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     U.ブログから引っ越しした日常の覚書

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憧憬     141006

このところ気忙しくて更新をさぼっている。
いつのまにかキンモクセイもホトトギスも散りはじめている。
姪に赤ちゃんが生まれて会いに行ったのと、友人の絵画展を覗きに出かけた以外は
毎日のルーティンワークに追われる日々は変わらない。秋めいて体は少し楽にはなったが。

もう丸4年イタリアに出かけていない.
私流の旅の仕方では、最低限のイタリア語の旅行会話以外は無理なので
事前にできるだけ情報を仕入れておく必要がある。
それで、いつでも行けるように街歩きを妄想して旅行プランを検討していたら5つもコースが
出来てしまった。本当に行くつもりで練ったので、バスの時刻表やバス停を調べたり、
市場やスーパーの場所をさがしたりしてすぐにでも行けるプランになった。

せっかく作った計画と資料がたまったので近々hpにアップしようと思っている。
このプランがいつか旅行記録のページに移ったらいいのだが。
いつになることやら。

夕暮れの食堂街を抜けていく一人歩きの気軽ささみしさ (フィレンツェにて)

息上がるアジネッリの塔すくむ足譲り合う異国の人と目礼す (ボローニャ)

光散る白茶の屋根をみはるかすシエナの丘に沸き立つ白雲 (シエナ)

夕暮れに集落の明かり溶けていく城塞の塔に風がささやく (アッシジ)

早口の返事にとまどう迷い道古鐘楼は見えているのに (ラベンナ)

スーパーのサボテンの実にナイフ入れ今日の褒美の一人旅の宿 (ペーザロ)

夕闇に浮かぶ城塞睥睨すフェルトロの夢いまだ続くごと (ウルヴィーノ)
     ひめゆり


袖     141028

やっとhpに「妄想イタリア街歩きプラン」をアップしました。
hpの更新作業は慣れているはずなのに画像がつながらなかったりして
悪戦苦闘してしまい予想外に時間がかかりました。
妄想旅行は行く気で検討していたので楽しい時間です。それにしてもイタリアには
古くからある小さな街が多いこと多いこと。どこをあきらめるかかなり悩みます。
全て行こうとすると何日あっても足りない日程になってしまいます。経験的に、
1回の旅は3週間以内がいいと思います。楽しくても意外に疲れるし、集中力も落ちてきます。
今回とりあえず5つのコースにしてみました。
管理人の趣味にかなり偏っているので、自然景観やリゾート的な観光地でなく歴史や美術を
楽しみつつ街歩きするというコースばかりです。
 
秋の旅の準備のシーズンだったのか、8月、9月にブログやhpにアクセスしてくれる方
hpからのメールを送ってくれる方が多かったです。ハンドルネームや文面からは知人なのか
全く知らない方なのかわかりませんがイタリアの旅を考えている方が見てくれているようで
嬉しいです。つたない内容ながら参考にしていただいて。自己満足的内容なので
申し訳ない気もします。
でもイタリアの旅を楽しんでいい旅をしていただきたいです。うらやましいな。
当方はリスクを嫌ってFBをしないのですが、関心ごとが同じ方々と繋がりを持てる感じは
いいですね。
FBやSNSがコミュニケーションに大きな位置を占める時代なんだと実感します。


石畳を踏む感触が甦る家前の道も続くかローマに     小菊


準備     141115

ダイソンの掃除機が今日は重い。
恒例の大掃除を一つづつ始めている。家事の合間に一人でぼちぼちやるので
11月から着手しないと年末までに終わらないのだ。
以前、地元の善養寺の除夜の鐘を聞きながら窓掃除をした年もある。
庭木の整理と草取り、冷蔵庫2台の庫内の整理、換気扇2台、網戸19枚、
エアコンフィルター6台、照明器具18個。今日までに終わらせた分はこれだけ。
キッチン、ダイニングなど各部屋の掃除、廊下・階段、床拭き、窓掃除と手のかかる
おおどころは全てこれからだ。
普段はろくにやらないので、年に一度位はちゃんとやらないとね。
ちなみに、障子の張り替えをシルバー人材センターに申し込んだら三か月待ちだって。

大胆に断捨離したいのだが、老親が捨ててくれるなとうるさいのでちっとも減らない。
幸か不幸か収納スペースはあるのが困る。
まあ、自分も旅関係の写真やアルバム、書類・資料類、旅行用品、本、山の道具、文房具類、
DIY用、庭用の道具や端材・部品、デジタル機器の箱、親父の残したもの、女房の
ものだったもの、とか捨てられないんだからひとの事も言えないが。
おそらく、自分にしか意味や価値はわからないものばかりだ。
いずれは、ただのモノになって処分するしかない運命のもの。他人に処分されるより
自分で整理しておきたいと思うが。


名も知らぬ小鳥わたりて活気づく早朝の庭椿散らして       玄関のつばき



息抜き    141128

ウフィッツィに行ってきた。
もちろん上野だけど。
「パラスとケンタウロス」が一番の目玉では、展覧会としては力不足なんだろう。
とってもすいていた。
ウフィツィといえども、ミケランジェロでもダビンチでもラファエロもなく、
「春」「ヴィーナスの誕生」でもないとすると
宗教美術や中世美術は日本では大衆うけする美術ではない。
TV番組ではボッティチェリだけを取り上げていたが、むしろギルランダイオ、
ペルジーノ、リッピ、バルトロメオ、デルサルト、ブロンズィーノの作品のほうが
見応えのあるものがあって思いのほか良かった。もちろん、彼らの作品の中でも
代表作的なものではないが。
久しぶりにイタリアの中世・ルネサンス美術をじっくりと集中して見られて新鮮だった。

出かける時には、いつもいろいろ用事を済ませることにしている。
銀杏の黄葉真っ盛りの公園を抜けて、アメ横でライターのオイルを買い、銀座に
出て、姪っ子らのクリスマスプレゼントを探し、GAPでセール品をあさり、
日本橋でメガネを引き取りに行ってから帰宅した。

母用の朝食と昼食を、早朝に用意して出てきたが、夕食は弁当を買って、
トン汁だけ作って済ませてしまった。
こういう日があってもいいよね。


落葉踏みフィレンツェ絵画と対面す上野の山も秋たけていく     上野のもみじ


たこつぼ   141227

イルミネーションもクリスマスもケーキもチキンも全く縁なく年末に。
選挙結果にがっかりしてTVも見ていない。おかげで大掃除に集中できた。
一昨日、やっと最後の窓掃除とカーテン洗いを終えた。だいぶ手抜きの大掃除だったが
気になっていたところはできたので、今年はここまでだ。

思えば、今年はますます行動範囲が狭くなった。
毎日の食事づくりにかかる時間は増えた。
読みたい本は手元に積んであるのだからもっと読めたはずだが、山は減らない。
読もうかという時間には目がしょぼしょぼしてきてページが進まないことが多かった。
「インフェルノ」ダン・ブラウン、「ペテロの葬列」「荒神」「おまえさん」宮部みゆき、
「イーヨ君の結婚生活」「猫弁と魔女裁判」大山淳子、「ロマネスク」アンリ・フォション、
「機械男」マックス・バリー、「心のナイフ」パトリックス・ネス、
「ヨハネスブルグの天使」宮内悠介、「24人のビリー・ミリガン」ダニエル・キース、
「量子怪盗」ハンヌ・ライアニエミ、「夢幻諸島から」クストファー・プリースト、
「暗黒の監視人」「暗黒のすべての色」ロイド・ビッグルJr、
「宇宙の地図」フェリクス・J・パルマ、「空間亀裂」フィリップ・K・ディック、
「薔薇の血潮」タニス・リー、「巨獣めざめる」ジェームス・S・A・コーリイ、
「混沌ホテル」「空襲警報」コニー・ウィリス、「ブラインドサイト」ピーター・ワッツ・・・。
今年読んだのはこんなところか。
「空襲警報」は、読み出したら以前に読んだことがあるのに気付いたがタイムトラベルシリーズの
コニー・ウィリスのものはまあ面白い。「インフェルノ」はルネサンスの観光案内のようで楽しく
読める。ストーリーは浅い。あいかわらず宮部作品のストーリーには引き込まれる。時代ものは
特に文章の品がいい。緻密な作法は好きだな。「機械男」「心のナイフ」のように、アイデアの切り口
の新奇さのある作品が多かった気がする。ただ作品としてはもっと展開の仕方があるのではと思って
しまい、物足りなさが残ったものが多かった。
サンリオのロイド・ビッグルJrの暗黒シリーズを読んだら、昔のおおらかなSF満載で楽しい。
突込みどころがありすぎて笑うしかない。娯楽小説としての時代のSFそのものだ。
美術関連は眠い時には読めないので、気を入れて読まなくては。

今も3冊読みかけだが集中できていない。
外に行かない分、来年はきちんと読みたいね。積んである本の山を減らさなくっちゃ。

透けていくガラスのくすみ寒空にゆるんだ日々の禊のごとく   14年の読書


無風    150102

2年連続だめだった。
天は晴れているのに、東にだけ低い雲がわいていて初日は見られず。
出鼻をくじかれた。
初詣にまわらず、家人が起きてくる前にお節のテーブルセッティングをした。
暮れの3日間で作ったお節は、今年はまずまず。(と自賛。)

元日の顔合わせをして一段落してから、一人で墓参りにゆく。
風が冷たく吹き抜ける霊園は意外にもけっこうな人出だ。
娘夫婦が暮れから来てくれているので、乗り換え駅でケーキを購入して帰宅。

母の体調はまずまずだが、自分から何かするということが全くなくなりストーブに
かじりついている。認知症は多少進んでいる気がする。

初日を拝めなかったこともあるが、TVも見ないので昨年からの改めての区切りも
ない静かな日常が続いているだけだ。
穏やかといえば穏やかな、区切りも変化もない年末年始だ。

