表に回ったら、残念ながら美しい正面は修復中でカバーがかかっていて見ら れず。135本の尖塔と中心の金色のマリア像108m、壁面の彫刻群は素晴らしい。屋上にも上れるらしいが、このツアーはない。大きな扉から入る。内部は 巨大。荘厳。ミサをやっていた。スペインやパリのゴシック教会にくらべるとステンドグラスはおとなしい。

次はドォーモ広場のとなりのヴィット リオ・エマヌエル二世ガレリア。2本の通りが十字に交差するガラスのアーチ天井のモール。装飾は、描いた絵ではな く、モザイク。1878年完成。いい雰囲気だが観光地の中心でもある。ガレリアを抜けるとスカラ座があるがここも修復中で外観も見られない。10分の自由 時間で何を見るのか。

最後の晩餐
バスにもどると、バスが故障して動かない。押しがけしようとお客みんなでで押したがびくともせず。現地ガイドが、急遽トラムで行くことに決め、乗り場まで 歩く。こっちのほうが楽しい。狭い道を線路と車が一緒に走る。イタリアはどこを工事しても遺跡だらけで、道も広げられず、駐車場もつくれず、地下も掘れな いので、渋滞がひどい。トラムをおりてサンタマリア・デラ・グラッツエ教会にいく。
最後の晩餐は12:30分からと12:45分からの組に分かれた予約になっている。サンタマリア・デラ・グラッツエ教会は15Cのドメニコ派の修道院を ヴィスコンティ家が建築家ブラマ最後の晩餐vi19ンテに改修させた教会。教会も内部は美しいらしいが、12:00からは見学できない、残念。最後の晩餐は各回25人で15分の完全入れ替え制になっている。1999年に修復された際、ゲートシステムができたらしい。食堂の壁面に描か れたダビンチの最後の晩餐は、1497年に完成したが、直後から変色し、幾度の修復により原画と違ったものになってしまい、さらに第2次大戦の爆撃で破壊 され修復。1999年に最新技術で原画に近いものに修復されたという。もっと色鮮やかかと思っていたが、意外と落着いた色になって、みごとに描かれてい る。思っていたより大きかった。反対側にキリストの磔刑の壁画もなかなかのもだが、これはダビンチではない。

ベローナ
昼食のレストランへは、今度は地下鉄でいく。こちらも楽しい。昼はミラノ名物カツレツ。うすくたたいたカツレツの味はまあまあ。修理ができたバスで長距離 をベローナ経由でヴェニスのホテルにいく。
ベローナは意外に美しい落ちついた街、古都という雰囲気だ。ミラノが汚かったせいもあるが、ずっといい。イタリアの第4の都市だそうだ。ミラノからの時間がかかったせいでせっかくベローナの現地ガイドさんが来てくれたのに、ろくに説明時間も なくいい街なジュリエットの家vi21のに、街を文字どおり駆け抜けただけで、せっかく現地ガイドが説明してくれても書き留めることもできない。ジュリエットの家の中庭に入った が、狭い庭に観光客がごったがえしている。ジュリエットの像で写真をとるにも順番なんてない。

14Cのカスティヴェッキオ城?もい い建築。さらに、中心となる広場もゆっくりできれば、趣のある市場街なのに、たった5分では。街を駆け抜けローマ時代の円形劇場アレーナの広場に出る。ア レーナは今日5万人が入るオペラで超満員だそうで、外国人の団体の観光客とオペラの客ですごい混雑になっている。 アレーナとは砂のこと、元闘技場のため砂をまいたことから。ここからはヴェネチアのホテルにいく。
ヴェネチアといっても、メストレ側だと思う。団地群のような中高層の建物が多くあるビジネスホテル的なホテル。周りにはどぶ川のような川があるだけで何も ない。

 

  9月5日(日) 3日目  ヴェネチア

8:15出発→(バス)トロンケット 港→(船・ジュデッカ運河)→サンザッカリア(船着場)→ドゥ カーレ宮殿サ ンマルコ広場→ガラス工房→(昼)→ゴンドラ →サンザッカリア(船着場)→(船・ジュデッカ運河)→トロンケット港→(バス)フィ レンツェ・ミケランジェロ広場→ホテル→(夕食)→21:30ホテル

