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  イタリアの旧市街の街並みは、どの街を歩いても趣がある。色のさりげない統一感や色使い、スカイライン
の美しさは味わい深い。住民もそれを誇りにしているのが伝わってくる。高層化や勝手な調和を壊す建築
がないのも良い。規制もあるのだろうが。どの街に行っても、登れる塔や屋根があれば上ることにしている。
  外観は昔風のままに、内部を現在の生活に合わせて改装して使っているのも素晴らしい。イタリアは、
古代から現在まで、同じ土地の上に重なって構築されているため、遺跡や様々な時代の遺構が併存し
ているので、時間というものをいやでも意識させられる。数千年前、数百年前の断片がそこここにあるのだ
から。いつの時代の誰が建ててどう使っていたのか、知りたくなるものだ。
  イタリアの建築を理解するのは意外に難しい。地域ごとの独自色が強いこともあり外観・外形を眺めた
だけでは判断がつかないものも多い。イタリアの中世の情報もアルプス以北の情報に比べ、日本語で読
めるものが少ないこともあり、わからないことが多すぎる。そのため、街歩きのために極力事前に情報を集
めていた。その覚書を整理してみた。

建 築・彫刻編について

   (1)建築家

         古代から中世期は、建築技術、土木技 術は進んでいたが「大技術者」という概念の工匠、
    石工、工職で中世にいたっても名前が残るアーキテクトは少ない。建築の専門家としての地
    位が確立 するのはルネサンス期になってからで、ブレネレスキが最初といわれ、アルベルティが
    「建築論」で著わして明確に位置づけた。
         ルネサンス期に社会的事業に携わる者として職人と区別され、芸術家、デザイナーとして明
    らかに なって来る。但し、まだ専門職ではなく工芸や金細工、木工、彫刻、絵画からプラン
    ナーなど様々 な芸術分野を担当していた。特に、建築と彫刻は一体のものととらえられ、そ
    の区分は明確でない。

      
 
(2) 様式の混在

        
大聖堂など大規模建築は、数百年にわ たって長期間工事が断続的に行われた結果、建築
     様式 も一つの様式でくくれない場合が多い。また、創建当初のものがそのまま現存するものは
     ほとんどなく、修復を繰り返される場合も多い。また、イタリアも地震や大戦によっても大きく被
     害を受けている。基本的な部分で様式を区分しているが実際は混在していたり、新しくなって
     いる場合も多い。

(3)地域の独自性

        基本の様式に、それぞれの地域にあった独自性が、加 えられたものが多いのがイタリアの建築の
特徴でもある。ピサ様式とかルッカ様式とか。またゴシック期は、アルプス以北と違いロマネスクの
ような調和を重視するイタリアでは、独自の建築を重視したためわかりにくい。さらに、シチリアで
は、多様な文化を排斥しなかったノルマン時代の建築も多く残っていて、シチリアノルマン様式(パ
レルモ大聖堂)とかアラブノルマン様式(王宮・パレルモ)などが見られる。シチリアだけでなく地域
の歴史的要因が色濃く残るのも特徴である。


           建築・彫刻編  目次

 

       1)古代建築

       2)初期キリスト教建 築

       3)ビザンチン様式

       4)ロマネスク

       5)ゴシック

       6)初期ルネサンス

       7)盛期ルネサンス

       8)バロック


   1) 古代建築


          a)エ トルリア時代

            紀 元前9世紀頃、イタリア中部を中心に広がっていた都市国家群。ゆるやかな連合体であった。                  古代ギリシャとは異なった文化をもち高度な建築技術を持っていた。
            BC4世紀頃にはローマに吸収された。貴族文化も存在し、遺跡が各地に残る。墓所に工芸品                  や金属装飾が副葬されている。
  

                          アラトリの神殿 (ヴィラ・ジュリア 博物館(ローマ


  
        b)古 代ギリシャ        

                ギ リシャからの人口流入により南部を中心にイタリア各地に都市国家を形成し、ギリシャ文明  
             を定着させた。ギリシャ様式の外形的特徴は、重厚な神殿建築。屋根を支える柱の種類を
      オーダーと呼ぶが、柱頭のデザインは時代により、ドーリア、コリント、
イオニアなどの様式が形成
            された。
             また、リンテル(1本の石)を渡す構造のため列柱間の間隔がせまい。完全な遺構は少ない                           が各地に斜面を利用したギリシャ劇場が残っている。彫刻もあるが、現代に伝わっているのは、 
      ローマ時代の模刻したものが多く、古代ローマを通じて古代ギリシャを知ることになる。
                        

ギリシャ劇場(シラクサ
ギリシャ劇場(タオルミーナ    ギリシャ劇場                                

ギリシャ劇場(セジェスタ

神殿(セジェスタ

ポセイドンの神殿(パエストゥム

ヘラの第一神殿(パエストゥム

コンコルディア神殿(アグリジェント

ゼウス神殿(アグリジェント

人柱像テラモーネ(国立考古学博物館(アグリジェント

 c)古 代ローマ

    古代ギリシャと古 代ローマの建築様式の2大古典は後世の建築に強く影響を及ぼしている。
    特に、ルネサンス、バロックはギリシャ建築よりもローマ建築を手本としている。
     古代ギリシャとローマ建築はその初期は区分がつかないがローマ帝政期になるとローマらしさが
    現れる。一般的にギリシャ建築が柱の建築(柱と梁による配列のプロポーション)とすれば、古代
     ローマ建築は壁の建築として重厚さと権威を現すといわれる。
     古代ギリシャがギリシャ神話の神々をたたえる神殿建築が中心だったのに対し、ローマは広大
    な領土を支配するための帝政の権威を象徴する建物として対象が変わった。合わせて、現実の
    事象や肖像彫刻を発達させた。
     ローマ建築の特徴は、内部空間が発達した事、ヴォールトあるいはドームなどアーチ形を基本
    とする事。それにより多様な空間を形成できた。土木技術の高さ、コンクリートなどの材料開
    発、水道橋を作る石組み技術など後の建築に道筋をしめした。
     現代のローマ市内には多くのローマ建築や遺構を見ることができる。