今年はこんなふうに日々が一年続くのだろうか。
さみしいような、ありがたいような。


元日の寒空の下墓掃除線香の煙る千両の赤          2014年の読書


無法   150219

た今週もやられた。
今年に入ってから、毎週末の深夜、ごみ集積所に建築廃材のような
得体のしれないゴミが山積みにされてしまう。明らかに家庭ゴミではない。
合間に、分別したり分解したりして収集車に持っていってもらうが、
回収してくれないものが多く、ゴミの山がどんどん大きくなっていく。
近隣に建築会社もない。
ゴミが置かれる場所は、幹線道路からの抜け道になっていて、車の通行量が最近増えた。
見張っていることもできないのでどうしたらいいか困惑していた。
もう2か月近く続くので、交番のお巡りさんを訪ね、現場をみてもらい相談。
こういうケースはなかなか検挙が難しいらしい。
監視カメラをつける方法もあるが自分で(費用をだして)つけますか、と言われてしまった。
とりあえず深夜に巡回を増やしてくれるらしい。看板もつけたらどうか、というので
手づくりで看板を作った。こんなことで効果のほどはどうだろう。

今回はお隣さんが清掃事務所に電話してくれ、持って行ってもらい2か月ぶりにゴミの山がなくなった。
いつまでもつかな。

掃除道具を片付けようととしたら、今度は庭の芝生に猫のフン。
匂いがひどいので穴を掘ってすぐに処理。
猫よけを蒔いたりしているが全く効果はない。
このあたりには4,5匹の猫を見かける。飼い猫なのか野良猫かわからない。
我が家の庭とブロック塀の上が猫道になっている。
こちらも深夜にやってくるので対処のしようがない。

千両、万両、金柑ばかりか椿も蠟梅も福寿草の花まで訪れる小鳥達に食い尽くされた。
まさに我が家のうちそとは無法地帯となりはてている。

氷雨降り訪なう人なく暮れてゆくようやく手にす恃めぬ家事に    ゴミ看板


花粉    150306

やっと梅がほころんだ。
色のなかった庭にやわらかいピンクが古木にまとわりついている。
よくみると庭のそこここに濃い紫のスミレも咲き出した。
今年は、全体に遅いと思う。
もっとも例年なら鈴なりの金柑が目立つ時期なのに、すっかり小鳥の
朝食用になってしまい、今年はジャムも甘露煮もなしだ。
クリスマスローズも馬酔木も咲いているが目立たないし、水仙はまだ
つぼみのままだが、日に日に春めいてくる庭がなんとなくうれしい。
息子は花粉症がひどくて、フトンを干してくれるな、という。
日当たりがよいのにフトンを干さないのはもったいなく感じてしまう。
お日さまの匂いのするようなフトンほど気持ちのいいものはないいのに。
花粉もとれそうなハンディ・クリーナーでも検討してみるか。
芝はまだ枯葉色だ。緑があちこちにあるが全て雑草。
そろそろ草取りをしないとね。

枝先に寒風ぬって春が来る拾った手袋門にひっかけておく   梅の花


5回    150323

混まない日に出かけている。
お墓は車だと近いのだが電車だのみなので片道1時間はかかる。
市川大野の駅から霊園までの道が不便でお彼岸時期などは特に渋滞する。
何度か、バスもタクシーもつかまらず歩いたことがある。結構な坂道もあり
50分くらいかかった.

この春も1週間前に行ってきた。
手桶を預けている墓石屋さんは、毎回命日ですかと聞いてくる。
墓参りもするし仏壇に線香もあげるが、宗教心はない。
墓参りは気持ちの問題なのでいつもあいまいに返事するしかない。
この3,4年は来る回数がめっきり減っている。
元日、春と秋のお彼岸頃、お盆のころくらいか。去年は5回だった。
霊園の管理料が大幅に上がった割には、たまに来ると草が伸び放題になっている時もある。
よそ様の墓所には木や花が多く、季節感はいつも感じられる。
周囲にはナシ畑も多く、時期になると白い花が美しい。

お彼岸の1,2週間前でも最近は人出があってさみしい感じはしない。
混雑や渋滞をさけたいと思う人が年々増えている気がする。
人の考えは似たような発想をするものということか。


あちこちで読経が流れる曇天の下春をさきどる仏花も香る   杏の花


体感    150411
 
今日も寒かった。
4月に入ってからもみぞれが降ったり、雨もよいの日が多かったり。
今年も天候がおかしい年になるのかな〜。

家の前の桜並木が咲くから見に来いと娘に誘われていたが、
なかなかスケジュールがあわず4月9日に行くことに決めていた。
娘が移ってきて初めての花見時なので。
我が家の周りの桜は半分が葉桜になっていたので、それほど期待せず
母を連れて娘の家を見に行くつもりで遠路でかけてきた。
9日は雨の日の谷間の晴れだった。どっちかというと晴れ男なので。
風は冷たかったけれど。
寒緋桜よりは淡く、染井吉野よりはピンクのはっきりしたしだれ桜が満開だ。
風に吹かれて散り始めるというタイミングで、それはそれは花見頃だった。
薄日は射すが春とは思えない北風が冷たい中、鶯もないている。
外出すると、いつものケチケチ生活のたがが外れて、ちょっと高いパン屋によったり
美術館に併設の茶房でケーキを買ってきたり、お出かけ気分も味わえた。

広い視野の広がる公園と野川の両岸のしだれ桜とヤマブキの連なる散歩道も母を連れて歩いた。
散歩やジョギングには最適で住環境としては最高な部類だろう。
ただし、住宅地としては全てが満点とはいかない。最寄駅まではちょっと距離はあるし坂道だし、買い物
や病院までも遠そうだ。(年寄り世帯には、環境が良いだけでは住みにくい)
生活利便と住環境の良さとを両立させがたいという東京の住宅事情の典型かも。
それでも環境はたしかに素晴らしい。
スーパー堤防のせいで追い出されるならこっちに移るのもいいなあ。

満開のしだれ桜が列なす窓辺鶯の声のみわたる寒空に       野川のしだれ桜


イス     150409

なかなか母のプライドは高い。
杖もまだ、手押し車などまだ早い。
周りから使ったほうが散歩も楽よ、といわれてもまだいいという母を
もうその時だとケアマネと繰り返し吹き込んで、やっとイス付きの手押し車を手配した。
薬の管理にしてもリハビリパンツにしても納得するまで時間がかかったが。

いずれにしても引っ張りださないと歩かないので、風のない天気の良い日だけ散歩に出る。
最近は家の周囲でさえ、どこにいるのかすっかりわからなくなっている。
桜が満開と教えてもよほど近くないと見えないようだ。自分から何もしなくなったのも
目が弱ったのと耳もかなり遠くなったからかも。
これからどれだけ進むのか心配になってくる。
入浴介助のヘルパーさんやデーサービスの方々には本当にお世話になっている。
ヘルパーさんの人出不足と何かと書類ばかり作らせる厚生省の役人の非効率性をつくづく感じる。
実際のコストより管理コストのほうが膨れているのを厚生省はわかっていない。
財界にへつらい戦争できる準備にまい進し福祉を刈り込んでいく政策に怒りを覚える。
健康保険も介護保険も年金もお先真っ暗だ。全て、聞こえのよい自己責任に押し付けられる。
母には寝込まれたらどうしようもないよ、と言っているが、
母ばかりでなく、自分さえ寝込まないようにしなくちゃと思わずにいられない。

まだまだという母にもうその時だまた繰り返しいやいや肯首する  母の押し車


待機   150502

1年のうちある時期になると無性に本を買いたくなる時がある。
そうなると、普段にない所有欲に抑えがきかなくなり、本をあさりに動き回る。
地元にある本屋4,5軒には、ハヤカワ、創元社のものはほとんどないので
アマゾンを渉猟したり神田の古書街を歩くことになる。
今年は、それが3月の末にきて、20冊購入。読みたいものがまだあるのだが、
軍資金が底をつき断念。今、ぼちぼち読んでいる。
すんなりその本の世界に没入できるものと、字面だけは追えるものの中身に到達できなくて
苦闘しながら読むものもある。まだ数冊を読み終えたところだ。

そこに弟の嫁さん、つまり義妹、大山淳子さんの新刊がでた。
キノブックスというあまり聞かない出版社からでた「猫は抱くもの」。9冊目の単行本だ。
5つのショートストーリーの連作という構成で読みやすい。これまた猫本であるがファンタジーと
いうより人情話のよう。
人は誰も良かれと思って行動したり話したりするのだが、それがそのとおりに運ばなかったり
違って受けとられるもの。ままならないのが世の常だ。人間世界の不条理を切なく、ほっこりと
描いている。
ちょうどニューウィアード系に連なるといわれるヴァンダミアのサザーン・リーチ3部作を
読み終えたところで、知性が全く役立たない世界を彷徨う話にうつうつしていたところだったので、
いつもながらのさわやかな後味はうれしい1冊となった。

本はいい。それも紙の本が。
一冊一冊が新しい視点から世界を覗かせてくれ、日常と違う次元に誘ってくれる。
私にとってはイタリア旅行と本は等価値をもっている。

背表紙の文字に誘われ手をのばす斬新な視座から宙を穿つ  本の背表紙


体力    150501

土より根が充満。
母が長年やっていた花類の鉢は、7,8年手つかずで置きっぱなしだった。
何が咲くのか全くわからないものも多いので整理がてら植え替えにやっと着手。
大小50鉢はあった。
ひっくり返しても出ないほど根っこがパンパンに張って悪戦苦闘。
全くの自己流で株分けしたり、植え替えたりしたので、根付くかわからない。
鉢の整理だけで2日かかった。
急速に葉が生い茂ってしまった庭木の剪定を急ぎたかったんだけど体力がない。
庭仕事で体力が落ちていることを実感するなんて情けない。
この調子だと10日間はかかりそうだ。お隣さんに枝を伸ばしているものを
先にしながらぼちぼちやるしかない。
今日で4日目だが体の節々が痛い。脚立を昇り降りするだけなのに。
年寄りがよく梯子からおちてけがするという話をよく聞く。
慣れがこわい。自信過剰にならないように、無理せずやるしかないか。