ドゥカーレ宮殿
朝食は昨日と全く同じでがっかり。今日はヴェネチア。全く事前の知識なしで行ったので、かえって行きたいところがわからず良かったかもしれない。バスで直ぐ に港にいく。船はいいもの。天気にはずっと恵まれている。本土と島をつなぐ国鉄のリベルタ線にそって船は走り、ジュデッカ運河の景色もいい。これがヴェネ チアかという風景が続く途中、巨大な豪華客船とすれ違った。20階建くらいの高さで圧倒される。

サンザッカリア(船着場)についた ら、すぐに乗るはずだったゴンドラクルーズは、今日ストライキで乗れないかもということが分かった。待てるだけまとう、と観光の順番を変えるという。島は観光客 で大混雑。さすが世界の観光地。スキアヴォーニ海岸通りを早足で歩き、ドゥカーレ宮殿に。

ドゥカーレ宮殿は9Cに建てられた宮 殿を14C歴代総督の居城として改築したゴシック建築。ヴェネチアのシンボルは翼のある金の獅子で、いたるところに紋章や彫刻としてある。内部の写真はと れない。行政、裁判所、会議場などがあり牢屋もある。装飾も素晴らしいが、絵画も充実している。ティントレット、ティチアーノ、ベネローゼなどイタリア北方ル ネッサンスを代表する作家の絵や壁画がいたるところに。ベネローゼの遠近法やだまし絵のような立体にみえる装飾は面白い。

運河をわたる渡り廊下がため息橋。新 しく作られた牢屋や処刑場にいくための橋。溜息橋の通路をわたり、牢屋を見学してから宮殿を出るとサンマルコ広場。

サンマルコ広場
宮殿のとなりがサンマルコ寺院とサンマルコ広場。広いスペースも観光客でいっぱい。サンマルコ寺院も鐘楼も入れるが、このツアーでは外からみるだけ。サン マルコ寺院は、9Cにサンマルコ寺院vi14聖マルコの遺骸を安置するため立てられたロマネスクとビザンチン様式が混ざった大寺院。サンマルコはヴェネチアの守護聖人。外部の壁 画は、細かいモザイクで描かれている。内部もすごいらしい。少し歩いてガラス工房に連れて行かれる。結局はベネチアングラスのお土産屋。赤をだすには金を 使うので一番高い。ツアー客は高いものを買っている。つられて買いたくなったがやめた。集合時間まで、サンマルコ広場の回廊と周りの路地を少し歩き回る。 路地にはいるといたるところに運河にぶつかる。この島には、車はない。船がタクシーや車の代わりをしている。ここは駆け足で来る街ではない。ゆっくり歩い てまわりたい。

広場の回 廊は、12Cの行政館が焼失し16Cに再建されたもの。大鐘楼も16Cに建てられたが、1902年倒壊し復元再ゴンドラvi8建されたもの。昼食にと団体向けのトラット リアにいく。イカスミスパゲティを食べてからゴンドラが動きだしらしいたので、乗り場にいく。他のツアー客も待っていて、乗り場で待たされる。コースも短 く手抜きの短いコースをゆっくりいくだけ。知らないので、それでもなかなかいい。ゴンドラから眺める景色は美しい。帰国後改めてベネチアを調べると、リア ルト橋やアカデミア美術館や他の教会、など見所は近くに沢山あった。知らないのは恐ろしい。帰りは、同じコースでトロンケット港に戻り、次のフィレンツェ に向かって、ボローニャを経由して250kmのバス移動。この道も単調。道路沿いの景色はスペインやスウェーデンに比べてもそれほど楽しくない。
 

ミケランジェロ広場
フィレンツェに着いて、ホテルに行く前に、ミケランジェロ広場に。
ミケランジェロ広場は、フィレンツェ市街を一望できる展望の丘にあり、駐車場になっている広場にダビデ像が建っている。夕方の光のなかで、ドォーモやウ フィッツ美術館、ヴァザーリの回廊などアルノ川を挟んで広がる市街が見渡せる。よく見かけるフィレンツェ風景だが、見あきない。イタリアのどの街も、都 市国家の名残りで、皆それぞれの街の同一の屋根の色をとっている。フィレンツェでは高い建物は、ドォーモと鐘楼、他にあったとしてもヴェッキオ宮くらいでまとまりのある町並みとなって美 しい。フィレンツェはイミケランジェロ広場vi9タリア第3の都市なのに中心部は美しく保たれている。