         ヴェスタ神殿 (ローマ
フォルトリーナ神殿
(ローマ
バジリカ(ポンペイ

コロッセウム(ローマ              コロッセオ

ティトゥス凱旋門(ローマ

トラヤヌス記念柱(ローマ

フォロ・ローマーノ(ローマ

カラカラ浴場(ローマ

フォーリ・インペリアーノ(ローマ

ドムス・アウレア(ローマ

コンスタンチヌス凱旋門(ローマ

マクセンティウスのバジリカ(アッピア街道・ローマ

アウグストゥス廟(ローマ

アラ・パチス(ローマ

ミネルヴァ神殿(アッシジ

ローマ劇場(フィエゾーレ

カサーレ(ピアッツァ・アルメニーナ

アレーナ(ヴェローナ

パンテオン(ローマ

マルケス劇場(ローマ


2)初 期キリスト教建築

     コンスタンチヌス帝によるキリスト教 の公認以前は、一般の住居を集会所としており遺構としては
     カタコンベかネクロポリスとして残る程度しかない。 
     公認後、キリスト教建築として教会堂、霊廟、洗礼堂などが急速に作られた(4〜6世紀)。
     建築様式としては集中市域と長堂式(バジリカ)が今に残る。集中式は円形、六角形、八角
     形などの形態をとり空間が中心の一点に集中している。霊廟として多く見受けられ、その後洗礼
     堂が多く作られた。
     バジリカは中央の身廊の2方向を側廊として囲み、その間は列柱により分けられる。礼拝を集団
     で行うための教会堂として形成されていく。
     イタリアでは天井がアーチではなく木造のトラスをかけたものが多く残る。バジリカは、ロマネスクで
     は西正面、アプス、内陣、小礼拝堂などを組み合わされていく。
     ゴシックやルネサンス期の建築でも教会堂の基本構成はバジリカを継承するものが多い。初期
     キリスト教建築は原型のまま残っているものはほとんどない。改修や後の様式で再建されたもの 
     が多い。
     ラヴェンナに多く残っているのは東ローマ帝国が総督府を置いた拠点であったことによる。
     彫刻は、当初存在していない。キリスト教に改修した富裕層、貴族の石棺装飾がキリスト教美
     術としての彫刻のはじまりと言われる。

         

            (集 中式)

              ネオニ アーノ洗礼堂(ラヴェンナ  
              アリウス派洗礼堂(ラヴェンナ

              サンタコンスタンツァ霊廟(ローマ

              サンタンジェロ教会(ペルージャ         サンタンジェロ

              サントステファーノ教会(ローマ

              ガーラ・プラチディア霊廟(ラヴェンナ

              サンジョルジョ・イン・ラテラーノ聖堂・洗礼堂(ローマ

(バジリカ)

サンジョルジョ・イン・ラテラーノ聖 堂(ローマ 
サンパオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会(ローマ

サンタマリア・マジョーレ教会(ローマ

サンタ・サビーナ教会(ローマ

サンタ・ポリナーレ・ヌォーヴォ教会(ラヴェンナ

サンタ・ポリナーレ・イン・クラッセ教会(ラヴェンナ

3)ビ ザンチン美術

      東ローマ帝国(ビザンチン帝国)を中 心に発達した建築様式。イスラムやオリエントのドームの
       イメージ。アーチやドームの多用、正方形の平面上に大きな空間を創出する。
       ユスティチアヌス帝の時代、バジリカとドームを融合させた円蓋式バジリカが出現。これら異文
       化との融合と対抗の結果生み出されたとされる。
       初期はローマ建築と初期のキリスト教建築と区別できない。モザイク装飾が多用される。

   

       サンロレンツォ・マ ジョーレ教会(ミラノ
ガーラ・プラチディア霊廟(ラヴェンナ   ガラプラチディア

ネオニアーノ洗礼堂(ラヴェンナ

サンヴィターレ教会(ラヴェンナ

サンマルコ寺院(ヴェネチア

サンタマリア・アッスンタ教会(ヴェネチア

マルトラーナ教会(パレルモ

サンジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会(ローマ

サンパオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会(ローマ

4) ロマネスク様式

      

10世紀後半に開花し、11世紀に発 達した建築様式。
東方の初期キリスト教美術様式とローマ建築の技術を取り込んで発展した。平面的にはバジリカを
踏襲した長堂式、及び、ラテン十字が多い。
ヴォールト天井、2本のヴォールトが交差した交差ヴォールト、重量を支える厚い壁、開口部は半円アーチというのが特徴。
後期には、装飾的な重層アーチや上階になるとアーチが小さくなっていくなどの形が現れる。また、建物内部の構成が外部から想像がつく、分り易い形となって いく。
7、8世紀にロンヴァルディア地方でマエストロと呼ばれる建築集団の重厚、簡素な建築がロマネスク
の萌芽であったとされる。また、千年紀を越えたことに感謝してヨーロッパ各地で建築があいついだ。
ロマネスクの時代は地方の自治が生み出された時期。各地に職人と地元の材料によって地方色豊
かで多様な建築の隆盛をもたらした。(ロンバルディア、トスカーナ、ローマ、シチリアなど)
この頃、彫刻は建築に従属しており、独立した彫刻はまだない。柱頭部や柱に組み込まれていた。