枝打って同じ高さに切り詰める空をあけつつ齢ふる庭木     ゆきもち草


リトライ    150525

金柑も杏も不作。
天候のせいなのか自己流の剪定のせいなのか。
老木の梅も昨年の10分の1も実がついていない。
この分では、ジャムもシロップも梅干しさえも期待できないかも。市販のジャムは買わずに
1年分のジャムを作っておくのが恒例なので困った。
代わりに小粒のイチゴが安かったので大量のイチゴジャムは作った。

トマトとキュウリは間に合った。
種まきして二葉がでたところで鳥にやられ全滅してしまった。あきらめきれず、4月中旬に
種を蒔きなおしたら、やっと支柱をたてられるところまで育った。
キュウリの葉が虫か病気で傷んできたのでこれからどうなるか油断はできないが。
昨年までやらなかった脇芽とりなどちゃんと管理して高収穫を目指したい。

植木鉢の整理から始まり、庭の木々の剪定も虎刈りの松でやっと終えた。
5月は庭仕事で終わってしまった。
プロのようにはいかないが、紅葉と満天星の重なりとか石組みの見え方とか隠れ蓑の葉の飛び出し具合
とか、自分なりに見慣れた形におさまっていないと落ち着かないのだ。
庭全体は木が多すぎて雑然としているのだが、へんに細かいところにとらわれてしまうのが悪いクセ。
終えたはずの庭仕事だが、2階からみたら、もう枝が伸びているところが目についてしまった。

点描の緑をぬける初夏の熱トマトの苗をいたぶって吹く    トマトの支柱


恵       150606

このところ、本はみな読みかけのまま積んだままだ。
庭仕事にとぎれがないのと、トマトとキュウリの管理、それに梅とりとその加工にかかりっきり
だったから。
梅は、今年、数が少ないと思っていたが数が少ない分、一粒々が大きくて思いの外の
収穫。21Kもあった。
例年より早めに採ったのだが、熟すのがはやく青梅というより黄梅になってしまい、柔らかい。
梅干し用に8k、ジャム用に5k、シロップ用に5kにした。去年より少なめに。
残りは、昨年同様に「ご自由にお持ちください」と小袋に分けて門に下げておいた。
1日でどなたかが持っていってくれた。

案の定、ジャムは水分が多くて煮詰まらない。その結果、仕上がりも
かなり甘めでゆるいジャムになってしまった。
今日は、木にのぼり杏を収穫。たった6個しかなかったが。
これではシロップ用にするしかないか。

黄緑の恵みに感謝枝をかき分けそっともいでく梅雨空の下   梅の収穫


非情     150614

ひな3羽を連れてひよどりの夫婦が庭に通ってきていた。
餌をとってきては、ひなに与えているのは見飽きない。
こんなに近くで見られたのは初めてだった。
体の大きさは親鳥よりも大きいくらいなのに、まだよく飛べないようで
梅の木の低いえだに3羽がくっついて餌をまっている。
こっちが近づくと、親鳥は少しはなれたところから心配そうに見ている。

ところが、翌朝ひな2羽が猫にやられてしまっていた。
残ったひなと親鳥はそれから来ていない。

考えてみれば私の庭仕事もほとんどが剪定だ。
剪定というと聞こえがいいが、自己流で枝を刈り込んでいるだけで、
木にとっては切り刻まれているに過ぎない。
プロの剪定は植物のためにもなるよう、花や実がよくなるように、枝がきちんと
成育するようにするものだろうが。うちの植物は虐待に耐えているだけなのかも。
トマトとキュウリも今年は脇芽をとったりして管理しているが、脇芽とりも
こっちの都合の所以だ。
これから剪定しようと思っている木が数本あるのだが、
剪定の仕方をしらべて、木の負担をおさえられないか、切り方を考えてみようと思う。

それぞれの歩幅でのびてくトマト苗葉っぱつたって雨しずく落つ 梅にとまるヒナ


適材適所    150619

そこそこ順調に育ってきた。
キュウリ5本、トマト15本の一日ごとに伸びていく速さに驚く。
それぞれ同じように土をつくり、水まきしているのに成長度合いはまちまち。
実をつけたものもある一方、やっとつぼみをつけたところのものもある。
深さのないポッドとコーヒー缶に植えているので高い支柱は立てられなくて
足りなくなるものも出てきた。
それで、日当たり、伸び具合、支柱の高さで、全部のポットの置き場を再配置した。
キュウリは2階のベランダから紐を垂らして支柱と結んだ。
支柱の低いトマトは物干しざおから紐を下げて、支柱とつないでみた。
ネットで調べた育て方を参考にしているが、読んでもわからないところがあるが
ここまで育っているのでやり方はまずまずなのではと思う。
トマトは全部、大玉トマトなのだがこれからどうなっていくのか。
今回は脇芽をとって1本仕立てにしたので枝の広がりは少なく去年よりポッドは安定している。
紐でポットとつないだので、もう移動はできない。
収穫を期待するだけだ。

狭い庭をいっそう狭めて葉を展ばす緑の海に黄色の小花       トマト成長


                                    
             
決算          140901 

法事1回、墓参り2か所、新盆お参り1回、娘宅訪問1回、来客3回(3組)、花火見物(江戸川河川敷)1回、
銀座で買い物1回(法事用)。庭仕事(トマト・キュウリの後始末、芝刈、枝うち)3回、

妄想旅行プランニング3コース(あと2コース検討中)、医者診察2回、床屋1回、
ケアマネージャーと打ち合わせ1回。

日常の買い物、炊事、洗濯、掃除、デイケア、ヘルパーさんの対応など日常のルーチン業務を
除けば、この8月はこれで終わった。

海にも山にも旅にも出ず、外食もせず、ブログやhpも更新せず、本の1冊も読み切れず。

暑い夏にまいっていた。あまりにもダレすぎた。
9月以降は少し気をいれて過ごさないと時間がもったいない

空蝉の葉うらに残る我が庭に控えめながら虫の重奏       umeboshi



完熟      140720
 

庭のトマトをもいだ。完熟だ。
大玉トマトがやっと色づいて、今日の収穫で7個目。
皮はやや硬いが十分に甘く、味は格別。ミニトマトも最も
赤いものだけを毎日採って食卓に上る。

キュウリは既に15本を食した。まだ6,7本小さいのがなっているので
これも期待できそうだ。

我が家の庭は花が少ないので緑ばかり。
そんな中で、ミニトマトと大玉トマトの赤が映える。
誰もほめてはくれないので自賛している。
トマトの枝はやはり早い段階でカットして主軸に集中させるのが本来らしい。
キュウリも同様らしい。
苗が小さいうちにポッドに植え替えるのはいいのだが、今のポッドは小さすぎる。
苗の置き場も考えないと、今年のように
芝生を傷めてしまうことになる。

         2年目の菜園だが、まだまだ学ぶことが多い。もうすぐ梅雨もあけると思う。
         
梅雨が開けたら今度は漬けてある梅の天日干しがまっている。

自画自賛緑の海に真っ赤なトマト世間に負けず健気に息づく 

                                                            kanjyukutomato   


完結     140706

もっと続いてほしかったね、猫弁。
義妹、淳子さんの労作は、猫弁だけじゃないけど、シリーズ5冊目「魔女裁判」も読み出したらとめられず
一気に
エピローグまでいってしまった。
この巻は今までの4冊とはストーリーとしてはもちろん繋がっているけど、色合いが明らかにちがうね。
前の4冊を読んで
いないと一言の意味が本当の意味では伝わらない。
単独に読むとあっさりしすぎてしまうかも。

それに、今までのシリーズで出てこなかった裁判自体や弁護士業界が具体的に現われてきたね。
一番の違いは、伏線をはりめぐらして最後に全てが収れんする
構造が前作までと違って本作では薄まっているね。
もちろんこの色合いの違いは、完結編という本作にむけて、前4シリーズが全て伏線となっている大きな構成によるもの
だろうけどね。
本作では猫弁が強力に自己主張し、感情をあらわにしているの
もうなずけるね。もちろん、こんな理屈をこねなくとも、
さわやかで面白く、心穏やかになる読後感は間違いなく
得られる。
途中度々、万事休すとなって上をみた。
    読ませたいエゴノミックス安倍自公菜園のキュウリ今日も収穫     aotomato       


      
芝よりトマト   140702

繁りすぎたトマトに手をやいている。
キュウリ3本、ミニトマト6本、普通のトマト10本が育っている。
普通の大玉トマトは今年初めてやってみたが、これほど
太い枝を分けながら成長するとは
思ってみなかった。
ポッドを並べてほおっておいてよかった去年と違い、枝葉が重なりすぎて
置き場に困った。
ついに、芝生の真ん中に置くしか日当たりを維持できなくなってしまった。

芝生もそこそこ手を入れて整えているので残念。ポッドを置くとその芝生が
だめになってしまうので。

ミニトマトは昨年同様たくさんエメラルド色の実を付けてくれている。
一部色づいていくつかつまんでいる。普通のトマトも30個くらいは緑の玉がついている。
真っ赤な完熟トマトを食すのが
楽しみだ。

キュウリはぼちぼちと収穫できてもう7本食した。まだまだ小さい実がついているし、
成長しているので定期的に取れそうだ。
トマトは枝分かれしてもほおっているが、プロは枝を整理するのかもしれないな。