今日のホテルは今までの中では良い。 中心部からはやや離れているが場所もいいところにある。アルノ川沿いの橋のそば。但し、泊まる部屋は、迷路のような廊下をわたった団体客用の別棟だった。

 

  9月6日(月) 4日目   シエナ ・ ピサ

6:00起床 →7:00朝食  →8:15集合・出発 →(70km)シエナ着 →カ ンポ広場 →(バス)13:00ピサ →(昼) →ピサ・ドゥ オーモ広場  →(19:00夕食)→21:30ホテル

フィレンツェに泊まりながらフィレン ツェより先にシエナに行く。フィレンツェのドォーモを横目に、高速道路に入る。今日も快晴。シエナのドォーモに近い城壁のようなところでバスを降り、歩い てサンドメニコ教会まで行くが中に入らず外観を見るだけ。シエナは3つの丘にまたがる街で、坂の登り下りがずいぶんある。イタリアの中世都市国家そのまま の街。スペインのトレドのような感じ。

シエナ大聖堂vi18サンドメニコの正面から見えなかった クーポラとマンジャの塔が、坂を登りかえした反対側から見える。坂と路地を抜け、ドゥーモの広場に出る。このシエナ大聖堂は外観も美しい。上がゴシック、 下がロマネスク様式の建築。ここも中に入らない。がっかり。確かここには床のモザイクやルネサンス美術がたくさんあるはずだ。商店が並ぶ路地を抜けたら、 観光客がいっぱいの、プブリコ宮殿のあるカンポ広場。この広場は、競馬で有名。広い石畳に砂を引きつめ、民族衣装で競馬を行う。プブリコ宮殿も中に入ら ず、広場を見て歩くだけ。プブリコ宮殿の中にも見たい絵画があったのだが。ここで10分のフリータイムだって。何もできないので近くの店でジェラートを食 べ、八百屋でぶどうと黒いベリーを買う。バスの中で食べた。次にピサに行く。カンポ広場に10分いただけでシエナに来たことになるのだろうか。

ピサ・ドォーモ広場
ピサの斜塔のある広場までバスは行けず、バスの観光客は、ピストン運行するピサ行きのバスターミナルに行かねばならない。バスターミナルも混雑。世界の観 光地だけのことはある。スリの名所のひとつ。ピサのほうのバスターミナルでおり、歩いて門をくぐる。洗礼堂、大聖堂、斜塔が広い芝生の中に3つが並んでい る。斜塔の傾き具合がよく分かる。普通の都市では、教会やドォーモが街の中心にあるが、ピサは市街からはなれた新興開拓地に大聖堂などを一箇所にまとめて 建設したイタリアでも例外の都市らしい。斜塔はガリレオの引力の発見で有名だが、聖堂の中にもガリレオのランプもある。斜塔は、建設当時から、地盤が傾い ていたが、後の時代に2回も上に伸ばしている。上のほうの建設は、下ほどの傾きはなく垂直になっているらしい。こ こも上っている観光客がいる。うらやましい。

見学の前にレストランで昼食。ここは 日本人がやっている。味はまあまあ。土産モノ屋もやっていたが安くない。他のお客さんは日本語ができる店なので結構買っている。
現 地ガイドは面白いおじさんで日本語が達者。特に、礼拝堂では、扉を閉めさせ、警備のお姉さんに、歌うように声をださせて音響を聞かせてくれる。音が反響し て、洗礼堂vi10一人で輪唱ができてしまう。なかなか感激的な音だ。娘はデジカメで動画でとり録音している。カンポサントにも行きたいところだが時間なし。
広場の門を抜けたところで、小さな女の子2人が段ボールの板を持って団体のお客さんの一人にまとわりついている。あぶないな、と思ったら案の定、財布をす られている。女の子がへまをしたらしく離れる時に財布を落としてしまい、お客さんに気づかれ、逃げていった。
またピサのバスターミナルまでもどり、フレンツェのホテルに戻る。結局、ピサもドォーモ広場に来ただけだった。


 
9 月7日(火) 5日目  フィレンツェ市内・アッシジ

8:20・徒歩で出発 →ウ フィッツィ美術館 →  ドォーモ →バック屋→ (昼)→(バスにて170km)アッ シジ ・フ ランチェスコ聖堂→(210km)ローマ  →(115km) 20:45ローマ・ホテル着→ (21:00夕食) →ホテル23:00

