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        イタリア美術の中で最も特徴的なのは、近代絵画につながる絵画の革新性ではないかと思う。それが古代から具体的に
見渡せる点が面白い。

一つ一つの作品からうける感動と同時に、どのように表現を追求してきたのか、それも
様々な時代の 多くの作家が取り組ん
できたかを感じ、知ることができる。

    イタリアの街歩きと美術を楽 しむために、管理人の関心に偏っているが中世からバロック期の絵画を鑑賞するための覚書である。
取り上げている作家や作品は限られた一部のものでしかない。

     一応、時系列に様式でまとめ ている。さらに、その様式に含むと考えられる作家と主要作品リスト(イタリア国内のみ)を整理し
    てみた。


              絵画編 目次

       1)古代美術(エトル リア・古代ギリシャ・古代ローマ)

       2)初期キリスト教美 術

       3)ビザンチン美術

       4)ロマネスク

       5)ゴシック

        6)国際ゴ シック

       7)初期ルネサンス

       8)盛期ルネサンス

       9)ヴェネチア派

       10)マニエリスム

       11)バロック

1) 古代美術

      a)エ トルリア時代

紀元前9世紀頃、イタリア中部を中心 に広がっていた都市国家群。ゆるやかな連合体であった。
古代ギリシャとは異なった文化をもち高度な建築技術を持っていた。BC4世
紀頃にはロー マに吸収された。
然主義的な人体と空間の描写がネクロポリス(墓室)の装飾に残る。

   ・BC5世紀頃の墓室遺跡内の壁に描かれた壁画

                → タルクィーニャ(ローマ近郊の都市
                                       → チェルヴェテリ(国立チェリテ博物館・ローマ近郊の都市         

          b)古 代ギリシャ

                ギリシャの人口増加により地中海周辺 へ都市国家を開拓。ギリシャ文明がもたらされ土木技術や建築・彫刻が発達。
          現存しているのは遺跡に残された壁画が中心。彫刻やレリーフに比べ保存状態のためわずかし
          かない。

      c)古 代ローマ

          古 代ギリシャ文明と共に後代のイタリア美術が生み出された背景として大きな影響をもたらした。ローマの絵画はポンペイとヘルクラネイムで発掘されたものに多 くを依存している。ギリシャ美術と違い、風景画が発達している。ローマ帝国の美術としては共和制末期からコンスタンティヌス1世以前の帝政期の美術。ギリ シャ・ヘレニズム美術の延長にあり美意識を継承している。

 

         ・ポンペイ遺跡の モザイク画          
・エルコラーノ(ローマ近郊の都市

・リヴィア家のフレスコ(マッシモ宮・ローマ国立博物館・ローマ     リヴィア家壁画

・オスティア遺跡のモザイク(オスティア・アンキア(ローマ近郊

・女性の肖像(ポンペイ遺跡から・ 国立考古学博物館(ナポリ

・ビキニの女性(ピアッツァ・アルメリーナ(シチリア

 

 

     2) 初 期キリスト教美術

ローマ帝政期、カタコンベは様々な宗 教が混在していた。偶像崇拝を禁じていたキリスト教は図像を表現しな
かったが、他の宗教が装飾的表現や記号を表しているのに倣って、記号や象徴としての動植物(ハト、魚、花
など)を描くようになった。

               ・カ タコンベの葬礼美術としてキリスト教絵画が誕生
        ・プリシッラのカタコンベ(ローマ

        ・カッリストロのカタコンベ゙(ローマ・アッピア街道

        ・サンセバスティアーノのカタコンベ(ローマ・アッピア街道

        ・サンタニェーゼのカタコンベ(ローマ・ノメンターナ街道       サンタニェーゼ

          宗教建築(バジリカ、記念堂、洗礼堂など)の登場(4世紀)に合わせて教会絵画が飛躍的に進む(フレスコ、
モザイク)。

目に見えない霊的世界を描くのが当初 の絵画。神聖な領域と現世を区別する表現(光背をつける、スケール
を変える、単彩と多彩色での区別など)が描かれ、中世へと続く。

  4〜5世紀「教会の勝利」の時代 に大きく変化。内陣にキリストの図像が現れる。また空間の認識と形の表現、
象徴的記号が発達、教化のための視覚化、物語表現も現れる。

               ・ 4C キリストと使徒達「プデンツァーナ教会のモザイク」(ローマ 
               ・キリストと殉教聖人達「サンタコスマ・サンダミアーノ教会のモザイク

               ・5C ガーラ・プラチディアの霊廟のモザイク(ラヴェンナ          

               ・コンスタンツァ霊廟のモザイク(ローマ                    

               ・サンタマリア・マジョーレ教会(ローマ

   5〜6世紀、教化のプログラムが確 立。ユダヤ教から受け継いだ教会内部の位置の象徴化も確立(内陣のア
プシスは霊的世界を表す)、背景が消失し、金地が導入され、彩雲(顕現のしるし)などが定着していく。
また、聖書にある主題が図像化されてくる。

               ・ 5〜6C サンタポリナーレ・イン・クラッセ教会(ラヴェンナ

 

     3) ビ ザンチン美術

5C〜15C、ギリシャ、ヘレニズ ム、古代ローマの古典の影響を受けながら東方美術の要素で構成された教会と
教義のための美術。人間の憧景を表現。神性を人間性の表現としない東方起源の概念で構成する。
純粋に線的構成で二次元空間として平坦な表現、色彩による構成、ヴォリュームや遠近を無視し、人体表現
の感覚をもたない精神至上主義の美術。

               ・サンヴィターレ教会(ラヴェンナ                サンヴィターレ
        ・サンタマリア・マジョーレ教会(ローマ

           ・サンジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(ローマ

       ・サンタポリナーレ・イン・クラッセ教会(ラヴェンナ       モザイク

       ・サンタニェーゼ教会のフレスコ(ローマ

       ・サンタポリナーレ・ヌォーヴァ教会(ラヴェンナ

       ・マルトラーナ教会のモザイク(パレルモ

       ・サンタ・プラッセーデ教会(ローマ

       ・サンマルコ寺院(ヴェネチア

 4)ロ マネスク様式
          

                     ローマ帝国の崩壊後、キリスト教の繁栄と共に拡大した中世美術。建築に付随した壁画に多用。ロマネスク様式の
    建築は開口が少ないため壁面を利用したフレスコによる装飾、外壁や柱頭に彫刻が採用されていく。モザイク同様にビ
    ザンチン様式の影響が強い。聖人を描く場合は正面性が守られる。金の使用は聖なる光を表す。 
      図像プログラムが整い、「勝利のキリスト」は両目を開き身体を直立させる。「苦しみのキリスト」は両目を閉じ、顔を下
    に向け体を線的によじるなどが定型化される。聖堂内の装飾体系が堂内の位置と象徴的意味が結びつけられ形成され
    ていく。聖堂は宇宙を、クーポラは全能者キリストが現れる空、アプシスは地上の教会を表す聖母、内陣は聖体の主題、
    もしくは教会が称える人物を、身廊にはキリストと聖母の生涯が図像プログラムとなり旧約の主題を中心に発達してくる。