それにしてもトマトを植えるにはポッドが小さすぎた。

こんな小さなポットでよく育ってくれている。

青 臭いトマトの香り漂って久々に嗅ぐ夏の思い出                        shiba

後始末     140619

自己流の庭仕事でもありがたいことに、季節ごとに花を咲かせ、実を付けてくれる。
杏に続き梅の実とりをした。去年より一週間遅い。

大きいものだけにしようと思ったが途中から面倒になり全部とることに。
今年も意外に豊作だ。採るのは楽しいが
後が大変。

水洗いして量を計って何にするか考えて材料をそろえることからだ。

水洗いまでで1日目終了。

2日目。計量したら38
kgの大収穫。梅酒は数年分あるので今年は作らず。梅干しに15k、シロップに5k、ジャムに
5kを
使うことにする。残りはどうするか。
25k分の粒が大きくきれいなものを選別するだけで2日目終了。

3日目。梅干し用分を水につけておく。次に、シロップ用、ジャム用を選別。
へたを取りながら再度水洗いし
シロップ用を漬け込んだ。最後に梅干し用を水切り。

4日目。まず、梅干しを仕込んだ。次のジャム用を湯がいてタネとり。しんどい。

5日目。ジャム作り。すぐに焦げるので鍋につきっきりでかき混ぜる。中断して
詰める小ビンをかき集め煮沸殺菌。
再度、砂糖を入れて更に煮詰める。

6日目。ビンにジャムを詰めて完成。

年々作業がしんどくなる。作業を終わらせることが目的のようになってしまい
味が二の次という感じだった。
今になって、今年の味はどうなるか心配になってきた。

ちなみに、残りは小袋に分けて入れ、家の門に「ご自由にお持ちください」と

ぶら下げておいたら2日で消えた。無駄にならなくて良かった。

たわわなる老木の梅色付いて摘む指先に感じる恵み    umesyuukaku


実りの梅雨    140613

金柑の今年3度目の収穫でママレードにしたばかり。
杏もピンポン玉をひとまわり大きくしたくらいになって色づいたので小雨の中収穫した。
去年の27個を上回る
32個。意外にあった。

早速、杏のシロップにして、今日はシロップのダシとなった杏でジャムを作った。
文字通り、一粒で二度おいしい。

枝葉ばかりが成長著しく、ポッドの置き場に困るトマト。よく見ると実がついているものもあれば、花も
少ししかついていないものもある。

キュウリの1本の苗からは数本なっていて、20センチになった1本を初収穫。
みそで早速食す。

老木の梅も今年も鈴なり。実は小さいが数は多そうだ。
いつとろうかと毎朝にらめっこしている。
あまり取れ過ぎても手に余るのだが、母はとらずにいるともったいない、という。

自分では何もしないのだがこういう言い方をするのだ。

梅の木とにらめっこして思案する今年はジャムと梅干しは白に   

                                                             anzusyuukaku


妄想    140609

3回目のローマと近郊の街歩きに行った2010年を最後に、出かけていない。
行けない分、溜めていた情報や資料を整理しながらHPを開設したり、中世美術の
本を探したりして気を
紛らわせている。

毎日3度の食事づくりやルーティンワークで追われる主夫業に、なんとか
メリハリをつけようと庭木の手入れや
家庭菜園にも手を出しているが、
撮る写真は庭の花々ばかりではどうも意気があがらない。

旅のスタイルは思いつきでなく準備するタイプ。

言葉ができればその場で対応できるが、旅行会話以上は無理なので
最低限の情報は前もって知っておきたい。

それで、いつでも行けるように準備だけはしておこうと、次に行きたい街への妄想プランを考えることにした。
ネットを渉猟したり本をひっくりかえしている。

乗り継ぎにこの時間で間に合うのか、宿は駅に近いほうがいいのか、
見たい絵のある教会はどこにあるのか、
バスの乗り場はどこか、バスの時刻表はあるかな、
イタリア語ではなんと聞けばよかったっけ?
深夜に宿をさがしたり、急な坂道や石畳を歩く感触まで妄想が膨らむ。

今度は電子辞書を買って持っていこうかな。

いつの間に杏色ずく梅雨空に葉陰に光るトマトも育て   anzuminori


 苗     14051

トマトの苗がヨーカドーで100円で売られていた。
種のほうが当然安い、と思っていたのでびっくり。
苗からのほうが収穫できる確実性は高いと思う。
3月に種を蒔いて、若葉を植え替えたトマトとキュウリは、やっと苗らしくなって
来たところだ。
つい昨日、キュウリの1本が痛んでしまったので、
キュウリは3本、大玉トマトは8本、ミニトマトは10本しか生き残ってい
ない。

種からの確実性は低いが育てているという実感はある。

このうち、何本が収穫できるまで育ってくれるのか、毎日、水やりしながら
見守っている。
昨年は初めてだったので、何も考えず自然にまかせてどうなるか見ていただけ
だったが、少し知恵がついた分、かえって
欲がでて苗の成長が気になる。

ぼちぼち、それぞれに支柱をたてようと思っている。

八百屋さんで買う野菜は今年も高い。
でも農家の育てる技術を考えると、大量生産とはいえ自然相手で商品にまでする
ご苦労が想像できる。
ほんの少しの家庭菜園だけしかやっていないが実感する。

安ければいいと単純には思えなくなる。

せめて、無駄なくおいしく食べさせていただこう。

新緑の蝶にまとわれ剪定す脚立の上で五月の背伸び   tomatoshinnme


流す    140512

キッチンのシンクの水が流れない。
早朝、朝食の用意に行くと1Fのキッチンのシンクに水がたまっている。

2月頃から水の流れが遅いな〜と感じていて、見てもらおうと思ってはいたがつい
そのままにしていた。
自力でごみのつまりを取り除こうとしたが、壊しそうであきらめ、
駅に近いガス工事店「ヤマニ産業」に行ってチェックを
依頼。
この工事屋さんの自宅は
お隣さんで、無理な相談にもすぐ対応してくれるのでついつい甘えてしまう。
この日も午後には来てくれ排水口を修理してくれた。

シンクには金網状の水きりがあるのだが、母は気にせずなんでも流しているので気にはなっていた。網をとって流すの
はやめるように言っても全くマイペース。
人のいうことに聞く耳は持たないのか、忘れて、自分流のままやっている。
これに限らず何事も面倒くさがるようになってしまった。

以前は何事にも健康や他人に気を配る人だったが最近は全く反応がない。

何かやってもらうのも大仕事になってきた。

昨年の暮れあたりから、食事の量がめっきり少くなっているのに
おかずを残して、直ぐに、間食にお菓子を食べる
ようになって困ってしまう。

今日、世間は母の日らしい。まあ、寝たきりにならず生活してくれればよしとするか。


無理やりに散歩連れ出す土手の上燕飛び交う母の日の空

                               odamaki


 見えない     140507

ついこの間、新芽だ若葉だとみていたのに、今は繁り過ぎだ。
我が家にはたいした木はないのだが、本数だけはかなりあり枝葉が重なり合って新緑なのに暑苦しい。

恒例の素人植木屋の出番だ。

せめて、木の重なりをなくして陽と風がぬけるようにしないと。
虫もつき始めている。

それにしてもそれぞれの木は日差しのあるほうに自由に枝葉を延ばしている。
一日の食事の準備や家事があるので庭仕事にかけられる時間も体力もそれほどない。
最低でも2時間から3時間ある
時に庭に出る。今日で着手してから5日目だが、
まだ半分もおわらない。
剪定した枝、葉の始末もせず散らかったままにしている。

かたずけるのは、一通り剪定が終わってからまとめてやりたいのだが、いつまで剪定に
かかるか先が見通せない。
先が見えない事は他にもいっぱいあるけどね。


山法師犬つげ椿金木犀枝葉を伸ばす自由にのばす    ebineran


 nice one !      140402

ツィッターもフェイスブックもやっていない。(トライしたがあまりにも不用心なので)
”いいね”が氾濫しているが、あのお手軽さにも反感を覚えている。なんで”違うよ”がないんだろう。

管理人もこのブログのほかに、HPも公開しているのだが、別に共感を期待しているわけでなく、
自分の頭の中を整理する
ための自己満足のためだ。

それでも、義妹、大山淳子さんの最新刊「イーヨ君の結婚生活」(講談社刊)は、いいね!

デビュー作の猫弁シリーズ第一作と同じくらいいい本ができたと思う。
3月下旬には入手していたのだが、読みかけの「ブラインドサイド」につっかかって
読み終えてからと後回しにしていた。
でも読み出したら一気。

猫弁同様に計算された構築的な構造に、キャラクターを簡潔にうかびあがらせる表現だ
ストーリー展開に思わず
引き込まれてしまい構造には気が行かなかった。

人の行動や外形をもたらす要因への視点、個々人の事情とそれぞれの人との関係性が
違和感なく見えてくる語り口。
人間を見る目のやさしさがうれしい。
いつもながら、さわやかな読後感を味わえた。
最初、書店で手に取るとき、少しためらうタイトルだが、読後は納得できた。

3月中旬に種まきしたミニトマト、キュウリ、大玉トマトの芽が出てきた。桜が咲くほど温かくなったと同時に湧き出した。
管理人の庭もいつのまにか
葉や新芽が萌え出して、様々な緑のモザイクでうまってきた。
それぞれの草や木にいのちとそれなりのストーリーがある。

春だなー。

四十雀梅の古木を渡りおりプランターの二葉が植え替えを待つ

                                                               hatuga


放置     140328

毎冬、指先のアカギレがひどい。
3月に入ってから右手人差し指がいつになく痛かったがバンドエイドで
すませていた。そのうち人差し指がソーセージのように
パンパンに張れてしまった。