ウフィッツィ美術館
ホテルはアルノ川の前にあり、朝の集合前に娘と川沿いの公園を散歩。出発も徒歩で川沿いを10分程度歩いて、ウフィッツ美術館にいく。自由行動できると期 待したが、中も団体のままで、有名なものの大半は見られたが、期待していたものの半数の部屋自体入らなかった。ウフィッツィだけの現地ガイドさんがポイン トの作品を小声で説明してくれる。残念ながら1時間くらいもない。絵画以外の説明もあったが、その時間自由にして欲しかった。

フィレンツェvi5や はりフィレンツェは、このツアーで ないほうが良かったと悔いが残る。それでも、ボッティチェリのヴィーナスの誕生、プリマベラ、ダビンチの受胎告知、ラファエロのひわの聖母、自画像、ティ チアーノのヴィーナス、リッピの聖母子と二天使、フランチェスカのウルビーノ公爵夫妻の肖像、パルミジャーノの長首の聖母、カラバッジョのバッカス、ジョ ットなどは見ることができた。メディチ家の最重要な美術品のあるヴィーナスの部屋やヴァザーリの書いた年代順の部屋の4分の1程度しか見ていない。

ウフィッツィは、メディチ家一族のコ レクション。自宅の宮殿や別荘にあった美術品をまとめたもので、メディチが絶えたあと、イタリアの国有財産となって美術館にしたもの。ウフィッツィは事務 所のこと。メディチ家が役所用に立てたが、美術品を回廊に置き、美術館にした。ヴァザーリは建築家かつ画家で、フィレンツェ出身の画家の伝記を年代順に書 いた。その本のとおりに、この美術館は時代順の部屋となっている。

ドォーモ
美術館を出て、ドォーモ(サンタマリアデルフィオーレ教会)とジオットの鐘楼に行く。壁面の装飾がすごい、色大理石を使っている。ジョットの鐘楼vi7
ドォーモは140年かかって1436年に完成。設計は建築家ブレネレスキ。2重構造により大空間を支えている。前面のファサードは、1587に壊れ、現在 のものは19Cに完成した。3色の色はイタリア国旗を表している。みなガイドブック片手に内部をうろうろ。
隣のサンジョバンニ洗礼堂は11Cに建築され青銅の3つの門がある。東と北の門の青銅の扉は建築家のギベルティの制作。現在はレプリカらしい。

広 場から皮屋に連れて行かれる。娘はFURURAのバックを買った。日本で買うよりは相当安いらしい。男ものは少ないが息子がいらなかったら私が使うつもり で黒のバックも買った。後で、同行の女の子が娘と同じブランドのバックを選んでいて、その子は、雑誌で紹介されていたので、あったら買おうと思っていたと いっていた。人気が出てきたブランドらしい。13:00昼食にドォーモの脇の路地にある中華屋に連れて行かれる。ここでまずい中華をたべなくても。
 

アッシジ・フランチェスコ聖堂
14:30バスでアッシジへ。目玉のサンフランチェスコ聖堂だけでなく、アッシジの中を歩けたのはよかった。いろいろ説明されたがメモをとれず、全部忘れ た。
アッシジ、フランチェスコ聖堂vi3 普通は、聖堂の下のバスターミナルからすぐに聖堂に行くらしいが、わざわざ、反対側のサンタキアラ教会に近い門からまっすぐ伸びる通りを歩いて街並みをみ ながらサンフランチェスコ教会へ行く。聖堂の内部のジォットの壁画は素晴らしい。ジォットだけでなく、地階の壁画、天井画も色鮮やかで素晴らしい。写真も 撮れず、図版もないので、教会のパンフレットを3ユーロで買った。

アッシジもサンフランチェスコ聖堂だけでなく、ドォーモやサンタキアラ教 会も、もっと高いところには砦のようなものもあり行ってみたかったが、結局、サンフランチェスコ聖堂を見ただけ。アッシジから、ローマへはまた長距離のバス移 動。A1という高速道路をひた走る。ホテルは、ローマ空港にほど近い。

  9月8日(水) 6日目  ポンペイ ・ ナポリ

7:30出発  →(260km)ポ ンペイ→(昼)→(40km)ナ ポリ→(240km)ローマ→20:45(夕食)→22:30ホテル

ポンペイ
今日も長距離の移動。良くツアーの内容を調べればよかった。移動距離に無理がある。ナポリ、ポンペイは要らなかった。ポンペイは見ておいてよかった、とは 思うが、通り抜けるだポンペイvi13けのナポリは全く意味がなかった。ローマの環状道路から高速道路のA1号線をひたすら南下する。左にアペニン山脈を遠く、近く、なが めながら走る。アッピア街道を横切り、まだ南下。ベスビオス山が見えてくる。カプリ島も見える。今日も快晴。日差しは強い。日陰は涼しい。