ピサ大聖堂(ピサ           ピサ大聖堂
ピサ洗礼堂(ピサ

カンポサント(ピサ

サンマルコ寺院(ヴェネチア

サンミニアート・アルモンテ教会(フィレンツェ

サンジョヴァンニ洗礼堂(フィレンツェ

サンタンブロージョ教会(ミラノ

インティシマ・マリアドナート教会(ムラーノ

パルマ大聖堂(パルマ

モデナ大聖堂(モデナ

フェッラーラ大聖堂(フェッラーラ

プラート大聖堂(プラート

ピストイア大聖堂(ピストイア

ルッカ大聖堂(ルッカ

サンミケーレ・インフォロ(ルッカ

参事会教会(サンジミニャーノ

サンゼノ教会(ヴェローナ

サンニコラ教会(バーリ

サンルフィーノ大聖堂(アッシジ

サンタマリア・コスメディン教会(ローマ

サンクレメンテ教会(ローマ

モンレアーレ大聖堂(モンレアーレ
チェファルー大聖堂(チェファルー



5)ゴシック様式

         13世紀 から14世紀、ロ マネスクの後をうけた建築様式。アルプス以北の教会建築に多用された。
    天国への憧れを表現するとされ、高さを求める。厚い壁でなく尖塔アーチ、リブヴォー ルトをシステマ
    チックに用い、また、束柱状のつけ柱によりアーチの径間を非常に高くとれ、さらに、横への荷重をフ
    ライングバットレスで支え、高い柱と開口 を確保でき光を多く取り入れられる。結果、ステンドグラスも
    発達した。
    イタリアでは、こうしたゴシック建築様式を野蛮なゴート人的と軽蔑し、独自の様式を 発展させたた
    め、アルプス以北の教会建築のような建物は少なく、ロマネスクと融合した形も多い。むしろビザンチ
    ン美術の影響から教会の壁面を残したため壁 画も発達した。彫刻は、ジョヴァンニ・ピサーノらの
    登場と共に建築の従属物から徐々に脱し、自律していく。

            

シエナ大聖堂(シエナ
サンフランチェスコ聖堂(アッシジ                     サンフランチェスコ

サンタマリアデッラスピーナ教会(ピサ

サンタキアラ教会(アッシジ

オルビエート大聖堂(オルビエート         オルヴィエート大聖堂

サンタクローチェ教会(フィレンツェ

サンジョバンニ・エパオロ教会(ヴェネチア

サンタマリア・デ・フラーリ教会(ヴェネチア

サンロレンツォ・マジョーレ教会(ヴェネチア

ヴェッキオ宮(フィレンツェ

プブリコ宮(シエナ

プリオーリ宮(ペルージャ

ドゥカーレ宮殿(ヴェネチア

ジョットの鐘楼(フィレンツェ

カ・ドーロ(ヴェネチア

ミラノ大聖堂(ミラノ

ニッ コロ・ピサーノ 彫刻家。ピサ派と呼ばれる一派の始 祖。息子はジョヴァンニ・ピサーノ。説教壇はそれまで四角形であったものをピサでは、レリーフに囲まれた六角形のユニークな造形を生み出した。ジョバンニ と共に活動した。

説教壇(ピサ洗礼堂(ピサ
説教壇(シエナ大聖堂(シエナ

噴水円盤(大噴水の装飾(ペルージャ

ジョ ヴァンニ・ピサーノ
(1250 −1315)
彫 刻家、建築家、画家。ニッコロ(ニコラ)ピサーノの息子。父の工房で修行。ニッコロ         ピサーノと作品の区別がつかない。ピサ、シエナの作 品頃から生き生きとした人物表現に独自の表現が見られるようになった。ローマ美術とゴシック様式を調和させた特徴を形づくった。

説教壇(シエナ大聖堂(シエナ
大噴水装飾(ペルージャ

洗礼堂の外観装飾(ピサ洗礼堂(ピサ

説教壇とレリーフ(サンタンドレア教会(ピストイア

説教壇(ピサ大聖堂(ピサ

ア ンドレア・ピサーノ
(1290 −1348

彫 刻家、建築家。金細工師としてミーノ・ダフィエゾーレの弟子。より影響を受けたのはジョットでジョット風の大理石彫刻を作成。その後、ジョットの後任とし てサンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂の監督となる。その後、マイターニの設計 で進められていたオルヴィエート大聖堂の監督ともなる。オルカーニャは弟子の一人。ビザンチン美術、ジョットの作品から影響を受け、近代芸術の方向に向け た一人。

         洗礼者の埋葬
      (サンジョヴァンニ洗礼堂・南扉(フィレンツェ

4人の大予言者
       (ジョットの鐘楼のパネルレリーフ(フィレンツェ

七つの美徳(ジョットの鐘楼のパネルレリーフ(フィレンツェ

七つの秘跡(ジョットの鐘楼のパネルレリーフ(フィレンツェ

七つの慈悲(ジョットの鐘楼のパネルレリーフ(フィレンツェ

扉彫刻(オルヴィエート大聖堂(オルヴィエート

サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂の建築と監督
               (フィレンツェ

オルヴィエート大聖堂の建築と監督(オルヴィエート

ロ レンツォ・マイターニ
(1266 −1337)
建築家、彫刻家。シエナ出身。オル ヴィエート大聖堂のファサードはマイターニによるところが大きい。ファサードのつけ柱、フレスコ「預言者」は当初、ロマネスク様式で着工されたがゴシック やビザンチン様式風に変化させていった。 オルヴィエート大聖堂のファサード (オルヴィエート
ア ルノルフォ・ディ・カンビオ
(1245 −1302)
フィレンツェの彫刻家、石工。13世 紀を代表する巨匠。出自は不明、ニッコロ・ピサーノの弟子。ローマ彫刻の初期キリスト教の造形や宗教性にロマネスクの素朴さを融合させ、独自の表現を確立 した。イタリアのゴシックを導いた一人。

説教壇制作(シエナ大聖堂(シエナ
サンタクローチェ教会の設計(フィレンツェ

サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂の最初のプラン作成         (フィレンツェ

ヤ コボ・デッラ・クエルチャ ゴシックから初期ルネサンス期のシエ ナ派の彫刻家。ピサーノ、カンビオらの作品から影響を受けた。ブレネレスキ、ギベルティ、ドナテッロらと同時に生き活躍した。