お彼岸やら来客やらで医者にも行けずほおっておいたら、夜中に痛みで目が覚める
日が続き、我慢に限界。
都合をつけて月曜日に医者に行った。

開口一番「なんでこんなになるまでほおっておいたのか」と医者に怒られてしまった。

ツメもやられているかもしれない、大ごとだとしかられつつ、すぐに切開。
明日も来なさい、と言われ結局3日連続で
治療してもらうことに。

これでだめならウチでは処置できない、と宣言されている。
今週末の状況次第だ。

この齢になると体のアチコチにガタがくるのはしかたがないことだ。
眼、歯、腰痛。健診でもコレステロール、尿酸値、血糖値も基準の上限値の少し上を
キープ、血圧の薬も服用中だ。
タバコを止め、体を動かせばいいことは十二分にわかっている。長年続けてきた
ジョギングもヒザ痛でままならないので
無策で過ごしている。

なるべく薬に頼らず、特保や健康食品、サプリメントには全く関心もない。
何事にも自然体が一番と信じている。
齢はとるものだし環境は受け入れる。

それでも東電や政治には怒りを感じストレスはたまる。

イタリアの地方都市を2,3週間ぶらぶらできればいらいらもフラストレーションも
解消できるんだけどね。

指先の包帯うずくサンデッキ杏の花びらが風をみせる  anzunohana


 較差    140307

面倒だが、実がなる喜びはそれにまさる。
昨年、初めて家庭菜園なるものをポッドで挑戦してミニトマトとキュウリの
出来に気をよくした。
今年こそもう少しちゃんとできるようにと、ミニトマト、
大玉トマト、キュウリの種を買ってきた。
やっと雪の後遺症も薄れて、古木の梅が満開に。ピンクの綿がさみしい色の庭に
華やかさをもたらしてくれ春らしくなった
ので。

種まきの前にやることは多い。まず、今のポッドを片付けなくてはならない。
ブロッコリーは雪で全滅したしダイコンもこれ以上大きくなりそうもないので全て抜き、
土を天日干ししている。
ミニダイコンを植えたつもりはないのに、収穫したダイコンは全てミニサイズだ。

それでも味噌汁の具やサラダには十分だ。

干してある土からごみやヒゲ根を取り除き、小石をよけるなど整理し、種まき用のポッドを作ることになる。
まだ、寒いので中旬以降まで種を蒔くのは待ってみようと思う。

それにしても、同じポッドにうえて、土や肥料、日照、水やりなど環境条件は同じ
なのに成長にこんなにも差がでてしまう
のは何故なんだろう。

芝枯れの庭も華やぐ梅の花ストーブ抱えて動かない母  daikonsyuukakui


雪害     140221

やっと雪かきが終わったと思ったところに2週連続のおーゆき。湿気の多い2度目の雪には我が家も被害。
庭木の枝折れ多数。
お袋の部屋の前のサンルーフが破損。TVアンテナに不具合、TV受信できず。
デッキの雪かきでペンキがはがれ傷多し。

雪かきの重労働も大変なのに、まだ後始末追われている。
曲がったり折れた枝を矯正する紐かけ、サンルーフの応急処置。テレビ工事会社に
電話してアンテナの補修と
受信状態のチェック。(思いがけない出費!)

デッキのペンキの塗り直しもやっと終えた。
庭にうずたかく積もった雪は、まだ手つかずだ。
まだ孤立した集落もあるというのに比べればたいした被害ではないが、
家事の合間にやるので遅々とした修復作
業だ。

結構しんどい。

想定外の自然現象が続きすぎる。人間のおごりを諌める天の手技か。

老梅のつぼみの大枝無残なり薄桃色が雪に埋もれる   setugai


 山脈    140209

朝、カーテンを開けると雪の小山が連なっている。
夜中に屋根の雪が雪崩落ちる音が聞こえたが、庭に突き出たデッキに
1m位の山脈になっていようとは。
庭より先に、外階段と門、玄関前をかたずけないと外にも出られない。

やっと終えて、家の前の道もやらなくてはと出ていったら、ご近所の
若い人たちが助けてくれ大方をやってくれた。
ありがたい。

昨日の朝から降り出した雪は、いつものボタン雪と違い細かい雪で、夕方には20cmを超えていた。
TVでは東京は20数センチと言っていたが、我が家近辺は
今朝は30cmを超えていた。
昨夜、一度玄関前だけ雪かきしたが、息子が帰宅する0時には元通りに積もっていた。

こんなに積もった雪を見るのは久しぶりだ。庭の木々も大分枝が折れている。
デッキの雪をどけるスペースを先に
作るため、デッキ前の3分の1程度まで手をつけたが
腰痛で中断。明日以降にしよう。
明日はケアマネと母のヘルパーさんが来てくれるので
雪かきまでは時間がとれるかどうかわからないが。

屋根の雪止めを南側にもつけておけばよかった。前回の家のメンテの際、けちって
北側だけにしたのがこういうところ
に響いてくる。

庭の雪が消えるまで当分かかりそうだ。

お見舞いの言葉を探すベッド脇小春日和に窓のないICU  dextukinoyuki


未校了 20140107

恥ずかしい。
誤字だらけだ。

イタリア熱の延長で覚書を形にしただけのホームページだが、まだ
無料のサイズ分に余裕があるので、今年のテーマ
として、新コーナー
を検討している。久しぶりに自分のホームページを見た。

ランダムに見ていたら、意味不明の文章あり。誤字、脱字も多数。改行のおかしいところ、文字のサイズもバラバラな
個所がたくさんある。

多くの人に見てもらおうと作った内容ではないが、それでも公開している
だけに、ひどいものを公開していると赤面する。
新コーナーどころではない。

最初から見直してみると、文章の下手さを別にして、あるはあるわ。修正するだけで
2週間かかってしまった。
 訂正できたはずが、アップロードしてみると直っていないところがまだある。

操作手順に間違っているところがあるのか、使っているHP作成ソフト
(よくできたフリーソフトだが)の問題なのか、
原因が不明。

いろいろトライしているのだが、まだ修正できない個所がある。

一見、簡単そうに見えることでも、何事も思いどうりにはゆかないものだ。

七草に間引いた大根きざみ込む小食な母も箸とめず 

                                                            minidaikon


 恒例     20140101

6:50AM。やけに赤い太陽が顔を出した。
江戸川の土手に上がるといつもより暖かいせいか人出も多い。東の低空には赤い靄。

風もなく、ゆっくりお日様を拝んだあと、土手沿いに歩き、松の枝ぶりで有名な
善養寺にまわってから帰宅。
年初の家人との顔合わせのためにテーブルセッティング。

年末に仕込んでいたおせち料理を銘々盆に並べ、お重をつめる。一息つく間もなく
娘夫婦が起きてくる。10:00に
なるのに母は起きてこないので呼びにゆき
4人でテーブルを囲む。
息子は大晦日の深夜に帰ってきたが、珍しく元日が休み
なので、景信山に初日を見に行く、とすぐに出かけてしまった。
おせちは年々上達していると自賛しているのだが、今回は失敗を重ね
どれも味が濃い。残念。

昼前に一人で墓参りに行く。以前は家人と揃って出かけたものだが、最近は一人でさっさと行くようになった。
暖かいので霊園も結構な人出。急に風が吹き出し
線香になかなか火がつかなくて難儀した。
元日のにぎわいを横目に、夕方帰宅。早くも夕食の準備にかかる。娘夫婦が食後に
帰るというので家にあるものを持たせる。
夕食には年末に漬けこんでいたスペアリブ
を焼く。
娘夫婦を送り出してから、のんびり後片付け。風呂をわかし母に入るように念押し
したあとで、2階の定位置で一服。
読みかけの「インフェルノ」を開いたものの
瞼が重い。11時過ぎに息子が帰宅したので夕食用意。息子が食べ終わってから
かたずけたあと風呂でも入るか。
こんな元日がここ数年の恒例だ。
なんの展望も計画もないまま1年がスタートしてしまったな。

吉祥か赤靄抜けて陽がのぼる出来立ての風が川面をなでる  14nenhatuhi



             無審査
     13-12-12              

                     全く早い、時がたつのは。
                     ドリーム・キャッチャー(スティーブン・キング)にいうSSDDとはこの一年のようなものか。

                    やらねばならぬ事を決まった時間までにこなし続けて、深夜、ほっとする時間を作れるだけのあっという間の
1年だ。       
                    映画館にも行かず、TVもほとんど見ず、レコードに針を落とすこともなかった。都心に出るのもまれだったが、

                    本を読むこととPCに向かうことだけはできた。

                    思いついて、本棚の今年読んだ本をながめて見た。
                    イタリア美術関連では、「建築と都市の美学」「イタリア・ルネサンス再考」「ルネサンスの神秘思想」「イタリア都市の諸相」        
                     の
4冊だけだ。神秘思想は知識がなく読みこなせなかったな。
                    文芸書では、「ソロモンの偽証」「桜ほうさら」「泣き童子」「猫弁(指輪物語、少女探偵)」「あずかり屋さん」「猫とわたしの

                    7
日間」「これはペンです」「屍者の帝国」「ドリーム・キャッチャー」の10冊か。
                     SF関連では「世界樹の影の都」「シップブレーカー」「エラスムスの迷宮」「アンドロイドの夢の羊」「クロノリス」「マジックフォー                                
                    ビギナーズ」「ペルセウス座流星群」「ZOOCITY」「機龍警察、自爆条項」「フェッセンデンの宇宙」「クラーケン」「変革への
                     序章」「戦乱の大地」「星海の楽園」「戦いの虚空」といったところだったか。SFのジャンルではシリーズもの、続きものが多か           
                   ったな。

                    アイデアのあるものは多かったし読み物としては奇想的で面白いものが豊富だったが、革新的な作品は少なかったという感じ。
                    今年の満足度第一位はなんといっても「ソロモンの偽証」かな。

                     尤も、宮部作品は無審査で新刊本を購入することにしているので期待に違わずというところ。次点は「シップ・ブレーカー」かも。

                    こう見直すとクセは読書傾向にも表れているな。興味関心は幅広いのに、その中で特定のジャンルだけを追っかけてしまうのだ。
                    だから、話題作やベストセラーはほとんど読んだことがないということになってしまうのだ。