ポンペイも大観光地となっている。 79年ベスビオスの大噴火で埋まった街。1748年からやっと発掘が行われはじめて、現在も続いている。噴火で埋まったことよりも、この古代都市の街づく りの仕方に驚かされる。公共施設跡、広場、浴場や商店街の跡、個人の邸宅跡などの他、車歩道の分離とか、車道を横切る飛び石の歩道とか商店街の集積とか、 階級制度のせいもあるが、街の構成もよく考えられている。古代の知識は、さらにないので、期待もしていなかっが、意外に来てよかったと思った。

昼は、やっとピザにありつく。南のピ ザでもちもち。生地は日本のモチのような食感と味がする。北のピザと食べ比べたかった。そのあとカメオの会社に連れて行かれる。カメオとはレリーフのこと らしい。いいものらしいが良さがわからないので、集合時間まで、外をぶらつく。なんにもない。こっちの松は、笠松という種類で枝が丸い傘のような形をして いる。松ぼっくりも大きい。この松から松の実をとる。

次は、ナポリにいく。どこか1箇所く らいは立ち寄るか、と思ったが、どこにも寄らず、一回、卵城を眺望するナポリ湾を眺める道に5分写真をとる時間だけ止まった。。ガレリアとか卵ナポリ湾vi11城とか車窓 から見るだけで走りぬけた。説明されても少しも記憶に残らない。ここに来る意味はなかった。ナポリ湾だけ遠望しに来ただけ。また、延々とローマへ帰る。ホテルはローマ空港に隣接するヒルトン。周りは散歩するようなところはない。

  9月9日(木) 7日目  ローマ 市内

7:20出発 →ヴァ チカン博物館シ スティナー礼拝堂サ ンピエトロ寺院 →サ ンピエトロ広場サ ンタマリアインコスメディン教会(真実の口) コ ロッセオ→(昼)→ローマ三越 (自由時間)→  トレビの泉ス ペイン広場 →(自由時間・パ ンテオンナ ヴァーロ広場ア ルゼンチナ広場)→19:30(夕食カンツォーネ) →23:00ホテル・帰りの準備。

ヴァチカン博 物館・システィーナ礼拝堂
早くから出発するのはヴァチカン博物が混むのを見越してのこと。着いたらもう長い列が。それでも今日は少ないという。ヴァチカン博物館に入ってからも自由に行 動できず。絵画のところやラファエロの間にいかず、アテネの学堂もみられない。刺繍の間、蜀台の間、地図の間しかみない。地図の間でシスティーナ礼拝堂の天井画の説明 を長々とされた。その時間があれば、他の絵を見たかった。そこから階段をおり、システィナー礼拝堂に入る。ここも混雑している。システィナー礼拝堂は、 1994年に修復完成。ミケランジェロの9つの物語のフレスコ画が天井にかかれ(1508から1512年)、壁に は、最後の審判(1536から1541年)が。左右の壁画はミケランジェロでなく、ボッティチェリやギルランダイオなど他の画家が描いている。天井画は、 よく見えないのではと思っていたが、良く見える。素晴らしい。眺めていても見飽きない。首は疲れるが。

サンピエトロ寺院
 礼拝堂を出て、サンピエトロ寺院にいく。ここのドォーモにも上れるがここも行かない。サンピエトロ寺院は、カトリックの総本山らしくどこをとっても巨大。 バロック建築の初期の様式サンピエトロ広場vi15を持つ。最初の建築は4C。老朽化によりユリウス2世が1506年に建築家ブラマンテに設計させた。ルネッサンス、バロック期の 芸術家が多数参加し、引き継いで1614年最終的な形となった。5つの門の扉も各時代を代表する作家が作っている。内部は巨大。ミラノの大聖堂も大きい が、比べ物にならない。

中の彫刻もそれぞれが素晴らしい。特 に、ミケランジェロのピエタ像、祭壇は、べルニーニ。ベルニーニの彫刻は他にもある。
外に出て、ヴァチカン市国の切手とヴァチカン博物館の図版を買う。広場も寺院も大きすぎてカメラにおさまらない。右の建物の右から2つ目の窓が法王の書斎 の窓で、ここから法王が顔をだす。