       聖マウレリウス (フェッラーラ大聖堂(フェッラーラ
聖母子(フェッラーラ大聖堂(フェッラーラ

イラリア・デルガレットの墓碑(ルッカ大聖堂

ガイアの泉(カンポ広場(シエナ

ロレンツォ・トレンタの墓(サンフレディアーノ教会(ルッカ

受胎告知(コレッジャータ教会(サンジミニャーノ

聖母(コレッジャータ教会(サンジミニャーノ

カブリエル(コレッジャータ教会(サンジミニャーノ

洗礼者ヨハネ(洗礼盤・サンジョヴァンニ洗礼堂(シエナ

ポルタマグナ(サン・ペトロニオ大聖堂(ボローニャ

徳(プブリコ宮(シエナ
希望(プブリコ宮(シエナ

アッカ・ラレンティア(プブリコ宮 (シエナ







6) 初期ルネサンス

          

古典古代を理想とするルネサンス期の 建築様式。
ブレネレスキが古代ローマ建築を研究し、オーダー(柱の配分)や遠近法、さらにロマネスクの半円
アーチと半球状円蓋、コーニス(軒蛇腹)、コリント式円柱、付け柱などを調和させ、ゴシックから
発展させた。人体比例との調和を基本原理として理論付けられた。
ルネサンスの思考である「神のための建築から人間のための建築」へと移っていった。視覚的には
古代ローマの形態で、構造的には中世建築を受け継いでいる。平面プランは長堂形式とビザン
チンの集中式を融合させていて、構成は比例や数学的秩序を重んじている。
彫刻では、古代彫刻のリアリズム、力強さ、動きのダイナミズムを追求し、人物像のリアリズムの理
想形を表現するようになった。

            サンタンドレア教会(ローマ
               サンティーロ教会(ミラノ
                               サンタンドレア・デル・カルキナイオ教会(コルトーナ

                               スクオーラ・グランデ・ディ・サンマルコ(ヴェネチア

                               ピエンツァ大聖堂(ピエンツァ

                               マラテスタ宮(リミニ

                               サントスピリト教会(フィレンツェ

                               ピッティ宮(フィレンツェ

                               サンロレンツォ教会(フィレンツェ

                               リッカルディ宮(フィレンツェ

                               サンタ・マリア・デル・フイオーリ大聖堂(フィレンツェ

                               捨て子養育院(フィレンツェ

                               サンタクローチェ教会・ペルッツィ礼拝堂(フィレンツェ

                               ルッチェライ宮(フィレンツェ

                               サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(フィレンツェ   サンタマリアノヴェラ

                               ドゥカーレ宮殿(ウルヴィーノ

                               ファエンツァ大聖堂(ファエンツァ

ブ レネレスキ
(1377 −1446)
ル ネサンス期の建築家、彫刻家、金細工師。当初ピストイアの工房で彫刻と金細工師として活動。サンジョヴァンニ洗礼堂とシニョーリア広場を透視図法で描いた とされ、遠近法を発見した。サンジョバンニ洗礼堂の扉のコンペにギベルティらと参加。先進性が理解されず、ギベルティとの優秀作を辞退したといわれる。そ の後、ローマに移り古代ローマ建築を研究し構造と空間構成に着目し、オーダーを発見。サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂のクーポラ工事を二重構造によ り解決し成功させた。捨て子養育院は最初のルネサンス建築と言われる。

(彫刻)
イサクの犠性(バルジェッロ美術館(フィレンツェ

磔刑像(サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(フィレンツェ

(建築)
サンタ・マリア・フェリチタ教会(フィレンツェ

サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂、クーポラ(フィレンツェ

捨て子養育院(フィレンツェ

サントスピリト教会(フィレンツェ

ヴィーコピサーノの要塞(ピサ

ピッティ宮(フィレンツェ=確定せ ず、弟子の作品か
ド ナテッロ
(1386 −1466)
フィ レンツェ出身の彫刻家。どこで彫刻を学んだかは不明。ギベルティの工房で働いていたといわれる。ローマでブレネレスキと共に、彫刻の助手をしていた。最 初、金細工師となった。ローマ滞在中に古代建築を学ぶ。ブレネレスキは建築で、ドナテッロは彫刻で頭角を現す。透視図法による錯視的表現など彫刻 分野で突出した能力を示した。

カバルカンティの受胎告知                   
                         (サンタクローチェ教会(フィレンツ

トゥールーズの聖ルイ像(サンタクローチェ教会(フィレンツ

ペテロの饗宴(シエナ大聖堂・サンジョバンニ洗礼堂(シエナ

聖母被昇天(サンタンジェロ・アニューロ教会(ローマ

ダビデ像(バルジェッロ美術館(フィレンツェ

ガッタメーラ騎馬像(サンタントニオ大聖堂広場(パドヴァ

イサクの犠性(ドォーモ付属美術館(フィレンツェ

マグダラのマリア像(ドォーモ付属美術館(フィレンツェ

福音史家ヨハネ(ドォーモ付属美術館(フィレンツェ

聖歌隊席(ドォーモ付属美術館(フィレンツェ

預言者ハバクク(ドォーモ付属美術館(フィレンツェ

ヒゲのある預言者((ドォーモ付属美術館(フィレンツェ

ヒゲのない預言者(ドォーモ付属美術館(フィレンツェ

聖マルコ像(オルサンミケーレ教会(フィレンツェ

聖ゲオルギウス像(バルジェッロ美術館(フィレンツェ

カメオの少年(バルジェッロ美術館 (フィレンツェ 
レ オン・バチスタ・アルベルティ
(1404 −1472)
初期ルネサンスの人文学者、理論家、 建築家。数学や詩、絵画、彫刻、建築など万能人といわれた天才。現存する作品は少ない。ブレネレスキ、ドナテッロ、マザッチョらと親交があり、「絵画論」 も著わした。ウィトルウィルスの建築論を学んだと思われる。建築論も著わした。