                   風が出てきた。電線がうなっている。未読の本の棚から、次に読むものを選ぼう。
                    去年買って放ってある「第六ポンプ」にしようか「ブラックアウト」にしようか。      

 

                シリウスがきりりと冴える深更にオーニングを揺らし風が吹き抜ける   20131年読書      
        
          

              第2弾   13-11-24

                    いつの間にか葉がしげっていた。
                   ただしアオムシやバッタがたかり、文字通りの虫食い状態にしてくれている。

                   オジに頂戴した種の床を放ってもおけず、10月、トマトときゅうりの後にブロッコリーとダイコンの種を蒔いておいた。
                   家庭菜園の真似事、第2弾だ。

                   繁った葉の下をのぞくと親指くらいのミニダイコンになっている。
ブロッコリーは葉は繁っているが、らしくなくて細いまま。          
                   両方ともこれから太くなるのかな〜。

先月から今月と忙しさはいやましている。親戚の不幸も続いたり年末までのあいだに大掃除やらもあるので前倒し
して着手しているし。2世帯住宅の形なもので全てが2倍。網戸洗い、換気扇、カーテン洗い、ベランダや室内の
いつも手をぬいている部屋の掃除など半分近くを終えた。手間のかかる窓やロールカーテン、キッチン、玄関まわり、
床、廊下とまだまだ先は長い。

来月はさらに健康診断、賀状、おせちと少し気が重い。

まあ、のんびりやりますか。

               プランターの新葉の陰に白き指学ぶかいなき虫のごちそう     ミニ大根
           

歓待   13-10-23

近くに新駅ができたと聞いていたので成田のいとこの家に行って来た。
いとこといっても大分年長でいつもお世話になっているのだが、ご無沙汰しているので新駅の見学を口実にして。

十数年ぶりなので面影が残っているのは、家の周囲だけだ。

成田ニュータウンに近接しているせいもあるが景色は様変わりだ。小学生まではしょっちゅう来ていたので裏の畑や
竹藪の細道はなつかしい。今はいとこ夫婦だけが住んでいて母を歓待してくれ、母もいつになくよく食べ

よく話に加わった。いとこ達のお酒と共に口もなめらかになり、私も聞いた事のない地名や
名前が飛び交う。
よくそんな古いことを覚えているものだと思うほど昔話がつながっていく。

母を行かせたいところは何か所もあるのだが、車のない我が家では連れて歩くのもいろいろ考えながらになってしまう。
それでも、口も軽くなる
こうした外出はいいものだ。

歓待に掘り起こされる記憶の底思い出だけは語り語られる  大根苗育つ

              

木登り    13-10-14
 
一年ぶりの木登りだ。

にらめっこしていた松の剪定にやっと取り掛かる気になった。

本来は
5月頃にすべきなのだが、体調のせいにして先延ばししていたがもう限界。11月になってからと思っていたが
繁り過ぎて放ってはおけない状態に。

家にある2つの脚立はともに
170cmなので、天に立っても松の3分の1しか届かない。1日目は脚立で届くところまでで
終わり、2日目は木登りして松葉に刺されながら細枝の上でアクロバティックに切り詰め、すいていく。繁り過ぎた分、
すいたり切りとる部分が多いので手間のかかる事。大型のごみ袋に8杯分にもなった松葉は後始末も楽じゃない。

運動不足がてき面。枝の上で足がつりそうになったり、挟みを持つ手が固まってしまったり。
急いだ分仕上がりはまさに虎刈り。完成イメージとは大違いで植木屋さんのような形にはならなかった。
それでも松越しに月が見えるようになっただけで良しとしよう。

 


挟み持つ右手を伸ばし松葉そぐ松脂の香り秋風に舞う    松の剪定後


               

老婆心     13-09-10

最近になって息子が山歩きにはまっている。
仕事で深夜に帰宅したのに早朝にはでかけていくのは、どうかなと思うが。

友人と行ったり一人でも行っているようだ。私がよく歩いていた頃は、誘っても全くのってこなかったのに、今頃かいと思う。
なんとウェアからザック、下着、山靴からストック、小物まで新調していた。カタチからはいるのが今時らしい。

我が家から日帰りで行ける関東の山は全て踏破した身としては、いろいろ伝えたい事もあるのだが全く聞く耳をもたない。
お天気や何かの時の医薬品とか全く考えておらず、コースの研究もネットで見た程度のようだ。

低山であっても一人歩きするにはそれなりの準備が必要だが、気楽過ぎて少し心配。

息子にストックはやめるように言ったが、今は使うのが多いらしい。ストックや山を走るトレイルも、元カニ族としてはいい
迷惑だ。多くの人が山に行くのはいいことだがストックは山道を崩し、道幅を広げ、植物を痛めるばかりだ。季節ごとの
山野草を楽しんだり風の音、鳥の声、落ち葉の踏み音すら聞こえない山歩きなんて、山歩きの魅力の
半分は失われるのに。

奥多摩も秩父も奥武蔵も行くたびに新しい車道ができてしまっていたり、気にいっていた杣道が削られてしまったりで、悲しい
思いをすることが多い。山歩きに一番いい季節を前にしても行きたい気持ちともう行かないという気持ちがないまぜになる
この頃だ。どっちにしても外出するのはちょっと大変だけど。

落葉道のかやのき平鷹巣山の日向ぼこ今も体が覚えてる      力のザック         

  

曼珠沙華     13-09-29

きちんとお彼岸には曼珠沙華の花が江戸川の土手にも炎があがるように同じ場所に咲き出すのが不思議だ。
花がない時期には他の多くの草々のうめつくされているので気づきもしない。

このところの毎日は、一日3食、5回の食事の支度と週3回の入浴サポート、週2回の半日デイサービスに
対応するのが日課になっている。すべてがそれに合わせた生活時間になっている。

単調といえば単調、変化は全くない。美術館にも映画にも行かなくなった。
それを苦と思えば苦だが、
意識しないこともできるようになった。

日課を全力でこなすが曼珠沙華のように達観はできていない。

淡々と決まった日課こなす日々土手に今年も彼岸花咲く     庭の水引     
      
       

ときめく       13-09-05

小説すばるに載った「通夜女」と「猫弁W(少女探偵)」の義妹の書きものを続けて読んだ。というより
途中でやめられなかった。いつもながら少しのユーモアでコーティングされたストーリーに引き込まれる。

登場人物がひろがっている。バイプレーヤーが皆、個性豊かなのでそれぞれのエピソードをもっと深く
知りたくなるが、それは次への種まきか、と穿ってしまう。ただ、それぞれ魅力ある人物なので、猫弁よりも
群像劇のように見えてきた。

読後の清涼感は、ここ数日の蒸し暑さを忘れさせてくれた。

それにしても、この齢に日々暮らしと格闘している身にとっては猫弁のようなときめき感は遠い遠い日の
ことになってしまった事を気づかされる。

味気ない効率主義がしみついて猫弁の熱きときめきうらやまし  猫弁の本
 

     13-08-31

8月の暑い日、叔父の告別に行ってきた。
急な入院にお見舞いに行ったばかりだったので驚いた。高齢であったが頑健な叔父だったのでなおさらだ。

私が西欧中世に関心があると知って阿部謹也氏の「中世の窓から」は知っているかと、本を頂戴したのは叔父からだ。

通夜の翌日、叔母も倒れたと聞き心配だ。

私の父方も母方も親戚が多いが皆、高齢だ。還暦を過ぎたいとこに代替わりしている家も多くなった。昔は忙しく、
親戚付き合いは面倒だと思うこともあった。この齢になると断片的にではあるが、事あるたびにお世話に
なったことを思い出す。
それもあって意図的に、母に無理させても親戚に連れ出すようにしている。

しきたりや慣習をないがしろに生活してきたので、この齢になってもとまどう事が多く、母に聞くこともしばしばだ。
認知症でも基本的なことは以前と変わりなく知っている。

自分も若いつもりでも誰にでも平等に時間は流れていく。最近は特に、時間の流れが速く感じられる

遠雷が近づいている雲動き突然の嵐備えもなしに          梅干し干し


       

いらいら    13-08-16

じっとしていても背中に汗がしたたる。
2階のキッチンの暑さは半端じゃない。3度の食事の支度は苦行だ。

あまりの暑さに芝刈りもする気にならず芝も伸び放題、読みたい本のページもはかどらない。

変化のない毎日にあきて、先週末、母を連れて母の実家の墓参りに行ってきた。暑さを覚悟して出かけたが、
タクシーも電車も涼しく無事に戻れた。

母の実家は相変らず庭の隅々まで手が入り、野菜や果物もなっていて、帰りには野菜をたくさんいただいてきた。
それに秋まき用の種の床までいただいて、秋も家庭菜園をやらなくてはならなくなった。

何もしないのは暑い。遠出もしたいところだが母を置いて出るのもままならず連れ出すのも体調をみてのことで
遠出もできない。母もこのところすぐに横になってしまうので、寝たきりにならないようにして
いるが。
自発的に何かするということがないのが困る。
久しぶりに庭で何かしているなと思っていたら、完熟前のミニトマト
をたくさん採ってしまい、私もさすがに声を荒らげてしまった。もうちょっと待てば真っ赤においしくなるのに。

暑さは人をいらつかせる。どこかで気分を変えたいもんだ。

出かけるなら、やっぱりイタリアのローカル都市散歩だな!