 モザイク装飾はビザンチン帝国と緊 密だったヴェネチアとシチリアに多く残る。

              ・サン マルコ寺院のモザイク(ヴェネチア
              ・パラチーナ礼拝堂 (パレルモ

              ・ラ・マルトラーナ教会(パレルモ

              ・モンレアーレ大聖堂(モンレアーレ

              ・サンクレメンテ教会地下(ローマ

              ・サンタ・チェチリア・イン・トラスレヴェレ教会(ローマ          トラステヴェレ

              ・サンタ・プデンツァーナ教会(ローマ

              ・サンタマリア・イン・コスメディン教会(ローマ

              ・サングレゴリオ礼拝堂(サンベネディト修道院・スピアコ

              ・サンフランチェスコ聖堂・下堂(アッシジ

              ・キリストと聖女と聖人(ウフィッィ美術館・フイレンツェ

              ・マルガレート・ダレッツォ(中世近世美術館・アレッツォ


    5) ゴシック様式

10世紀末から15世紀、中世ロマネ スクに続く様式。ロマネスク、ビザンチンに比べ自然主義の傾向が現れるよう
になり、13世紀後半にイタリアの芸術家の中から生み出され、以降ヨーロッパ全体に広がり15世紀 後半を主導し
た。
初期はキリスト教の教化のために描かれビザンチンの影響が強かったが徐々に精神性や説得力のある表現が生ま
れてゆく。遠近法的な空間認識、ボリュームのある立体感、物語を表現する時間の流れ、人物の表情やしぐさの
表現が現れる。

イタリアでは、フィレンツェ、シエナ など中部で盛期に向かっていく。立体感のあるモデリングや繊細な色彩により本格
的な絵画の変革の時代となった。
サンフランチェスコ聖堂(アッシジ)の装飾にジョット、シモーネ・マルティーニら多くの画家が参画したが、ここでの交流
がゴシック美術を豊かにする大きな機会となった。(ガッディ父子、マーゾ・ディ・バンコ、スピネッリ、アレティーノ、アル
ティキエーロら)

     6) 国際ゴシック様式

           14世紀から15世紀、アビニョンに教皇庁が移った際にシエナ派の芸術家の活動がきっかけとされる。後期ゴシックか
ら初期ルネサンスに至る過渡期、凝った色彩、人体に動きのある表現をもたらした。ジョットが表現したような表現
上の革新性はない。優美さ精密な写実的表現はルネサンスへと受け継がれた。

この表現はフィレンツェではルネサン スに、アルプス以北ではフランドル絵画の精密なルネサンスへと発展していく。

                    ・東方三博士の礼拝 ジェンティーレ・ファブリアーノ(ウフィッツィ美術館
                    ・東方三博士の礼拝 ロレンツォ・モナコ(ウフィッツィ美術館

                   ・聖ゲオルギウスと王女 ピサネッロ(サンタナスタシャ教会(ヴェローナ

                   ・サンタクローチェ教会 アニョロ・ガッディ壁画(フィレンツェ

チ マブーエ 

(1208−
           1285)
フィレンツェの画家。ビザンチン様式 を変化させたひとり。ジョットの師と言われる。写実的表現への革新者としてジョット以前に貢献

十字架のキリスト サンドメニコ教会 (アレッツォ
福音書記者達  サンフランチェスコ聖堂上堂(アッシジ

荘厳の聖母  サンフランチェスコ聖堂下堂(アッシジ

サンタトリニータの聖母  (ウフィッツィ美術館

十字架上のキリスト サンタクローチェ教会(フィレンツェ

パンクトクラドールのキリスト ピサ 大聖堂(ピサ
ドォー チョ
(1278−
           1318)
シエナの画家。ビザンチン様式の重厚 さ、威厳性を捨て、人間的な表現を始める。チマブーエよりも革新的。

ルッチェライの聖母(ウフィッツィ美 術館
最後の晩餐 (シエナ大聖堂付属美術館 (シエナ

三人のマリア (シエナ大聖堂付属美術館 (シエナ

ピ エトロ・カヴァリーニ(1273 −              1321)

アンジュー家に仕えた画家。立体感の ある構成と繊細な色彩を使用した

最後の審判
          (サンタチェチリア・イン・トラステヴェレ教会(ローマ

聖母マリア伝(サンタマリア・イン・トラステヴェレ教会(ローマ

ジョッ ト
(1266 −
     1337)
チマブーエが見いだし弟子にしたと言 われる。絵画の歴史はジョットから始まるといわれるほど、従来とは比べられないほどの絵画に革新をもたらした。近代絵画の祖。
テーマの精神性、表現力、遠近や空間認識、色彩のどれをとってもそれ以前の美術を一新した。彫刻的な空間、形を絵画にとりこんだといわれ、これはピサーノ らの影響ではと言われる。
代表的傑作スクロヴェーニ礼拝堂の壁画を完成させたあと、フィレンツェのドォーモに付属する鐘楼のデザインをまかされた。

聖フランチェスコ伝 
(サンフランチェスコ聖堂 上堂 (アッシジ

オーニサンティの聖母 (ウフィッ ツィ美術館

マリア伝、キリスト伝 (スクロ ヴェーニ礼拝堂 (パドヴァ

シ モーネ・マティーニ
1285−
           1344)
シエナの画家。シエナはフィレンツェ に近いにも関わらず全く違う表現で独自の芸術感覚が発達した。
柔らかな曲線を持つ線描画、金色の使い方に特徴。フィレンツェのデッサンに対してシエナの線

聖マルティヌスの生涯
                   (サンフランチェスコ聖堂 下堂(アッシジ

受胎告知  (ウフィッツィ美術館

荘厳の聖母 (シエナ大聖堂付属美術館 (シエナ

聖母子 (国立絵画館 (シエナ

福者アゴスティーノと4つの奇跡 (国立絵画館 (シエナ

ロ レンツェッティ兄弟 シモーネ・マルティーニらとシエナ派 絵画をリードした。フィレンツェでも活動しておりジョットの影響もうけている。シエナに自然主義的絵画を持ち込んだ。兄ピエトロ(1280−1348)は 特にジョットの影響を受けている。
アッシジでマルティーニと一緒に働いている。弟アンプロージョはマルティーニの影響が強いがより自然主義的と言われている。共にペストで死亡。シエナ派は 自然主義的なフィレンツェ派より幻想的な画風。

福者ウルミタの祭壇画(ウフィッツィ 美術館
五座の聖母と天使(ウフィッツィ美術館

聖母子と聖ニコラス、聖プロクロス(ウフィッツィ美術館

聖ニコラスの四物語(ウフィッツィ美術館

神殿奉献(ウフィッツィ美術館

十字架降下
(サンフランチェスコ聖堂下堂(アッシ ジ
最後の晩餐
(サンフランチェスコ聖堂下堂(アッシ ジ





             ) 初期ルネサンス

ルネサンス期のイタリアは芸術のみな らず科学、政治経済においてもヨーロッパの中心であった。ローマ帝国の崩壊後文明は
停滞したが、一方でキリスト教は組織体を整え国家以上の力をもつように なってきた。ギリシャ・ローマの科学、芸術を否定し
一部の修道院でのみ保持された。
 この時期、イタリア各地の自由都市や共和体制から領主による支配層、君主が生み出されていく。その中での有力一族が
各地に形成されていく。ヴィスコン ティ家(ミラノ)、ゴンサーガ家(マントバ)、マラテスタ家(リミニ)、エステ家(フェッラーラ)、モンテ
フェルトロ家(ウルヴィーノ)、メディチ家 (フィレンツェ)などで、彼らは貴族的文化を指向し、都市社会の商人、中産階級を増
加させ、芸術を重視した。
特にフィレンツェでは黄金時代としての古代を学術、科学技術、芸術の面から復活させようと学者を招き研究した。本来ルネ
サンスは哲学を中心としたキリス ト教との整合をとりながら古代の知識体系の復興であった。
 芸術の分野では透視図の研究が進み遠近法が普及。色、人物や造形表現もより自然主義的表現が追求された。宗教
画ではないテーマをも取り込み、異教である ギリシャ神話から主題をとり、キリスト教的解釈を加えて芸術を推進した。
 ジョットからがルネサンスとする学 者 もあるが、古代の文明復興という視点はなく、またペストの流行によりキリスト教のもとの表
現に回帰することでゴシック的絵画にもどる時期もあり
(オルカーニャの「祭壇」、ダッディ の「恩寵の聖母」オルサンミケーレ教会・
フィレンツェ)、マザッチョやマゾリーノらの出現以降を初期ルネサンスとした。
写実主義はダヴィンチ、ミケラン ジェロ、ラファエロで頂点を迎え盛期ルネサンスとなった。人間中心主義はキリスト教哲学と反目
しながらも宗教画から現世的絵画へと拡大していく。