ルッチェライ邸(フィレンツェ
サンタマリアノヴェラ教会正面の設計(フィレンツェ

サンセバスティアーノ教会の設計(マントヴァ

サンタンドレア教会の設計(マントヴァ

サンティシマアンヌンツィアータ教 会・後陣設計(フィレンツェ
ル カ・デッラ・ロッビア
(1400 −1481)
フィ レンツェ出身。テラコッタの丸皿で知られる。ルカ以降、ロッビア一族は土器芸術で有名になる。アンドレア(甥)とその息子ジョバンニ、へとつながってい く。ルカがどこで学んだかはわかっていない。ロッビア一族の作成した彩色したテラコッタは各地の教会、美術館で見ることができる。捨て子養育院のアーチの メダイヨンはアンドレアの作。

聖歌隊席(ドォーモ付属美術館(フィ レンツェ
聖具室扉(サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂

キリストの復活(サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂

キリストの昇天(サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂

十二使徒
 (サンタクローチェ教会・パッツィ家礼拝堂(フィレンツェ

キリスト誕生(サンミニアート・アルモンテ教会(フィレンツェ

聖母子(サンミニアート・アルモンテ教会(フィレンツェ

テラコッタの天井(サンミニアート・アルモンテ教会(フィレンツェ

聖母と聖人達(国立マルケ美術館(ウルビーノ

ロ レンツォ・ギベルティ
(1381 −1455)

初 期ルネサンスの彫刻家、金細工師。鋳造技術に優れている。現在にも通用するレベルという。工房はウッチェルロ、ドナテッロ、ミケロツォらの後に優れた芸術 家となる弟子を輩出した。1401年のサンジョバンニ洗礼堂のコンペでブレネレスキらと競い選定された。競った作品がバルジェッロ美術館に並べて展示され ている。

ネメギウスの墓碑(バルジェッロ美術 館(フィレンツェ
イサクの犠性(バルジェッロ美術館(フィレンツェ

洗礼者ヨハネ(オルサンミケーレ教会(フィレンツェ

聖マタイ(オルサンミケーレ教会(フィレンツェ

聖ステファノ(オルサンミケーレ教会(フィレンツェ

キリストの生涯
           (サンジョヴァンニ洗礼堂・東扉(フィレンツェ

リオナルド・ダーライの墓碑
             (サンタマリア・ノヴェラ教会(フィレンツェ

聖サビーノの墓碑
    (サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂(フィレンツェ

三人の殉教者(サンタマリア・デリ・ アンジェリ教会
ミ ケロッツォ
(1396 −1472)
初 期ルネサンスの彫刻家、建築家。ブレネレスキやアルベルティほどの特徴を持たないが、広くブレネレスキのデザインを広めた。当初、ギベルティの弟子となる も、ドナテッロと共同で工房を開く。後年は建築を主として、サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂の造営をブレネレスキから引き継いだ。

リッカルディ宮(フィレンツェ
サンマルコ教会・聖具室・図書室(フィオレンツェ

サンタマリア・デッレ・グラチエ教会(ピストイア

ボルティナーリ礼拝堂(ミラノ

ヴェ ロッキオ
(1435 −1488)
ルネサンス期の画家、彫刻家。建築、 鋳造家なども扱う工房をもっていた。ダヴィンチの師匠。メディチ家との関係も深い。

ニッコロ・フォルテグェッリ記念碑
                          (ピストイア大聖堂(ピストイア

ドォーモの円球と十字架
     (サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂(フィレンツェ

コッレオーニ騎馬像
   (サンジョバンニ・エ・パオロ教会前広場(ヴェネチア

イルカの天使(ヴェッキオ宮(フィレンツェ

ダヴィデ像(バルジェッロ美術館(フィレンツェ

ジョヴァンニ・メディチの墓碑(フィレンツェ

ベ ネディツト・ダ・マイアーノ
(1442 −1497)
ルネサンス期の彫刻家、木工細工師、 建築家。ジュリアーノ・ダ・マイアーノの弟。

聖具室の戸棚寄木細工
   (サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ

ジョットの胸像 
    (サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ

十字架像
   (サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ

受胎告知
   (サンタ・アンナ・ディ・ロンバルディア教会(ナポリ

聖アヴィヌスの墓碑(ファエンツァ大聖堂(ファエンツァ

ピエロ・メッリーニの説教壇
    (サンタクローチェ教会(フィレンツェ

ストロッツィ宮(フィレンツェ








7) 盛期ルネサンス

         

古典主義をより動きやダイナミズムな 表現へと完成させていく。技術面でも革新され、調和性や
優美さを表現する技法が発達。彫刻では、裸体彫刻が出現。ドナテッロの革新性が大きく働い
た。
彫刻分野が一層、ギリシャ・ローマ芸術を復興させていく。当然ながら、再現性やリアリティーに優
れていた。ドナテッロらを刺激したのは十字軍の遠征による東方美術の影響が大きい。一方でミケ
ランジェロ作品に対する教会の反動、異教化への反発も起きていた。

             カンピ ドーリオ広場(ローマ
       サンタマリア・デッレ・グラティエ教会(ミラノ
       サンタマリア・デッラ・パーチェ回廊(ローマ
       サンピエトロ・イン・モントリーナ教会テンピエット(ローマ   テンピエット
       サンピアジオ教会(モンテプルチャーノ
ヴィラ・アマーダ(ローマ


ド ナート・ブラマンテ
(1444 −1514)
盛 期ルネサンスを代表する建築家。ウルヴィーノ近郊の出身。当初、画家をめざしマンテーニャに学ぶ。ミラノ公ルドヴィーゴ、スフォルツァ家に仕え建築に携わ る。ミラノでダヴィンチに出会い集中形式の教会プランを学ぶ。ローマ建築を再構築して古典主義建築の普及に貢献した。サンピエトロのプランは構造的な問題 を抱え、また推進者であったユリウス2世に死により混乱。後に、ラファエロ、ミケランジェロらの建築家が引き継ぐことになる。