献立に悩むキッチン汗みずく開き直って鰈の唐揚げ     種の床       

            

土手    13-08-06

8月の第一土曜日は江戸川の花火だ。
年ごとに人出が増えている。打ち上げ場所は、我が家から
1kmちょっと離れている。
そこまで行かず、家から徒歩
1分の土手に上がり見る。
母を連れていくので近場ですます。以前はこの当たりは人出はまばらだったのに、今やラッシュアワーの
ホーム並みの混雑で土手の上では見られない。土手の下に行く道を見つけるのも一苦労。

土手を下って河川敷の斜面にござを敷いて寝転んで見た。

江戸川の花火のいいところは、川の蛇行と広い河川敷のおかげて開放感があることだ。
風向きによっては、我が家側から見にくい年もあるが。

せっかく広いのに、土手の上のほうがよく見えると思い込んでいる人が多いのに驚く。
土手の下でも距離は変わらないのに。

途中で帰るつもりが、今年は風向きもよく、涼しくて気持ちがいいので最後まで見てしまった。

カップルはいちゃついているし、はぐれた人を探しまわっていたり、花火そっちのけで宴で盛り上がっている
一画があるのも例年のことだ。
花火を見るなら打ち上げ場所の近くじゃないと、と娘夫婦は前夜に場所とり
して近くまでいっていた。
来客がある時は、私も打ち上げ場所の近くに場所とりに行っている。天から光が落ちてくるあの迫力には
本当に感動する。花火も毎年進化しているらしく、変わり種がふえた。風情のあるものが少なくなったものの
美しさは変わらない。

今年は天候不順で暑さも厳しいが江戸川の花火が終わると夏のピークが過ぎた感じがする。
暑さが本格化するのはこれからなのだが。

草原の茣蓙に寝転び天仰ぐ光の乱舞が無心に誘う   ミニザクロ


勉強中       13-0-612

種を蒔いてから2か月。
ミニニンジンが少し土の上に顔を出している。間引きをうまくできず固まっているので混んでいるところか
ら抜いたら1cmとか2cmに育っている。カワイイー。ウィンナーくらいまで育ったら収穫だ。

種を蒔いた時に鉢をひっくり返してしまい、あきらめたトマトのポッドから5本育っていて、今日みたら黄色い
小さな花が咲いている。スッゲー。これから実をつけてくれるのかなー。

植え替えたキュウリはほとんど育たず、
1本だけが葉をのばしてくれている。こっちも黄色い花が隠れていた。
ヤッター。でも成長していないのにこんなに低いところから実をつけてくれるかなー。

こんな調子だから家庭菜園で自給自足というにはほど遠い。花までは咲いてくれたがこれから実までなって
くれるのか。土の準備、ポッド、種の蒔き方、植え替えの仕方、肥料、水やりのタイミング、植え替えるポッド
の大きさ、支柱の準備などなど、ここまで全ての手順で反省材料ばかり。

今年は全部がお勉強だ。

コーヒー缶のキュウリにもポッドのトマトも期待膨らむ黄色い小花   ミニトマト熟す

恵み     13-06-08

いつもの年より色づきが速い。粒も大きい。
母のデイケアも入浴サポートもない木曜は、庭仕事や自分の仕事を少しはやれるので、梅とりだ。

2本ある梅の木の1本は傷みが激しく少ししかならないが、もう1本は老木ながらよく実をつけてくれる。

採ったあとが大変なので、今年は少しに、と思っていたがあまりに出来がいいので結局、大収穫。大粒18k、
中粒10kと28kにもなった。これでも小さいのはとらず、傷んだものは除いたのだが。近年にない取れ高だ。

今年は杏といい、金柑といい出来がいい。花桃も実をつけるなど扱いは例年と変わらないのによくなってくれた。

さて、この量をどうするか。洗いながら考え、梅干し15k、梅酒4k、梅シロップ4k、梅ジャム3kの4つを仕込むことに。
1日水にひたし、2日目の朝、ホワイトリカー、氷砂糖、塩を買い出しして、午後から夜中までかけて4種の仕込みを
終わらせた。(まだ4k弱も残っているが)。

出来は、時の魔法におまかせするしかない。気長に待とう。

指先に感ずる重み梅雨空に老いた梅さえ天に枝のばす   収穫

 


                 食の欲        2013-7-06
   

キュウリが1本だけ急成長、20cmを超えたので収穫。味噌をつけて食す。八百屋で買ったものより
みずみずしく、柔らかくてうまかった。

種を蒔いた時は、育つかどうかが問題だったのだが収穫を体験すると欲が出る。あと何本とれるかな。
なにせ1本しか苗が育っていない。花はたくさん咲いているが実の形が見えるのは今は1つしか見えない。

ニニンジンもそろそろ収穫の時かも。だいぶ、形が土の上に出てきた。トマトは相変わらずエメラルド色
の小さな玉だが、4、50なっている。花もまだまだ増えている。このままでいいのか、小さな玉を間引き
したほうがいいのか、葉っぱを整理して陽が当たるようにしたほうがいのか?
早く大きくなって赤くならないか、毎朝のぞきこんでいる。

                    黄花咲くキュウリの苗木夏蝶はけだるげに舞う関心なさげに        きゅうりが育った


            驚異         2013-6-19  

 

透明なエメラルド色の小粒が。青臭い葉の下にトマトの実がついている。ヤッター。

どんどん背をのばすトマトに添え木を追加していた時に気が付いた。キュウリも蔓がゆっくり動いて添え木
を探し、ぶつかると虫のように目の前で巻きついていく。植物の成長の速さにも動物のような動きにも驚く。
間引きしたミニニンジンも捨てがたく、ツナ缶とピクルスのディップで食した。
売り物なら文句をいうほど固くて美味しいとは言えないが、初収穫と思うと捨てられず、葉っぱまで食べた。
ここまで育ってくれると、ニンジンだけでなく、トマトにも、まだ形も見えないキュウリにも期待がふくらんでしまう。
梅雨の晴れ間の2日間だけ白梅を干していた。梅干し作りもここまではまずまずだ。当分天気はよくなさそう
なので、シソの葉を洗い、白梅酢に梅を戻してシソと梅を交互に重ねて重石をのせた。
梅雨明けごろに天日干しの予定。去年、一昨年は、干している時に、竹籠にくっついて皮が破れてしまった
のが多くて失敗した。

梅シロップも梅ジャムもまずまず美味しくできたし、今年こそどうにかして、きれいな梅干しにしたいものだ。

                 蒸し暑さ忘れて凝視すトマト玉きゅうりの蔓にも植物の力            ミニトマト鈴なり



            
勉強中        2013-06-12

種を蒔いてから2か月。
ミニニンジンが少し土の上に顔を出している。間引きをうまくできず固まっているので混んでいる
ところから抜いたら1cmとか2cmに育っている。カワイイー。ウィンナーくらいまで育ったら収穫だ。
種を蒔いた時に鉢をひっくり返してしまい、あきらめたトマトのポッドから5本育っていて、今日
みたら黄色い小さな花が咲いている。スッゲー。これから実をつけてくれるのかなー。

植え替えたキュウリはほとんど育たず、1本だけが葉をのばしてくれている。
こっちも黄色い花が隠れていた。ヤッター。でも成長していないのにこんなに低いところから
実をつけてくれるかなー。

こんな調子だから家庭菜園で自給自足というにはほど遠い。花までは咲いてくれたがこれ
から実までなってくれるのか。
土の準備、ポッド、種の蒔き方、植え替えの仕方、肥料、水やりのタイミング、植え替える
ポッドの大きさ、支柱の準備などなど、ここまで全ての手順で反省材料ばかり。
今年は全部がお勉強だ。

           コーヒー缶のキュウリにもポッドのトマトも期待膨らむ黄色い小花          トマトがなつた


           
恵              2013-06-08

いつもの年より色づきが速い。粒も大きい。
母のデイケアも入浴サポートもない木曜は、庭仕事や自分の仕事を少しはやれるので、梅とりだ。
2本ある梅の木の1本は傷みが激しく少ししかならないが、もう1本は老木ながらよく実をつけて
くれる。

採ったあとが大変なので、今年は少しに、と思っていたがあまりに出来がいいので結局、大収穫。
大粒18k、中粒10kと28kにもなった。これでも小さいのはとらず、傷んだものは除いたのだが。
近年にない取れ高だ。
今年は杏といい、金柑といい出来がいい。花桃も実をつけるなど扱いは例年と変わらないのに
よくなってくれた。さて、この量をどうするか。洗いながら考え、梅干し15k、梅酒4k、梅シロップ
4k、梅ジャム3kの4つを仕込むことに。1日水にひたし、2日目の朝、ホワイトリカー、氷砂糖、
塩を買い出しして、午後から夜中までかけて4種の仕込みを終わらせた。
(まだ4k弱も残っているが)。
出来は、時の魔法におまかせするしかない。気長に待とう。


指先に感ずる重み梅雨空に老いた梅さえ天に枝のばす          梅の収穫13年


          杏      2013-06-05 

梅雨入りしてから晴ればかり。
庭の木々の若葉の間から杏の実がのぞく。もう少し色づいたら採ろうと見上げていたら、尾の長い小鳥が
ついばんでいる。少ししかない実を先に食べられてたまるかとちょっと早いけど収穫した。思いのほか
25粒もあった。こんなに採れたのは初めてだ。種とりはアボカドの種とりと同じ方法なのだが、半分はまだ
若くてとりにくかった。半数は三温糖で、残りはグラニュー糖でつけてみた。金柑と違って直ぐにシロップがで
きそうだ。杏ジャムもつくるつもり。

去年なったミカンは今年は切り詰めたせいかなっていない。そのかわり花モモの木に今年初めて2つなっている。
大きくなるのかな。
今週中に、梅の実とりもする予定。今年は、全部とるのをやめよう。たくさん採れても
あとがしんどいので。今年は選別するぞ。
 

    杏の実窓が切り取る新緑にシャボン玉ごとく黄色が浮かぶ      杏の収穫


     
     甘露     2013-05-26

今年1回目の金柑摘みをした。
大粒で色づいたものだけだが、400個、3kgと大収穫。甘露煮とジャムを半々に作るつもりだった。

クックパッドのレシピもいろんな方の方法が紹介され、どれを軸にするか毎年悩む。甘露煮用に新しいレシピを
参考にしたが大失敗。種を取り出すための切り方が縦に切れ目を入れるやり方だったが、下茹でしたら
茹で過ぎてすっかり煮崩れしてしまった。
しかたなく、ジャム用から半分を選別して去年やった横の切れ目で作り直した。ここでも金柑に対する酒、三温糖
や蜂蜜の量が多過ぎて、甘すぎた。そんなこんなで、甘露煮、甘露煮仕様のジャムとジャム仕様のジャムの
3種類できてしまった。