              ボッティチェリ                     ピエロデッラフランチェスカ

マ ゾリーノ  (1396−1466) 国際ゴシック様式的な表現を得意とし ていたが20才も年下のマザッチョに感銘をうけ、マザッチョの改革を取り入れようとした。マザッチョの死後、再び国際ゴシック様式風に落ち着いてしまっ た。

聖ペテロの生涯
        (サンタマリア・デッラ・カルミネ教会
           ブランカッチ礼拝堂(フィレンツェ

キリスト磔刑(サンクレメンテ教会礼拝堂(ローマ

サンタマリア・マジョーレ聖堂の建立
         (カポディモンテ美術館(ナポリ

ヘデロの宴 (洗礼堂 (カスティリオーネ・オローナ

キリストの洗礼(カスティリオーネ・オローナ

パ オロ・ウッチェルロ (1393ー          1475)

国際ゴシックとルネサンス様式への変 革期に、ギベルティの工房に入る。ブレネレスキらの遠近法にとりつかれ、幾何学や線遠近法の研究に生活の全てを費やした。絵画の追究のためよりも遠近法に こだわり過ぎた画家と言われる。

ジョン・ホークウッド像
(サタマリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ

時計文字盤
(サタマリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ

大洪水と終息(サンタマリア・ノヴェ ラ教会(フィレンツェ

ド メニコ・ベネチアーノ      
(1438 −1461)

フィレンツェで活躍した画家。人物の 造形性や遠近法の知識に基づく構図、後景など北方絵画の影響も見られる。

玉座の聖母子と四聖人 (ウフィッィ 美術館

サンタルチア・ダ・マニョーリ祭壇画  (ウフィッィ美術館

マ ザッチョ

(1401 −1461)

   ジョットの死後約1世紀後に表 れた革新者。ジョット以降にジョットの革新を引き継いだ芸術家は出ていなかった。科学的に計算された遠近感、人間の自然な表情や身振りを表現した。

ブランカッチ礼拝堂の壁画はマゾリー ノ、マザッチョが描き、未完の部分をリッピが完成させたもので、ルネサンスの幕を開けた作品。ミケランジェロら多くの画家が学び影響を与えた。特に優れた 視点は、必要な要素だけを選んで描くことでの精神性や感情を表現できたこと。造形との調和を追求した。

聖ペテロの生涯(サンタマリア・デ ル・カルミネ教会
          ブランカッチ礼拝堂 (フィレンツェ

三位一体 (サンタマリア・ノヴェラ 教会(フィレンツェ

聖母子と聖アンナ(ウフィッツィ美術 館

カ スターニョ

(1421 −1457)

15世紀フィレンツェの画家。マザッ チョ、ジョットの影響を受けた一方フェッラーラ派のコスメトゥーラ、コッサらに影響を与えた。リッピやウッチェルロの元で修行したらしい。晩年の傑作、最 後の晩餐を描く頃から建築学的構成リアリティを追求した人物を配するなどルネサンス様式を体現した。また、だまし絵のような遠近感を表現した最初の作品と もいわれる。

トレンティーノ騎馬像
   (サンタマリア・デル・フィォーリ大聖堂(フィレンツェ

キリスト磔刑と聖者
     (サンタマリア・ヌォーヴァ病院(フィレンツェ

聖母永眠(サンマルコ寺院(ヴェネチア

聖母子(ウフィッツィ美術館

最後の晩餐  
  (サンタ・アッポローニャ修道院美術館(フィレンツェ

聖ヒエロニムスと2人の聖職者と三位 一体
   (サンティシマ・アンヌンツィアータ教会(フィレンツェ

フ ラ・アンジェリコ(1400−1455)

 初期ルネサンス期、ドミニコ派の修道 士。サンマルコ修道院長になった。静謐で美しい。宗教画を多く描いた。画力を認められコジモディメジチの庇護をうけた。宗教画であるが従来の規範から外れ て聖人を地上に立たせたり、聖会話と呼ばれる形式を現したり自然な表現、人間的な表現で描いた。

サンマルコ祭壇画(サンマルコ美術館 (フィレンツェ
キリスト磔刑と聖人達(サンマルコ美術館(フィレンツェ

受胎告知と東方三博士の礼拝
            (サンマルコ美術館(フィレンツェ

受胎告知(サンマルコ美術館(フィレンツェ

最後の審判(サンマルコ美術館(フィレンツェ

僧坊内の壁画(サンマルコ修道院美術館2F

コルトーナ三連祭壇画(司教区美術館 (コルトーナ

受胎告知(司教区美術館 (コルトーナ

ペルージャ三連祭壇画     
           (ウンブリア国立美術館(ペルージャ

聖者と聖母子 (聖ドミニコ教会(フィエゾーレ

フィ リッポ・リッピ(1406−1469)

フラ・アンジェリコとは全く逆の放蕩 な修道士。スキャンダルを数々起こしたが、画力は認められコジモ・ディメディチからも支持された。初期はマザッチョ影響を受け遠近法を理解したが、その 後、ゴシック的な装飾性が加わっていく。女性像にすぐれ美しく愛らしく表現する。ボッティチェリに影響を与えた。フィリピーノ・リッピは息子

   カルミネ会の会則の許可(カル ミネ修道院(フィレンツェ
聖母子と二天使 (ウフィツィ美術館

幼児に礼拝する聖母(ウフィツィ美術館

サンタクローチェ祭壇画 (ウフィツィ美術館

受胎告知(サン・ロレンツォ聖堂(フィレンツェ

聖母戴冠(ヴァチカン博物館(ローマ

タルクイニアの聖母(バルベリーニ美術館(ローマ

聖母子とマリア誕生 (ピッティ美術館(フィレンツェ

チェッポの聖母(プラート美術館(プラート

聖ヒエロニムスの埋葬(プラート大聖堂(プラート

ベ ノッツォ・ゴッツォリ(1421−          1497) フラ・アンジェリコの弟子。サ ンマリコ修道院などでアンジェリコのデザインの仕上げ作業を通じて力を付けた。色彩は力強い。国際ゴシックの影響か。トスカーナ、ローマ近郊に数多くの作 品が残る。崇高さや力強さは師に及ばないが生き生きと人物を描き器用さが多くの作品を生んだと思われる。

     祝福を受ける聖母子
       (サンタマリア・ソプラ・ミネルヴァ教会(ローマ

玉座の聖フォルトーナ
       (サンフォルトーナ修道院(モンテファルコ

キリスト降下(ホーン美術館(フィレンツェ

聖アウグスティヌス伝
       (サンタゴスティーノ教会(サンジミニャーノ

聖フランチェスコと聖人達
       (国立ウンブリア博物館(ペルージャ

東方三博士の行列(メディチリッカルディ宮(フィレンツェ

オルシーニを復活」させる聖ドミニコ 
        (ブレラ美術館(ミラノ

ワインとノアの泥酔(カンポサント (ピサ

フィ リピーノ・リッピ(1457−
      1504)

フィリッポ・リッピの息子。リッピの 死後、ボッティチェリに養育された。ボッティチェリの影響か、柔らかな線、はかなげな表現手法が見られる。

受胎告知(ポポロ宮市立美術館(サン ジミニャーノ
受胎告知(ブランカッチ礼拝堂(フィレンツェ

聖トマスアキナス(サンタマリア・ソプラ教会(ローマ

ボッ ティチェリ(1455ー1510)