サンタマリア・プレッソ・サンティー ロ教会(ローマ
パヴィア大聖堂の設計顧問

サンタマリア・デッレ・グラチエ教会(ミラノ

テンピエット
(ローマ
サンピエトロ大聖堂・建築主任(ヴァチカンb

サンタマリア・デラ・パーチェ教会中庭
(ローマ

ラファエロの家(ウルヴィーノ
ア ントニオ・サンガッロ
(1484 −1546)
盛期ルネサンスの建築家、軍事技 術者。サンガッロ一族の中で最も著名。ラファエロの没後、ローマで活躍、イタリアルネサンスの理念を追求した建築家。ローマの政変時にはラファエロやミケ ランジェロと反目するなど、スムーズに建築されたプロジェクトは少ない。

バルダッシーノ邸(ローマ
ファルネーゼ宮(ローマ

サンタマリア・デル・モンセラート教会(ローマ
バッソ要塞(フィレンツェ

ア ンドレア・デッラ・ロッビア
(1435 −1525)
ルネサンス期のセラミック彫刻家。ル カ・デ・ロッビアの甥。セラミックの釉薬を使う第一人者。アンドレアの工房は息子のジョヴァンニ・デッラ・ロッビアが受け継いだ。実際のところ、素人には ロッビア一族の誰の作品か区別するのは難しい。 

幼児のメダリオン(捨て子養育院 (フィレンツェ
受胎告知(捨て子養育院(フィレンツェ

聖フランチェスカと聖ドミニクの会談
                  (ロッジャ・デサンパオロ(フィレンツェ

秣桶の中の幼児を崇める聖母
         (バルジェッロ美術館(フィレンツェ

大祭壇(サンタマリア・デッラ・グラチエ教会(アレッツォ
円天井とポーチの装飾(ピストイア大聖堂(ピストイア

ベ ネディット・ダ・マイアーノ
(1442 −1597)
ルネサンス期の彫刻家・木工細工師。 ジュリアーノの弟。ジュリアーノの仕事であったサンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂の寄木細工の助手を務めた。

聖サヴィヌスの墓碑((ファエンツァ 大聖堂(ファエンツァ
説教壇(サンタクローチェ教会(フィレンツェ

ジョットの胸像
   (サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂(フィレンツェ

受胎告知(サンタ・アンナディ・ロンバルディ教会(ナポリ
十字架像(サンタマリア・デッレフィコーリ教会(フィレンツェ

ジュ リアーノ・ダ・マイアーノ
(? −1490)
ルネサンス期の彫刻家、木工細工師。 ベネディットの兄。実際は兄弟の作品を区別することが素人には無理。

聖具室の寄木細工
   (サンタマリア・デル・フィォーリ大聖堂(フィレンツェ

謁見の間・扉(ヴェッキオ宮(フィレ ンツェ

ジュ リオ・ロマーノ
(1499 −1546)
建 築家、画家。盛期ルネサンスの後期に幻想的なマニエリズム表現を展開した。ラファエロの工房で学んだといわれる。マントヴァのゴンサーガ家に仕え、幅広い 仕事をした。権威を得て、特権的に活動。古典主義にとらわれず自由に制作できた。だまし絵なども描いた。ヴァチカンの壁画も参加し、ラファエロの死後、受 け継ぎ完成させた。

グロックの居室(パラッォ・ドゥカー レ(マントヴァ
パラッツォ・デル・テ(マントヴァ

ロマーノ自邸(マントヴァ

ヴィラ・ドゥリーニ(ローマ

パラッツォ・スターティ(ローマ

パラッツォ・ティエーネ(ヴィチェンツァ
マントヴァ大聖堂(マントヴァ

ミ ケランジェロ
(1475 −1564)
い わずと知れたルネサンスの万能人。彫刻家、建築家、詩人。西洋美術史上、影響力は大きい。彫刻以外の作品の数は少ない。ギルランダイオに弟子入りし、メ ディチとも関係ができ、アカデミーにも参加し、フィチーノ、ミランドラ、ポリツィアーノらの人文主義者とも交流。ベルトルド・ジョヴァンニに彫刻を学んだ とされる。メディチ家の盛衰と共にミケランジェロも変遷する。ダヴィンチとの確執、裸体表現を巡る教会との確執もあったが才能は高く評価された。世紀ルネ サンスを完成させた一人。マニエリスム様式への展開も見られる

(彫刻)
階段の聖母(ブオナロッティ邸(フィレンツェ
ケンタウロスの間(ブオナロッティ邸(フィレンツェ
キリスト磔刑(サントスピリト教会(フィレンツェ
ピエタ(サンピエトロ寺院(ヴァチカン
ダヴィデ像(アカデミア美j術館(フィレンツェ
モーゼ像(サンピエトロ・ヴィンコリ教会(ローマ
ミネルヴァとキリスト   
     (サンタマリア・ソプラ・ミネルヴァ教会(ローマ
ピエタ(ドォーモ付属美術館(フィレンツェ
ロンダーニのピエタ(スフォルツァ城博物館(ミラノ
メディチ家礼拝堂(フィレンツェ
天井画(システィーナ礼拝堂(サンピエトロ寺院(ヴァチカン
最後の審判
  (システィーナ礼拝堂(サンピエトロ寺院(ヴァチカン
聖家族(ウフィッィ美術館
新聖具室・メディチ家の墓碑(メディチ家礼拝堂(フィレンツェ

(建築)
ララウレンツィアーナ図書館
       (サンロレンツォ教会付属(フィレンツェ
サンピエトロ寺院(ヴァチカン
セッ ティニャーノ
(1430 −1464)

ルネサンス期の彫刻家。浅浮彫に特 徴。

カルロ・マルスッピーニの墓碑 
   (サンタクローチェ教会(フィレンツェ

智天使
(サンタクローチェ教会・パッツィ家礼拝堂(フィレンツ

マッダレーナ(サンタトリニタ教会(フィレンツェ
タベルナクル
(サンロレンツォ教会サクラメント礼拝堂(フィレンツェ

チェッ リーニ
(1500 −1570)