真実の口
真実の口vi17 サンピエトロ寺院から、真実の口を見に、サンタマリアインコスメディン教会にいく。サンタマリアインコスメディン教会は6Cに建築され、12Cに鐘楼が建 築されたロマネスク様式の建物。側柱廊に、真実の口はある。海神トリトンの顔で、本来はマンホールのふたらしい。ここも観光客が列をなしている。皆、手を口に入れたところの写真をとっていくので順番に時間がかかる。

 コロッセオ
次にコロッセオにいくが、ここも中は見ない。外側だけ見て、中を隙間からのぞくだけ。バスをおり、314年建造のコンスタンチヌス帝の凱旋門前で写真をと る。コロッセオは5万人収容できる古代闘技場、72年に着工された。以後帝国の荒廃につれコロッセオvi4崩壊。19世紀に発掘がはじまり現在も進められている。

20分の自由時間にフォロ・ロマーノ に娘と駆け足でみにいく。入り口にあるティトウスの凱旋門は1Cにドミティアヌス帝が建造した。紀元前6Cから街の基礎ができ、共和制ローマの中心地でカ エサル、アウグスチヌス帝が最盛期のころのものが一番残っている。その後帝国の崩壊により土にうまり草地になっていた。ルネッサンス期には、大理石がここ から建築材料としてもちだされたとの事。

トレビの泉とスペイン広場
食事のあと、ローマ三越に連れていかれる。三越は、共和国広場に近いナツィォナーレ通りにある。広場には、ナイアデイの噴水を中心に、ミケランジェロの設 計したサンタマリアデリアンジェリ教会という古代のディオクレティス帝の浴場を改築した教会もある。行ってみたら内部はきれいらしいが、教会の見学は昼ま でで入れず。三越に興味はないので、集合時間まで、散歩することにして、ナツィオナーレ通りを往復した。つきあたりの建造物は、フォロトライヤーノのトラ ヤヌス帝の記念碑か。

次は、トレビの泉。狭い路地をぬける と、建物に囲まれた一角にトレビの泉があった。ここもすごい人出。ポーリ宮の壁面の前の三叉路にあるのでトレビだそう。もとは古代の水道の後。18Cに建 築家サルティが建築し、パンニーニが引き継いで完成。凱旋門を背景にネプチューンが立つ。

そこから歩いて、スペイン広場に。こ こも人がいっぱい。17Cにスペイン大使館があった。下には、ベルニーニの父ピエトロが作った噴水がある。階段の上には、トリニタディモンティ教会が立 つ。1585年に完成した。ここも改修中。

パンテオン・ナボーナ広場
スペイン広場の下で、添乗員がお客を集合させて、ここで自由行動だって。今日に限ってガイドブックを持っていない。三越にあった地図をたよりに、どこに行 くか検討。ポポロ広場方面に行くか、反対にパンテオンのほうに行くか。我々はパンテオンを目指すことにする。トリトーネ通りからコルソ通りに出て、モンテ チトーリオ宮らしきところの前でまがり、路地に入る。警官に聞いて教えてもらう。足もいたくなり、休憩したいので店を探すが、ない時はないもの。路地を進 むと、ジェラート屋があったので入る。沢山の種類がある。残念ながら座るところはない。一息ついてから狭い路地をまた歩きだすと、ロトンダ広場に出た。パ ンテオンは、紀元前25年アグリッパが建てたものを120年にハドリアヌス帝が現在の形のものに建て替えた。スケールがすごい。コリント式の列柱も巨大。 神殿内部は半球体になっていて天井に明かりの入る天窓が。後からガイドブックをみたらラファエロの墓もあった。行った時には分からなかった。

パンテオンを出てから、ナボーナ広場 にいく。ここも物売りと人ごみで混雑。古代ローマのドミティアヌス帝が広場とした。3つの噴水があり、1651年ベルニーニが作成。中央が四大河の噴水、 南にあるのが、ムーア人の噴水。この広場からヴェネチア広場をめざすが、どうも、道に自信なく不安になり、アルゼンティーナ広場とジェス教会の前から、来 た道をそのまま引き返し、集合場所のスペイン広場手前のマリアの塔まで戻った。