ヴェロッキオの工房に学んだが、後に フィリッポ・リッピの弟子となる。システィーナ礼拝堂にフレスコを描いた時を除き、生涯をフィレンツェで過ごす。マザッチョの後のフィレンツェを代表する 画家だがマザッチョと違い、遠近法を無視しても柔らかい輪郭線を使い、外形を細やかさ、曲線の多用により独自の画風を完成させた。メディチ家に近い関係か ら人文主義的傾向の強い作品を手がけ信頼されていた。ヴァザーリが名づけたとされる、「春」「ヴィーナスの誕生」の解釈は何人もの学者が様々に解いてい る。後年、カトリックへの回帰を主導したサボナローラに傾倒し、人文主義的作品をやめ、全てゴシック絵画のような絵を描き不遇のうちに晩年を迎えた。

東方三博士の礼拝(ウフィッツィ美術 館
春 (ウフィッツィ美術館

ヴィーナスの誕生 (ウフィッツィ美術館

パラスとケンタウルス (ウフィッツィ美術館

マニフィカートの聖母 (ウフィッツィ美術館

誹謗(サンマルコ祭壇画(フィレンツェ

ザクロの聖母(サンマルコ祭壇画(フィレンツェ

聖アウグスチヌス(オニサンティ教会(フィレンツェ

聖シクスツゥス2世像  
   (ヴァチカン博物館・システィーナ礼拝堂(ヴァチカン

ピ エロ・デッラ・フランチェスカ

(1410 −           1492)

ボルゴ・サンセポルクロ出身。地元の 画家の弟子となった後、フィレンツェでヴェネチアーノの弟子となる。マザッチョ、ドナテッロと共にフランドル芸術の影響から、当時めずらしかった現実の風 景を描くことに関心を持っていた。一方、人文主義的な関心は低く、簡潔な画面構成、人物や植物などを単純化した形態、明るい色彩感覚など独自のスタイルを 作り上げた。後年、数学や遠近法を追求し芸術における数学など書き表すなどの理論家。

    聖十字架伝説 サンフラン チェスコ教会(アレッツォ
マグダラノマリア アレッツォ大聖堂(アレッツォ

モンテフェルトロとバティスタ・スフォルツァの肖像
                    (ウフィッィ美術館

キリストの復活 
      (サンセポルクロ市立美術館(サンセポルクロ

キリストの鞭うち(マルケ国立美術館(ウルヴィーノ

モンテフェルトロ祭壇画(ブレラ美術館(ミラノ

    ア ンドレア・マンテーニャ

    (1431 −1506

ルネサンス期パドヴァ派を代表する画 家。ヤコボ・ベリーニの娘婿、ベリーニ一族との関係が深い。マントヴァのゴンサーガ家の宮廷画家でもあった。遠近法、短縮法などを駆使し、しっかりした構 成、硬質な線、彫刻的な人的表現など独特の表現を持つ。細部の写実表現を追求しユニークなスタイルを確立した。当時のヴェネチアでは油彩が使われていて、 兄弟のベリーニも油彩を描いていたがマンテーニャはもっぱらテンペラで描いた。

     死せるキリスト (ブレラ 美術館(ミラノ
聖母子と智天使の合唱 (ブレラ美術館(ミラノ

聖ルカのポリプティク (ブレラ美術館(ミラノ

聖セバスティアヌスの殉教
       (カドーロ(フランケッティ美術館(ヴェネチア
ギ ルランダイオ
(1449 −1494)
15世紀後半ヴェロッキオやポッライ オーロと共に大工房をもっていた。北方フランドル絵画の影響をうけ、写実表現に取り組み宗教画だけでなく肖像画など風俗画に適用した。特に、実在の人物の 肖像画に人物だけでなく日常生活を書き込んでいる。ミケランジェロが最初に弟子入りしたのもギルランダイオの工房。当時のフィレンツェで人気作家としてト ルブォーニ家やメディチ家など有力者の注文を多くこなした。

      最後の晩餐 (オニサン ティ教会 (フィレンツェ
羊飼いの礼拝(サンタ・トリニータ教会(フィレンツェ

聖フランチェスコの生涯
   (サンタ・トリニータ教会(フィレンツェ

聖女フィーナの生涯(参事会教会(サンジミニャーノ

マリアの誕生(サンタマリアノヴェラ教会(フィレンツェ

サンジョヴァンニ・バチスタの生涯  
         (サンタマリアノヴェラ教会(フィレンツェ

洗礼者ヨハネ伝(サンタマリアノヴェラ教会(フィレンツェ

最後の晩餐(サンマルコ修道院美術館(フィレンツェ

東方三博士の来訪(ウフィッツイ美術 館
ピ エロ・ディ・コジモ
(1462 −1521)
コジモはフィレンツェの中にあって、 メディチ家とは疎遠な関係にあり独自の道を歩んだ。ヴェスプッチ家 など個人の注文による作品が多い。当時のフランドル派の影響を受けている。コジモ・ ロッセリの弟子。

      キリスト受肉と聖人達 (ウフィッツイ美術館
アンドロメダを救うペルセウス(ウフィッツイ美術館

ア ントニオ・ポッライオーロ
(1433 −1498)
フィレンツェの画家、版画家、彫刻 家、金細工士。弟のピエロと一緒に仕事をしている。共に、古典主義の影響が強く出ている。人体解剖学への関心が高かった。カスターニョから金細工を学ん だ。人気があったのは絵画より金細工のほうだった。人物の動きの研究に解剖学を使いリアリティを追求した。ボッティチェリは弟子。

    聖セヴァスティアヌス
    (サンティシマ・アンヌンツィアータ教会(フィレンツェ

裸の男たちの戦い(ウフィッィ美術館

若い女性の肖像(ウフィッィ美術館

ヘラクレストピトラ(ウフィッィ美術館

ヘラクレスとアンタエウス(ウフィッィ美術館

少女の肖像(ボルディ・ペッツォーリ美術館(ミラノ





8) 盛期ルネサンス
    

      15世紀末から16世紀 初頭、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらの巨匠が輩出。ダヴィンチは、科学的研究の
もとに彫刻はたくましさを追求し、ミケランジェロは、さらに写実だけでなく精神性を表現しようとした。ラファエロらは、
理想主義的な構成をめざすなど、ルネサンスが指向した自然主義的理想形を完成させていく。
当初、その中心はフィレンツェであったがメディチ家の盛衰や教皇の政治的権力の増大によりローマに中心が移って
いく。サンピエトロ寺院の再興などにより芸術の中心地になっていく。
一方、ヴェネチアでは、キャンパス、油彩の使用などにより、色彩の重視という方法で自然主義の表現を完成させ
ていく。                            ラファエロ


ヴェ ロッキオ
(1435 −1488)
フィレンツェで大工房をもち絵画だけ でなく、彫刻、鋳造、建築、家具・調度、工芸など幅広くたずさわり、メディチ家に長く支援を受けていた。ダヴィンチだけでなく、多くの弟子を育てた。ペル ジーノ、ギルランダイオ、シニョレッリ、ロッセリーニらは弟子。教育者としての才能が豊であったことを証明している。本人は絵画作品よりも彫刻、工芸作品 を多く残している。