ルネサンス期の画家、彫刻家、音楽 家。

コジモ・ディ・メディチの胸像
       (バルジェッロ美術館(フィレンツェ
ペルセウス像(シニョーリア広場のロッジア(フィレンツェ

ヤ コボ・サンソヴィーノ
(1486 −1570)
ヴェ ネチアの盛期ルネサンス建築を主導した建築家、彫刻家。フィレンツェのアンドレア・サンソヴィーノのもとで修行し、名を譲り受けた。ローマ略奪後ヴェネチ アに逃れサンマルコ寺院のドーム修復に加わり、その後、修復監督に就任。ゴシック色が強かったヴェネチアの邸宅建築に古典主義的な様式を導入した。

パラツォ・コルネル・デッラ・グラン デなど邸宅建築多数
                (ヴェネチア

サンマルコ図書館(ヴェネチア
サンマルコ広場(ヴェネチア
ア ンマンナーティ
(1511 −1592)

建築家、彫刻家。バンディネッリとサ ンソヴィーノの弟子。ジャンボローニャの師。彫刻より建築分野の実績のほうが有名。

 (彫刻)
ネプチューンの噴水(シニョーリア広場(フィレンツェ
冬の寓意(メディチの別荘(フィレンツェ
レダと白鳥(バルジェッロ美術館(フィレンツェ
ヴィクトリー(バルジェッロ美術館(フィレンツェ
パルナッソス(バルジェッロ美術館(フィレンツェ

(建築)
ヴィラ・ジュリア(国立博物館(ロ−マ
ピッティ宮の増築(フィレンツェ
サンタトリニータ橋(フィレンツェ

ジャ コモ・パロッツィ・ダ・ヴィニョーラ
(1507 −1573)
16 世紀マニュエリスムを代表する建築家。ボローニャで建築家となり古代ローマの神殿を研究し、神殿の建築オーダーの体系化を行い建築書を著わす。ファルネー ゼ家にも仕え、ミケランジェロの下で仕事をする。ミケランジェロに影響され、サンピエトロ寺院の工事に携わった。ミケランジェロの後を引き継ぐ。

ヴィラ・ジュリア(ローマ
ヴィラ・ファルネーゼ(カプラローラ
ヴィラ・ランテ(ヴィテルボ
ジェス教会(ローマ
サンタマリア・デリ・アンジェリ教会(アッシジ
サンタンドレア・イン・ヴィアフラミニア(ローマ

パッ ラーディオ
(1508 −1580)
パ ドヴァ生まれの建築家。石工のカヴァファの工房に入ったがヴィチェンツァのジョヴァンニ・ディ・ジャコモの工房に移る。人文学者ジョシャ・トリッシから建 築家を勧められると同時にローマ建築や数学を学ぶ。ウィトルウィルスの建築書などローマの古代建築を研究。ヴィチェンツァにもどりそこで活躍した。平面図 をもとに空間を設計した最初の建築家。アーチと柱を組み合わせ、セルリアーナと呼ばれる開口部やオーダーに特徴あるマニエリスムの建築家。建築以外の分野 は扱わず、最初の専門建築家と言われる。

パラッォ・デッラ・ラジョーネ(ヴィ チェンツァ
パラッォ・ボルト(ヴィチェンツァ

パラッォ・キエリカーティ(ヴィチェンツァ

パラッォ・バルバロ(ヴィチェンツァ

パラッォ・ベドエル(ヴィチェンツァ

パラッォ・アルメリコ(ヴィチェンツァ

サンジョルジョ・マッジョーレ教会(ヴェネチア
イル・レデントーレ教会(ヴェネチア

フ ランチェスコ・モーキ
(1580 −1654)
彫刻家。ジェンボローニャなどとマニ エリスムの影響を強く受けた作品を作る。

受胎告知の聖母(ドォ―モ博物館 (オルヴィエート
受胎告知の天使(ドォ―モ博物館(オルヴィエート

ラヌッチとアレッサンドロ・ファルネーゼの騎馬像
            (カヴァリ広場(ピアチェンツァ
キリストの洗礼(ブラスキ宮(ローマ

ジャ ンボローニャ

(1529 −1608)


後期ルネサンス、マニュアリス ムの彫刻家。ミケランジェロの影響を受けたが感情表現を明確に表し優雅さを求めた。ボローニャやフィレンツェで活躍。コジモ1世のアカデミアの会員となり ヴァザーリやメディチ家との関係が深い。動きのある彫刻は魅力。

ネプチューンの噴水(マジョーレ広場 (ボローニャ
彫刻の寓意(バルジェッロ美術館(フィレンツェ

サビニの女達の略奪
        (シニョーリア広場のロッジア(フィレンツェ

ボーボリ庭園内の彫刻(ボーボリ庭園 (フィレンツェ
青銅の扉(ピサ大聖堂の扉(ピサ

リ ゴーリオ
(1510 −1583)
ルネサンス期の建築家。ハドリアヌス 帝の別荘の発掘など古代建築の研究も行った。     パッラーディオと並ぶイタリア貴族の邸宅や別荘を多く手掛けた。またイタリア式庭園の基本スタイル を作った。

ヴィラエステ(ティボリ
ボマルツォの怪獣庭園(ヴィテルボ郊外





8) バロック
    

ルネサンスに発達した調和を優先した 様式から、動きや不規則性に加え、彫刻、絵画、建築などが一体として関連づける空間構成を追求した様式。それだけに多様性がある。一見すると古代様式の回 帰と見えるが装飾性や重厚さが現れた。
反宗教改革によるローマ教皇や権力をもった国王らが強大な威光を伝える手段として芸術を活用するなど、理性より感性に訴える様式といえる。分り易い表現の ため伝播力がありヨーローッパ全域に広がり長い間影響力をもった。
基本的に四角や三角といった安定感だけでなく演劇的空間として楕円や曲線、ねじれなど装飾性が強く表れる。現代ローマはバロック様式であふれている。
彫刻はベルニーニの作品に現れる。
     