ここから、夕食にカンツォーネディ ナーに行った。オペラのような声量はすごかった。歌手が席を回ってCDを買わないか言ってくる。断りにくい雰囲気で、何人かのお客さんが買っていた。


 9月10日(金)〜11日(土) 8・9日目  移動日

10:40出発→11:00ローマ空 港・AZ1044便13:20 →14:40ミラノ空港→(乗り継ぎ時間ありミラノ市内)16:30 (ア ンプロジアーナ美術館)17:15再集合 →18:00ミラノ空港(夕食)→21:20JAL418便 →9月11日16:05成田空港着

 今日は移動日だか、乗り継ぎに5時間を越えるため、ミラノで2,3時間自由時間あり、 との事。ブラレ美術館はいきたい、と考えていた。ところが、ミラノに着いてバスで移動中に大渋滞に巻き込まれ、自由時間は1時間もないことがわかり、ブラ レはあきらめた。ボルディペッツオーリ美術館かアンプロジアーナ絵画館のいづれかにしようと迷い、結局、集合場所のドォーモ広場に近く、ラファエロのアテ ネの学堂の下絵があるアンプロジアーナ絵画館に行くことにした。

ドォーモ前で解散したらすぐに急いで 探しながらいく。すぐに見つかった。もう閉館まじかで客が少ないこともあって、職員のおじさんもオバサンも親切に教えてくれた。アテネの学堂のアンプロジアーナ美術館vf2ほかにもダ ビンチの画家の肖像、カラバッジョの果物を教えてもらった。時間があまりないので、他も見たかったがざっとしか見られない。絵のほかにレリーフなどいいも のがあった。英語版の解説書を買ってしまった。絵画館を出てから、集合時間まで10分しかないが途中の高級食料品店で最後のジェラートを買って食べた。

なんともあわただしい旅行だった。


「ツアーの評価」

最初から最後まで天気は快晴、気温 30度でも湿気がなくさわやかで気候にも恵まれた。最後の晩餐、システィーナの最後の審判と天井画は期待どおりの良さ。このツアーで見ることもできないと ころが多く、心残りのあるウフィッツ美術館、ヴァチカン博物館。予想外に良かったのはアッシジのサンフランチェスコ聖堂、ピサの洗礼堂の音、ポンペイの遺 跡。しかし2000kmを超えるバス移動というのは、短期間のツアーでは無理がある。いろいろフラストレーションのたまるツアーだった。

今年は、立て続けに読んだり見たりし たフィレンツェにいきたくなり、イタリアにした。いろいろ調べたら、イタリアの美術館や教会の絵をみるには、予約が必要なところが多い。なかなかその場で 申し込んでも難しいところが多そうで、移動も大変そう。いきたい所が入っているツアーから探すことにした。いざ探し始めたら、フィレンツェを中心にしたも のはほとんどなく、個人旅行しかなさそうだ。

ツアーを探し始めると見たい絵のある ところがどんどん広がってフィレンツェ以外に、ミラノの最後の晩餐、ヴァチカン博物館のアテネの学堂、システィーナの天井画と最後の審判、など、ウフィッ ツィ以外にも出てきた。どうせならとそれらが全部見られるツアーで選んだのが今回のツアー。数多い他のツアーはどれかが欠けている。広く浅くみるか、フィ レンツェ中心にするか最後まで悩んだ結果だ。もう少し自由時間がとれるかと思っていたら、出発から帰国まで添乗員の同行ツアーというのは初めてだったの で、わからなかった。自由時間はほとんどないし、美術館の中も短時間で決まったところしか行けないので、見たいものも見られない。特に、フィレンツェが予想以上に短 すぎたのでがっかりした。

ホテルは団体向けで、まわり に何もなく食事も団体専用のレストランが多く普通以下だった。安いツアーだから仕方がないが。

フィレンツェ以外は調べなかったの で、意外に良かったところもあるが、あまりに移動距離が無理なほどで、ベローナやシエナ、ナポリは果たして行ったといえるのかと思うほど何も見ていない。 最低でもフィレンツェとローマのヴァチカン博物館はちゃんと見たい。

ツアーのいいところは、添乗員さんが なんでもやってくれる気楽さと、荷物運びをしなくていいこと、移動のことを考えなくていいこと、夕食をどうすればいいか悩まなくていいこと。それに、それ ぞれの場所で現地ガイドさんがきちんと説明してくれること、これはよかった。



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