(絵画)キリストの洗礼(ウフィッ ツィ美術館

      (彫刻)聖ヨハネの斬 首・祭壇装飾
           (サンジョヴァンニ洗礼堂(フィレンツェ

ニッコロ・フォラグェッリ記念碑
       (ピストイア大聖堂(ピストイア

      コッレオーニ騎馬像
    (サンジョヴァンニ・エパオロ教会広場(ヴェネチア

ダビデ像(バルジェッロ博物館(フィレンツェ

イルカと天使(ヴェキオ宮(フィレン ツェ
大聖堂の円球と十字架
    (サンタマリア・デル・フィオーリ大聖堂(フィレンツェ

ル カ・シニョレッリ
(1435 −1488)
ダイナミックな線描と色彩、正確な人 体表現でボッティチェリ、ペルジーノらとシスティーナ礼拝堂の壁画制作に携わり、人気があった画家。ピエロ・デッラ・フランチェスコの弟子と言われるが師 とは全く画風が異なる。ミケランジェロの最後の晩餐はオルビエートの最後の審判などシニョレッリの人体表現に学んだといわれる。

      十字架上のキリストとマ グダラのマリア(ウフィッィ美術館
聖家族と聖カタリナ(ピッティ美術館(フィレンツェ

地獄へ追いやる天使
       (オルビエート大聖堂(オルビエート

黙示録
(オルビエート大聖堂・サンプリッツィ礼拝堂(オルビエート

自画像(ソリアーノ宮(オルビエート

十字架降下(教区博物館(コルトーナ

キリストの死の嘆き(教区博物館(コルトーナ

使徒達の聖体拝領(教区博物館(コルトーナ

ダ・ ヴィンチ
(1452 −1519)
ル ネサンスの万能の天才。人体解剖による人間の追究など徹底した科学的視点を追求した。絵画だけでなく、音楽、詩人、工芸、軍事と幅広い関心を持ち続けた。 そのため、宗教画であっても従来の規範によらず自身の発想を重視するため教会との確執も多かった。幅広い関心のゆえか、未完成の作品も多い。「岩窟の聖 母」「モナリザ」などイタリア国外に代表作が多く所蔵されている。

            東方三博士の礼拝(ウフィッツィ美術館
受胎告知(ウフィッツィ美術館

聖ヒエロニムス(ヴァチカン博物館(ローマ

音楽家の肖像(アンプロジアーナ美術館(ミラノ

最後の晩餐
          (サンタマリア・デッラ・グイラツィーエ教会(ミラノ
女性の頭部(パルマ国立美術館(パル マ

ミ ケランジェロ(1475 −1564)



ダ・ヴィンチ、ラファエロと並ぶ盛期 ルネサンスを形作った巨人。彫刻家。建築家、画家。ダ・ヴィンチとは対照的に、彫刻が芸術の第一である、と一貫して主張。優れた彫刻作品を多く残す。

            (彫刻)


階段の聖母(ブオナローティ美術館(フィレンツェ

バッカス(バルジェッロ美術館(フィレンツェ

ダビデ像(アカデミア美術館(フィレンツェ

ピエタ(サンピエトロ寺院(ヴァチカン

ロンダーニのピエタ(スフォルツァ博物館(ミラノ

ピエタ(大聖堂付属美術館(フィレンツェ

(絵画) 


聖家族(ウフィッツィ美術館

ヴィットリアコロンナの肖像(ウフィッツィ美術館

最後の審判(ヴァチカン宮・システィーナ礼拝堂

天井画(ヴァチカン宮・システィーナ礼拝堂

ペ ルジーノ
(1478 −1523)
15世紀ウンブリアを代表する画家。 ゆったりした空間構成や風景、人物描写も優美。ヴェロッキオ工房で修行したのち独立。ペルジーノに師事したラファエロは影響をうけたとされる。当時の人気 作家の一人。 聖ペテロへの天国の鍵の授与
           (システィーナ礼拝堂(ヴァチカン
カナの婚礼(ウンブリア国立美術館(ペルージャ
ピエタのキリスト(ウンブリア国立美術館(ペルージャ
ピエタの聖母(ウンブリア国立美術館(ペルージャ
聖母子と天使(ウンブリア国立美術館(ペルージャ
慰めの聖母(ウンブリア国立美術館(ペルージャ
悔悛するヒエロニムス(ウンブリア国立美術館(ペルージャ
ピエタ(ウフィッツィ美術館
少年の肖像(ウフィッツィ美術館
マグダラのマリア(ピッティ美術館(フィレンツェ
ア ンドレア・デル・サルト     (1486 −1530)

16世紀フィレンツェの画家。ピエ ロ・ディ・コジモの弟子。ダビィンチ、ラファエロらの影響を受けスフマートを使って描いた画風。安定的な構図など古典主義の印象。弟子のポントルモやフィ オレンティーナなど、のちのマニエリスムの画家に影響を与えたとされる。

聖母の誕生(サンタマリア・アン ヌンツィアータ教会(フィレンツェ我に触るな(ピッティ美術館(フィレンツェ
受胎告知(ピッティ美術館(フィレンツェ
聖三位一体の議論(ピッティ美術館(フィレンツェ
アルピエの聖母(ウフィッィ美術館
最後の晩餐(サンサルヴィ修道院(フィレンツェ
ラ ファエロ
(1483−1520)
ウ ルヴィーノに生まれ、ペルジーノの工房で修行。その後、フィレンツェに出てダ・ヴィンチ、ミケランジェロの作品に多くを学んだ。さらに教皇ユリウス二世か らヴァチカン宮の壁画を依頼(署名の間、ヘリオドロスの間、火災の間など)されるなど多くの仕事を担当。絵画のほかに、建築や遺跡の発掘など多くの分野に 才能を発揮した。絵画の分野でも工房を持ち多くの作品を手がけた

フォリーニョの聖母(ヴァチカン博物 館
聖母戴冠(ヴァチカン博物館
署名の間の壁画(ヴァチカン博物館
聖母の婚礼(ブレラ美術館(ミラノ      
大公の聖母(ピッティ宮(フィレンツェ     
ヴェールの婦人の肖像(ピッティ宮(フィレンツェ      
小椅子の聖母(ピッティ宮(フィレンツェ      
布張り窓の聖母(ピッティ宮(フィレンツェ      
預言者イザヤ(サタゴスティーノ教会(ローマ      
聖カエキリア(ボローニャ国立美術館(ボローニャ

三位一体(サンセヴェーノ教会(ペルージャ     
ガラテア(ファルネジーナ荘(ローマ      
フォルナリーナ(国立古典絵画館(ローマ





9) ヴェネチア派

      16世紀のヴェネチアはイタリアの中 でもユニークな共和制の、独立意識の強い海洋貿易国家として力をもっていた。
       ルネサンス期においても中心のフィレンツェとは全く違う発展を遂げていた。フィレンツェが彫刻的な形態やデッサンに
       重きをおき、人体研究などアカデミックな思考を表現したのに対し、ヴェネチアはその海の光の影響か色彩、光、を
       重視した。キャンバスや油絵を生み出した地としても知られ、のちの印象派や近代絵画への基礎を与えたといわれ
       る。                           コスメツゥーラ


ア ントネッロ・ダ・メッシーナ
(1430−1479)

シ チリア出身の画家。ヴェネチア派発展に大きな役割を果たした。遠近法や幾何学的形態、油彩による重厚な色彩というイタリア発の表現技術にフランドル絵画の 細密描写などを取り入れるなど先進的な表現を追求した。 イタリア各地を歩き回ったことで、新しい感覚に取り組み交流と伝播に貢献したと思われる。絵画史 上のキーマンのひとり。