サンジョルジョ・マジサンタ・サビ アーナ教会ファサード(ローマ
パラッォ・バルベリーニ(ローマ

パラッツォ・ペーザロ(ローマ

サン・ロレンツォ教会(トリノ

トレヴィの泉(ローマ

シラクサ大聖堂(シラクサ       シラクサ大聖堂

サンタニェーゼ・インアゴーネ教会(ボローニャ

サンタマリア・デルポポロ教会・キージ家礼拝堂(ローマ

ピア門(ローマ

ウフィッツィ美術館(フィレンツェ

サンピエトロ大聖堂広場(ヴァチカン

サンタンドレア・アルクイリナーレ教会(ローマ

パラッツォ・モンテチトーリオ(ローマ

サンカルロ・アッレクワトロフォンターネ教会(ローマ

サンタンドレア・デッレフラッテ教会(ローマ 

サンタイーヴォ・アッラ・サピエンツァ教会(ローマ

サンタマリア・デッラ・パーチェ(ローマ)

サンタマリア・デッラ・サルーテ教会(ヴェネチア

サンタマリア・デッラ・ヴィットリーア教会(ローマ

サンタ・スザンナ教会(ローマ

サンタンドレア・アル・キリナーレ教会(ローマ

サンタンドレア・デッラヴァッレ教会(ローマ

サンタンドレア教会(マントヴァ

パラッォ・デル・テ(マントヴァ

ヴィラ・ファネジーナ(ローマ

パラッツォ・マッシモ(ローマ

イル・ジェス教会(ローマ

パラッツォ・マリーノ(ミラノ市庁舎(ミラノ

サンマルコ広場(ヴェネチア

パラッツォ・ツッカリ(フィレンツェ

パラッツォ・ラジオーネ(ヴィチェンツァ

ラ・ロトンダ(ヴィチェンツァ

イル・レデントーレ教会(ヴェネチア

ロ レンツォ・ベルニーニ
(1598 −1680)
バ ロックを代表する彫刻家、画家、建築家。彫刻は父、ピエトロ・ベルニーニに学び、建築はマデルノに師事した。ピエトロは彫刻家として名をなしており各教皇 のための彫刻や建築に参加(サンタマリア・マジョーレ大聖堂の洗礼堂内の聖母被昇天など)しておりロレンツォはま近で見て図像学や建築との融合を身に付け たといわれる。ローマ市内各所に装飾性の高い作品を多数残しいる。

 (彫刻) 
プロセルピナの略奪(ボルゲーゼ美術館
アイネイアスとアンキーセーヌ(ボルゲーゼ美術館
ダビデ像(ボルゲーゼ美術館
アポロとダフネ(ボルゲーゼ美術館
マリアラッシの記念碑(ボルゲーゼ美術館

トリトーネの噴水(バルベリーニ広場

蜂の噴水(バルベリーニ広場

聖テレジアの法悦(サンタマリア・デッラ・ヴィットーリア教会

四大河の噴水(ナヴォーナ広場

イノケンティウス10世の胸像(ドーリア・パンフィーリ美術館

ミネルヴァオリベスク(サンタマリアソプラ・ミネルヴァ教会

ダニエルとハバククと天使
    (サンタマリア・デルポポロ教会キージ家礼拝堂

福者ルドヴィカ・アルベルトーニ 
    (サンフランチェスコ・アリーパ教会

 (建築)
サンピエトロ寺院天蓋(サンピエトロ寺院
バルベリーニ宮
モンテチトーリオ宮
サンピエトロ広場
サンタンドレア・アッレ・クイリナーレ教会
キージオデスカレキ宮

 (*全てローマ市内)

カ ルロ・マデルノ
(1556 −1629)
スイス系イタリア人の建築家。彫刻家 ステファーノ・マデルノとは兄弟?。ローマに出てドメニコ・フォンターナの下で修行し建築家になる。マニエリスムからバロック様式への最初のファサード の一つとされるサンタ・スザンナ教会などローマで各種の建築に携わる。

サンタ・スザンナ教会ファサード
サンピエトロ寺院をミケランジェロのプランを修正

サンタンドレア・デッラ・ヴァーレ教会(ファサードとドーム)

サンタマリア・デッラ・ヴィットーリア教会

サンジョヴァンニ・ディ・フィオムティーニ教会

クイリナーレ宮

聖ロレンツォ礼拝堂(サンパオロ・ フォーリ・レ・ムーラ大聖堂
カエターニ礼拝堂(サンタ・プデンツァーナ教会

ピエ トロ・ダ・コルトーナ
(1596 −1669)
ベルニーニと共にバロック美術の発展 に役割を果たした画家、建築家。作品は建築、絵画共に副次的なものが多く完結した作品は少ない。

サンタマリア・デッラ・パーチェ教会 (ローマ
サンタマリア・イン・ヴィアラータ教会(ローマ

ボッ ローミニ
(1599 −1667
イ タリアのバロックを代表する建築家の一人。父はヴィスコンティ家に仕えた建築家。バロック建築の中でも曲面を多用する不思議な構成を得意とした。自身は石 工としてスタートしサンピエトロ大聖堂に石工として参加。その際、マデルノの助手となる。マデルノの後任にベルニーニが主任となり、ベルニーニの下で仕事 をするもベルニーニと合わず決別した。

サンカルロ・アッレ・クワトロフォン ターネ教会(ローマ
サンティーヴォ・デッラ・サピエンツァ教会(ローマ

サンジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ

サンタニェーゼ教会(ローマ
スパーダ宮・遠近法の間(ローマ

ス テファーノ・マデルノ
(1591 −1666)
彫刻家。

聖チェチーリア像
(サンタチェチリア・イン・トラステヴェレ教会((ローマ

カ ノーヴァ
(1757 −1822)

裸体表現の大理石像が有名。バロック の過剰な演出から古典主義の洗練さを目指す。   新古典主義を代表する彫刻家。

ハーバー(フォルリ美術館(フォルリ
ナポレオン(ブレラ美術館(モラノ

ペルセウスとメデューサ(ヴァチカン博物館
ピラミッド
(サンタマリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会(ヴェネチア







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