受態告知の聖母 (シチリア州立美術 館(パレルモ
宗教的寓意(ウフィッツィ美術館    
アレキサンドリアにおける聖マルコの説教
        (ブレラ美術館(ミラノ
ジョ ヴァンニ・ベリーニ
(1433 −1515)
父 ヤコポ、弟ジェンティーレと共に工房を形成して北方ルネサンス期に活躍。妹はマンテーニャに嫁いだ。父ヤコポはヴェネチア派の始祖と言われ、ジェンティー レは異母兄弟。義弟のマンテーニャやドナテッロ、アントネッロ・ダ・メッシーナと同時期に活躍、フランドルからも影響を受けた。実験的な作品を発表しつ つ、色彩豊かで情緒性にあふれたヴェネチア派を牽引した。ドイツのデューラーとも親交があった。ジョルジョーネやティチアーノはベリーニ工房で学んだ。盛 期ルネサンスの先駆けとして油彩という新しい表現手法を使って描いた。また、変形サイズ(ヴェネチア派は縦長の形を多用)を巧みに構成し、遠近法により精 神性や感情を読取れる優れた作品が多い。

ピエタ (ボルディペッツォーリ美術 館(ミラノ
ピエタ (コレール美術館(ヴェネチア       
ピ エタ (ブレラ美術館(ミラノ                                   
聖母子と洗礼者と聖女(アカデミア美術館(ヴェネチア
サンジョゼッペ祭壇画アカデミア美術館(ヴェネチア
聖母子(双樹の聖母)(アカデミア 美術館(ヴェネチ
         サンザッカリア祭壇画(サンザッカリ ア教会(ヴェネチア 
聖ウィレケンティウス祭壇画  
     (サンジョウヴァンニ・エ・パオロ教会(ヴェネチア
ピエタ(リミニ市立美術館(リミニ

ジョ ルジョーネ
(1477 −1510)
盛 期ルネサンスのヴェネチアで活躍。誌的な作風と評される。ジョヴァンニ・ベリーニの元で修行した。ティチアーノとの関連性をうかがわれる。兄弟弟子であっ たとの見方も。夭折したため作品は少ない。宗教画より日常の生活を描くことが多い。一方で、表現されたものが何をテーマとしているか、現在でもその解釈が 議論されるほど不明な作品もある。(「嵐」など) テンペスト(嵐) (カデミア美術館 (ヴェネチア
老女(カデミア美術館(ヴェネチ
アカステルフランコ祭壇画
      (サン・リベラーレ教会
カステルフランコ
ヴェネトモーゼの証し(ウフィッツィ美術館
ティ チアーノ
(1518 −1567)
ヴェ ネチア最大の巨匠。色彩の錬金術師と言われる。長い画家生活と各地の貴族 の支援もあり数多くの作品が残る。ジョルジョーネの未完の作品を完成させる過程 で誌的表現を身に付けた。盛期ルネサンスのヴェネチア派を代表する作家として、ミケランジェロの素描、ティチアーノの色、フィレンツェとの違いをアピール した。神聖ローマ帝国のカール5世、フェリペ2世などイタリア以外の宮廷にもパトロンがおり、後に、ルーベンス、ベラスケス、レンブラントらに影響を与え た。さらにドラクロアや印象派の作家まで影響をあたえた。

金門の出会い(サンタントニオ信者会 (パドヴァ
十字架を担うキリスト(サンロッコ同信会(ヴェネチア
洗礼者ヨハネの首をもつサロメ
      (ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ
ピエタ (アカデミア美術館(ヴェネチア
教皇パウルス三世と息子達の肖像
           (カポディモンティ美術館(ナポリ
受胎告知(サンドメニコ・マジョーレ教会(ナポリ
聖愛と俗愛(ボルゲーゼ美術館(ローマ
悔悛するマグダラのマリア(ピッティ美術館(フィレンツェ
聖母被昇天(フラーリ教会(ヴェネチア
ウルヴィーノのビーナス(ウフィッツィ美術館         
フローラ(ウフィッツィ美術館
アヴェロルディ多翼祭壇画    
           (ナザロトティルソ教会(ブレーシャ
聖母の神殿奉献(アカデミア美術館(ヴェネチア

ティ ントレット
(1518 −1595)
ヴェ ネローゼと共に、16世紀後半のヴェネチアを代表する画家。ティチアーノの弟子。ティチアーノの色彩と肉感的動きを組み合わせた情熱的な宗教家が多い。多 少引き伸ばされた人体やプロポーション、躍動感のある表現、短縮法などルネサンス後期というよりマニエリスムの画家といえる。バロック的な表現の萌芽も見 られる。ほとんどをヴェネチアで作家活動を終えている。 聖マルコの遺骸を掬うアレクサンドリ アの信者
              (アカデミア美術館(ヴェネチア
キリストの神殿奉献(アカデミア美術館(ヴェネチア
聖マルコの奇跡(アカデミア美術館(ヴェネチア
動物の創造(アカデミア美術館(ヴェネチア
不具者を癒す聖アウグスチヌス
      (ヴィチェンツァ市立美術館(ヴィチェンツァ
天国(ドゥカーレ宮殿(ヴェネチア       
三美神とメリクリウス(ドゥカーレ宮殿(ヴェネチア
ヴィーナス、アリアドネ、とバッコス
       (ドゥカーレ宮殿(ヴェネチア
最後の晩餐(サンジョルジョ・マジョーレ教会(ヴェネチア
キリストの埋葬(サンジョルジョ・マジョーレ教会(ヴェネチア洗礼者ヨハネの誕生(サンザッ カリア教会(ヴェネチア
最後の審判(マドンナ・デッロルト教会(ヴェネチア 
受胎告知(スクーラ・グランデ・ディ・サンロッコ(ヴェネチア
聖母被昇天(スクーラ・グランデ・ディ・サンロッコ(ヴェネチアキリスト磔刑(スクーラ・グランデ・ディ・サンロッコ(ヴェネチア
ピラトの前のキリスト
      (スクーラ・グランデ・ディ・サンロッコ(ヴェネチア
マナの収穫(スクーラ・グランデ・ディ・サンロッコ(ヴェネチア
ヴェ ネローゼ
(1528 −1588)
ティ ントレットと同時代の盛期ルネサンスというよりマニエリスムの画家。ヴェローナのパディーレに学び、ティチアーノやコレッジョの影響をうけつつ独自の画風 を持った。優雅な人体プロポーション、短縮法などの表現を得意とする。ティントレットと違い、明暗対比が少なく、明るい光を表現するのでやわらかい印象を 与える。宗教画にあっても世俗的表現を多用した。創作点数は数百に上るといわれている。 聖ヘレナの愛(ヴァチカン博物館・絵 画館(ローマ  
エウロペの略奪(ドゥカーレ宮殿(ヴェネチア      
老いと若さ(ドゥカーレ宮殿(ヴェネチア      
ヴェネチアの勝利(ドゥカーレ宮殿(ヴェネチア      
レパントの海戦の勝利と感謝する総督
             (ドゥカーレ宮殿(ヴェネチア 
レヴィ家の饗宴(アカデミア美術館(ヴェネチア      
聖母と聖人(アカデミア美術館(ヴェネチア      
聖カテリーナの神秘の結婚(アカデミア美術館(ヴェネチア 受胎告知
  (サンティシマ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会(ヴェネチア
聖母被昇天
  (サンティシマ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会(ヴェネチア
カ ルロ・クリヴェッリ
(1430 −1495)
15 世紀ヴェネチア派を代表する一人。ヴィバリーニの工房で修行したのち、犯罪者となりユーゴなどを放浪。後みイタリアに落ち着く。絢爛豪華な装飾、金属的な 硬質の線描という独自の表現を生み出した。古典主義的な構成で気品がある作風。伝統的なパドヴァ・ヴェネチアスタイルで描き続けた。個性的な多翼祭壇画を 多く残している カメリーノ祭壇画 (ブレラ美術館 (ミラノ     
ろうそくの聖母 (ブレラ美術館(ミラノ     
キリスト磔刑 (ブレラ美術館(ミラノ     
聖母戴冠 (ブレラ美術館(ミラノ
カ ルパッチョ
(1455 −1525)
カ ルパッチョが大好きだったという説と、描く絵画の赤がカルパッチョの赤に似ているからという説あり。ジェンティーレ・ベリーニに師事し、風景描写に優れ る。幻想的な静的動作の人物、建築的遠近法、鮮やかな赤が特徴。フェッラーラ派やフランドル絵画の影響もあるがより個性的。漫画的でもある。 聖人達の生涯の逸話連作
(スクオーラ・ダルマータ・サンジョルジョ・デッリスキアボーニ(ヴェネチア      
二人の婦人(コッレール博物館(ヴェネチア        
聖ウルスラ伝(アカデミア美術館(ヴェネチア      
受胎告知(フランケッティ美術館(ヴェネチア
コ スメトゥーラ
(1430 −1495)
15 世紀後半のフェッラーラ派といわれる彫刻的線描表現の創始者と言われる。感情表現やねじれを使った装飾的な様式。フェッラーラを支配していたエステ家の宮 廷画家でもあった。パドヴァのマンテーニャ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、フランドルのウェイデンにも影響された。独特の人物表現。 スキファノイア月暦 (スキファノイ ア宮(フェッラーラ     ゲオルギウスの龍退治
      (フェッラーラ大聖堂付属博物館(フェッラー

コッ サ

(1435 −1477)

15 世紀、コスメツゥーラ、ロヴェルティと並ぶフェッラーラ派を代表する一人。父は石工で助手としてフェッラーラの礼拝堂の彫刻、彫像制作に携わる。コスメ ツゥーラと共に、スキファノイア宮の壁画を制作したのちボローニャに移る。ボローニャのペンディヴォーリ家に庇護され壁画や聖母子像を制作している。 スキファノイア月暦 (スキファノイ ア宮(フェッラーラ      
ステンドグラス(サンジャコモ・イ ン・モンテ教会(ボローニャ





10) マニエリスム

       16世紀から17世紀にかけて絵画に 表れた表現形式。完成形となった盛期ルネサンス様式はダミケランジェロ、
        ラファエロらの模倣、定型化し表現の衰退期と言われた。近年、バロック様式への移行の中でルネサンス様式の
        中で個性を表現し独創を追求したものと肯定的にとらえた様式。今も異論あり。
        ルネサンスの人文主義の思想はトレント公会議を経て、反宗教改革により崩壊していく。写実的理想は細密
        表現や反自然主義的色彩や形の表現へと拡散していく。長く引き伸ばされた人体の部位、しなやかな曲線な
        ど作家それぞれに特有の多様性が現れ幻想の表現へと向かった。


ジュ リオ・ロマーノ
(1499 −1546)
ネ サンスの建築家、画家。幻想的、官能的なマニエリスム表現を展開。ラファエロの工房にいた若い頃から評価されていた。ゴンサーガ家に仕え、マントヴァで建 築などに特権的地位を与えられ、自由に仕事をした。ヴァチカン宮でラファエロと共に描いた。「キリストの変容」や「樫の木の聖家族」はラファエロではなく ロマーノの作という説が有力。ラファエロ亡き後、ヴァチカン宮の壁画を完成させている。 クビトとプシュケーの結婚披露宴
          (パラッツォ・デル・テ(マントヴァ    
聖母子(ウフィッツイ美術館      
聖母子(国立古典絵画館(ローマ
ポ ントルモ
(1494 −1556)
ロッ ソ、フィオレンティーナらと共にマニエリスム初期を代表する画家。ダ・ヴィンチやアンドレア・デル・サルトの元で修行したが、ミケランジェロやデューラー の影響もほうが強い。 引き伸ばされた人体、非現実的な色、非合理的空間構成など反古典主義を反映。ブロンズィーノは弟子。 聖母子と2聖人(ウフィツィ美術館
糸紡ぎのカゴをもつ女性(ウフィツィ美術館
エマオの晩餐(ウフィツィ美術館
レダと白鳥(ウフィツィ美術館
コジモ・ディ・メジチの肖像(ウフィツィ美術館
聖母子と聖人達
      (サンミケーレ・ヴィストミニ教会(フィレンツェ
十字架降下
    (サンフェリーチェ教会カッポーニ礼拝堂(フィレンツェヴィーナスとキューピッド(アカデミア美術館(フィレンツェ
聖母のエリザベツ訪問
      (カルミニャート・サンミケーレ教会(フィレンツェ
一万人のキリスト教徒の殉教(ピッティ美術館(フィレンツェ聖母エリザベツ訪問
      (サンティシマ・アンヌンツィアータ(フィレンツェ
ブ ロンズィーノ
(1503 −1572)

ポントルモの弟子。コジモに好まれト スカーナ大公宮廷画家となる。引きのばされた人体など独特の表現、肌の色、衣装の緻密な表現など特徴ある画風。メディチ家関連の肖像も多い。

福音書記マルコ
  (サンタフェリチア教会・カッポーニ礼拝堂(フィレンツェ  ピグマリオンとガラテア(ヴェッキオ宮(フィレンツェ      
聖家族とヨハネ(ウフィツィ美術館      
コジモ・ディ・メディチ1世(ウフィツィ美術館      
エレオノーラと息子の肖像(ウフィツィ美術館      
幸福の寓意(ウフィツィ美術館      
洗礼者ヨハネ(ポルゲーゼ美術館(ローマ
コ レッジョ
(1404 −1534)
16世紀パルマを中心に活動したエミ リア派の巨匠。下から見上げた構図や短縮法で人物を描くなどマニエリスム的な作品が多い。さらに、明暗対比で描く光の描写などはバロック的でもある。

キリスト降誕と聖エリザベツ、ヨハネ (ブレラ美術館(ミラノ
羊飼いの洗礼(ブレラ美術館(ミラノ
幼児キリストを礼拝する聖母(ウフィツィ美術館
エジプト逃避途上の休息(ウフィツィ美術館
聖母子と智天使(ウフィツィ美術館
階段の聖母(パルマ国立美術館(パルマ
十字架降下(パルマ国立美術館(パルマ
聖母子とヒエロニムス、マグダラのマリア
                            (パルマ国立美術館(パルマ
スープ皿の聖母(パルマ国立美術館(パルマ
聖母戴冠(パルマ大聖堂(パルマ
ダナエ(ボルゲーゼ美術館(ローマ
聖母子(エステ美術館(モデナ
聖カタリナの神秘の結婚
                        (カポディモンテ国立美術館(ナポリ

パ ルミジャーノ
(1503 −1540)
マニエリスムの初期からボローニャ、 パルマ、ローマで活躍。引き伸ばされた人体、官能的な人物、非現実的な構成など特異な画風を形成した。

長首の聖母(ウフィツィ美術館
聖母子とザカリア、マグダラノマリア(ウフィツィ美術館
聖カタリナの神秘の結婚(パルマ国立美術館(パルマ
聖クロスと寄進者(サンペトロニオ大聖堂(ボローニャ
聖母子とマルガリータと聖人達
                        (ボローニャ国立絵画館(ボローニャ
アナテア(カポディモンテ国立美術館(ナポリ
ルクレチア(カポディモンテ国立美術館(ナポリ

ベッ カフーミ
(1485 −1551)
16世紀、シエナ派のマニエリスム画 家。生涯の大半をシエナで過ごす。版画を通じて北方絵画を学びルネサンス様式とシエナのゴシックを融合させた独特の表現で制作した。彫刻家としても活動。

聖母の誕生(シエナ国立美術館
堕天使を退治するミカエル(シエナ国立美術館
聖三位一体の多翼祭壇画(シエナ国立美術館
聖痕を受けた聖カタリナの祭壇画
                                      (シエナ国立美術館
聖母の婚約(サン・ベルナルディーノ祈祷堂(シエナ
堕天使を退治するミカエル
                         (サンニコロ・アルカルミネ教会(シエナ
レピトゥスとフラックスの和解(シエナ市庁舎
聖家族と幼児ヨハネ(ウフィツィ美術館
十戒の石版を割るモ−ゼ(ピサ大聖堂(ピサ
聖母子と幼児ヨハネ(国立古典絵画館(ローマ






11) バロック


   16世紀末から18世紀初めにかけて 現れた様式。ルネサンスが求めた自然主義の表現に対し、非古典的な
    ダイナミズムを表現した。アルプス以北の世界は新世紀に開かれ、絶対王政の時代に。イタリアは依然として
    小都市国家のまま変革できず地理的、文化的中心としての地位を失っていく。
     この時期にルネサンスの中心はアルプス以北に移っていく。
一方、芸術面だけはイタリアはまだ尊 敬されていた。
    反宗教改革がカトリックを通じて広がっていくにつれイタリアのバロックもヨーロッパ全体に広がっていく。
合理性を
    こばむという点でマンエリスムと共通するが調和より装飾性、感情への訴求を重視し、不安定感までも武器とし
    て見栄えを重視する。
    現代のローマはバロック美術であふれている。カラッチらは、マニエリスムの進み過ぎた技巧性を見直し、自然の
    研究に向かわせ、均整のとれた宗教画、風景画を取り入れ風俗をも表現した。カラヴァッジョの光と影の表現
    や人間性を素直に表現する手法が広まっていった。      
                                      カラヴァッジョ
      
 
カ ラッチ
(1560 −1609)

17 世紀ボローニャ派の巨匠。自然な表現を追求した。ファルネーゼ卿に仕え、ファルネーゼ邸の天井装飾画はバロックの天井画の先駆けとなった。宗教画だけでな く風景画、風俗画でも人気があった。構図は大胆で、躍動感のある表現で古典主義絵画を主導した。兄弟やいとこと共同でアカデミアを主催し新しい様式を教育 した。ドメニキーノやグイド・レーニはそこの出身で、広く影響をもたらした。カラヴァッジョと対照的なのは、色彩が豊で明るい点であろう。

豆を食べる人(コロンナ美術館(ロー マ
キリストの洗礼(サングレゴリオ教会(ボローニャ
聖カタリナの神秘の結婚
        (カポディモインテ国立絵画館(ナポリ
ガレリアファルネーゼ天井画(ファルネーゼ荘(ローマ
エジプトへの逃避の風景               
        (ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ 
キリストの十字架降下
        (ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ

ド メニキーノ
(1581 −1641)
盛期ルネサンスの復興を狙いつつ優美 な表現と明るい色彩によりカラッチ一族に学んだボローニャ派の画家。 クマエの巫女(カピトリーノ美術館 (ローマ
ディアナの水浴(ボルゲーゼ美術館(ローマ
アドニスの死(ファルネーゼ宮
(ローマ
処女一角獣(ファルネーゼ宮
(ローマ
キリストの洗礼(ボローニャ国立絵画館(ボローニャ 
聖セシリヤの受難(ボローニャ国立絵画館(ボローニャ
シルヴィアとサテュロスの風景
          (ボローニャ国立絵画館(ボローニャ   聖アグネスの受難(ボローニャ国立絵画館(ボローニャ   アグッチ枢機卿の肖像(ウフィ ツィ美術館
ヒエロニムスの聖体拝領(ヴァチカン美術館(ローマ    聖セシリアの生涯
       (サンルイジ・ディ・フランチェージ教会(ローマ 聖母被昇天(サンタマリア・イン・トラステベレ教会(ローマ
グ イド・レーニ
(1575 −1642)
カラッチの初期アカデミーの出身。当 初は宗教色が強く、忘れさられていた作家。絵画表現は古典的スタイルをベースにしているのも優れているとして再び認識されるようになった。

チェンチ(バルベリーニ 宮(ローマ
幼児虐殺(ボローニャ絵画館(ボローニャ 
この人を見よ(ボローニャ国立美術館 (ボローニャ 
オーロラ(パラビッチーニ宮(ローマ
クレオパトラの自殺(ピッティ宮(フィレンツェ       
バッカス(ピッティ宮(フィレンツェ     
スザンナと長老達(ウフィツィ美術館
アタランタとヒッポメネス(カポディモンテ美術館(ナポリ    聖マタイと天使(ヴァチカ博物館(ローマ

カ ラヴァッジョ
(1571 −1610

ル ネサンスの完成された表現から抜け出せなかった時代に、光と影を使って精神性や真実味までも表現する写実性を実現した革新的作家。犯罪をおかしてイタリア 各地を転々と移動。その先々で画力を認められ描いてきた。ローマ、ナポリ、シチリアなどに作品を残したが近年になるまで評価されなかった。動きを一瞬でと らえる表現と通常宗教画では表現しない人物を現すなどでも革新的であった。

聖ルチアの埋葬(サンタルチア教会 (シラクサ
キリストの埋葬(ヴァチカン博物館(ローマ    
洗礼者ヨハネ(コルシーニ宮・ローマ国立美術館(ローマ
エマオの晩餐(ブレラ美術か(ミラノ    
キリストの鞭うち(カポディモンテ国立美術館(ナポリ    聖ウルスラの殉教(カポディモンテ国立美術館(ナポリ
ナルキッソス(バルベリーニ宮 (ローマ    
ホロフェルネスの首を切るユディット(バルベリーニ宮(ローマ
聖マタイと天使
     (サンルイージ・ディ・フランチェージ教会(ローマ  聖マタイのお召
     (サンルイージ・ディ・フランチェージ教会(ローマ  聖マタイの殉教
     (サンルイージ・ディ・フランチェージ教会(ローマ  聖ペテロの磔刑 (サンタマリア・デル・ポポロ教会(ローマ  聖パウロの改宗(サン タマリア・デル・ポポロ教会(ローマ  聖ヒエロニムス(ボルゲーゼ美術館(ローマ    
ダヴィデとゴリアテ(ボルゲーゼ美術館(ローマ    
バッコス(ボルゲーゼ美術館(ローマ
果物籠と少年(ボルゲーゼ美術館(ローマ
女占い師(カピトリーノ美術館(ローマ
悔悛するマグダラのマリア
       (ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ
エジプト逃避上の休息   
       (ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ
ヴァッカス(ウフィツィ美術館
メデューサの首(ウフィツィ美術館
イサクの犠性(ウフィツィ美術館
眠るキューピッド(ウフィツィ美術館
果物籠(アンプロジアーナ美術館(ミラノ

グ エルチーノ
(1591 −1666)
カラッチの知己を得たボローニャ派の 画家。前半はカラヴァッジョ風の表現で光と影による写実さを現していたが後半は、カラッチの影響か、明るい明瞭な作品になっていく。多くの祭壇画を残す。 我アルカディアアにもありき(国立古 典絵画館(ローマ   アポロに皮をはがされたマルシェアス
              (ピッティ美術館(フィレンツェ 
聖ペトロニアの祭壇画(カピトリーノ美術館(ローマ
ピ エトロ・ダ・コルトーナ
(1596 −1669)
ベ ルニーニと共にバロックの発展に貢献した画家、建築家。装飾性の強い優雅な表現と過剰ともいえる構成など独自の表現で17世紀後半のバロック芸術に影響を 与えた。フィレンツェのマニエリスム絵画に出会いローマでベルニーニとも関係が深くバルベリーニ宮のつながりで教皇庁の仕事をまかされていた。 聖母子と聖人達(サンタゴスティーノ 教会(コルトーナ   サビニの娘の略奪(カピトリーニ美術館(ローマ
ウルヴァヌス8世治下の「神の摂理」の勝利
                (バルベリーニ宮(ローマ   
聖フランチェスこの幻視(アンヌンツィアータ教会(アレッツォ






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