今年は金柑の出来がよかったし、レシピはシンプルなのに、ウデが追い付かない。甘過ぎて甘露ではない。残念。

  
       ふつふつと滾る大鍋金柑の立ち昇る甘みほろ苦い記憶        金柑の収穫



     
にらめっこ   2013-05-21

庭の草花、木々の若葉の成長が目覚ましい。
杏や楓、金木犀、梅、椿、隠れ蓑などみな葉が生い茂り、陽も風も地面に届かない。虫もわいてしまった。
先延ばししていたが、庭仕事にようやく腰を上げた。前と違って一日集中して作業できないので、ここまで6日
かかっている。見慣れた、私なりのおさまりのよい形に刈り込むだけなのだが。

残りは松と実がなっている老梅、犬柘植だけだ。梅は実をとる時にするとして、問題は松だ。梯子も届かないので、
登ってつままなければならないので、1本だけだが3日は必要だ。腰痛も出て無理はできないし。

どうしたものか、毎朝、松を見上げてにらめっこだ。


金木犀同じ型に切り詰めて見慣れた形に齢ふる庭木          ホタルブクロ

   
 
     
新作     2013-05-12

義妹、淳子さんの新作「あずかりやさん」を読んだ。
宮部みゆきさんの「ソロモンの偽証」を読み終えたところだったが、そのストーリーに引き込まれ
圧倒されて、次の本になかなか手が出なかった。そんな時に、新作がでたと聞いて、お袋を病院に
連れて行った帰りに地元の本屋さんをのぞいてみた。意外にも(失礼ながら)1冊入荷していたので即購入。
我が町の本屋さんにも単行本が置かれるようになってうれしくなる。

あれ、猫は?と思って読み始めた。連作短編集の体で技巧的。いつもながら癒し系。ゆっくりした時間
が流れる軽やかな物語になっている。なぜか、五月晴れの日曜の朝という風景が浮かんだ。

実際は、今年の五月は暑かったり寒かったり体調を崩さないようにするのが大変だけどね。

        とりどりの緑のモザイクに蝶が飛ぶ人目を気にせずたどたどしくも     エビネ蘭 
    

 
      
慣れ     2013-04-30

つがるJAから注文していたリンゴが届いたので箱を開けたらがっかり。小さい。ナイフを入れても固い。
ヨーカドーの理由ありリンゴのほうがうまい。コピーにほだされ、初めて食品を注文したのだが。
最初は、おそるおそる使い始め、本とPC関連しか使っていなかったweb通販だが、日用雑貨、園芸用品、
キッチン用品、キッチン家電と広がった。庭の芝生も通販で購入したものを自分で植えたものだ。

店頭で探しても見つからない種類のものでもネットだと探せるし、送料を考えてもコストメリットも大きい。
最近は嵩張るものもよく注文する。

それでもサイズが気になるものやグルメではないので食品は避けてきたが、今回は油断した。
カードやパスワードのセキュリティへのガードも下がってきているので気を付けよう。


           クリックの手軽さゆえにガード下げ後悔も届くリスクと共に          ゆきもち草


      期待     2013-04-22  


やってみたい気持ちと仕事を増やしたくない気持ちで、これまで家庭菜園は避けてきた。
庭に自生しているミツバ、ミョウガ、ミント、ローズマリーなどは食しているが、気の迷いで、
3月下旬の温かい日に、トマト、キュウリ、ミニニンジンの種を買ってきた。我が家の庭にはすで
に空きスペースはないので、ポッドとコーヒーの空き缶に土を仕込み種を全部まいた。
ポッドを所定の位置に運ぼうとしてトマトのポッドをひっくり返してしまい、あわてて戻したが、手遅れ。

4月の中旬にニンジンとキュウリに芽が伸びだした。種の袋を見直すと二葉になったらウネに植え替えろ、
と書いてある。植え替えろと言われても場所がないので、ポッドを買い増し、、間引きしながら植え替
えたが5分の4はすてることになった。ポッド程度に蒔くなら、
全部蒔く必要はなかったのだ。
問題はこれからだ。若葉は一応伸びているが、鳥に少しやられてもいる。食するように育つだろうか。
こうご期待。

エビネランユキモチソウにスズランも今年も花芽自然の力                 ニンジンの芽


        8     2013-04-12

全く手を焼いている。
初めてフラットポイントでやってみようとしていることもあるが。それにしてもwindows8は今までと全く違う。
中身に行き着くまでの操作でつまづきの連続だ。今のノートPCは7で、購入直後、それまで使っていた
XPのデスクトップがクラッシュしてしまい、結局、並行して使っていなかった。今回も7のノートの調子が
悪いので早めに用意するため買い増しした。3代目からずっとVAIOを使っていたが、今回はFM-Vの
ノートにした。同価格以下でスペックが良かったので。

FM-Vの仕様だからなのかわからないが、まだ使いこなせない。
アプリをみてもofficeを使うような目的で使うPCでないとやっとわかってきた。遊びやSNSで使うには便利
にできているようだが。フリーメールの扱いも難しい。FM-Vにインストールされている無料アプリも無駄な
ものばかりで使いたいものがない。

それを消す方法を見つけるまでも手間取ってしまった。7の時もMSのリボンにも最初とまどったが、今回
の変化はXPから7どころの変化ではない。

目下のところ、8を使えるようになることが目的のようで、本末転倒の極みだ。

迷い込む機械の杜にさまよい漂う助けを求む知恵者の群れに         FM-Vwin-8      

 
     
メモ魔      2013-04-10


あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃと頭がカニミソ状態になると落ち着くために整理する。
todoリストを書き出したり、作業スケジュールを作っておくと落ち着くのだ。

母の面倒を気にしてから自分のスケジュールだけでなくなって、メモ類がよけい増えた。
月間スケジュールをカレンダー風に、2週間スケジュールを手元に置いておくメモシートに、
1日のtodoリストを前夜に。こうしておかないと抜けてしまうことがある。昔は記憶力はいいほう
だったんだけど。

旅さきでも見た事、聞いた事、感じた事。時間、入場料などなんでも小さなノートに書きつける。
あまりの殴り書きを自分でも後から読めないこともしばしばある。写真も撮るし、楽しんでいないように
見られるが、手を動かすと一層記憶できるのだ。

記憶力の減退とともにメモが増えていく。最近は買い物にもリストが必要になってきた。
todoリストは雑事でもルーティンワークにならないような利点がある。

 
         
キッチンを仕事場にして6年目メニューに悩む4月の冷蔵庫    クリスマスローズ       



          

           猫弁 3   2013-4-09  

やっと頁をひらくことができた。
知り合いに薦めておきながら、読みかけの「屍者の帝国」と「ペルセウス座流星群」をかたずづけて
からと思っていたら、何かと忙しく、やっと「猫弁と指輪物語」にたどり着いた。

義妹の書いたものを、癒し系ミステリーという人がいるそうだ。

撚られたストーリーが最後に一つづつ腑に落ちていくのが単なるハッピーエンドでなく心地よい。

矛盾する言い方ながら、大人のジュブナイルだ。読みながら、先が知りたいと思ったり、読み終わる

のがもったいないと思う本に出会うのは本読みの幸せだ。宮部みゆきさんの書いたものには多く

それがあるし、優れたSFにも感じることがある。猫弁もそれだ。

これにあたると切れ切れに読むのが難しい。

おかげで、今日は朝、アラームを止めてしまい寝坊してしまった。

雨上がり蘇芳の紅緑の海に浮き上がるほっこりと春の宵       猫弁シリーズ本棚


      寿    2013-3-09 

 いとこが嫁さんをもらった。超まじめ男で建築事務所をやっている。3月末の吉日の式にお袋と二人、お招きいただいた。
成田の式場に行く前に、母の実家でもある叔父の家に立ち寄った。

叔父の家の庭は、庭というより公園の様で広い面積の隅々まで手がいれられていて、今年は一斉に花が咲きそろって
見事としか言いようがない。特に、紅白、2本の花桃が、寿ぐように青空に満開でのびていた。

式場までの車窓からもそこかしこに満開の桜の集積が見られて、まったく佳日にふさわしい。

少し長かった独身生活に、かわいい花嫁を迎えて、おとなしいいとこ君が多少はしゃいで何ともほほえましい。

久しぶりの外出がめでたい席というのはうれしいものだ。親戚の面々とも会えたし、母も長時間の外出だったが

無地に帰宅までもった。

めでたし。めでたし。

そこかしこ若葉湧き出す木に土に息詰まるほどの生命の横溢    はなもも


     とんぼ返り   2013―3-22     

思いがけず桜が満開。昨年は全くだったのに今年はタイミングよく淡いピンクの雲によく出会う。22日、金券ショップ
で買ったラファエロ展を見に西洋美術館に行ったら上野は満開だった。3月で満開とは!。

早朝だったのに人出も多い。天気もよく春休み中だからかと納得。

肝心のラファエロ展は、絵画自体は、「エゼキエルの幻視」とか「自画像」とか「大公の聖母」とか有名な作品もあり
良かったがピッティやウフィッツィ、マルケ、プラドなどで見たことがあるものが多かった。いかんせん混雑していてよくは
みられない。予想通り。落ち着いて見られないのが残念だ。

こうした新聞社やTV局主催のイベントはいいとは思うが楽しめたことはない。海外の有名美術館でも混んでいる時
もあるし、団体客が多い時間帯もあるが、無料の日も多いし、夜も開いているので日本での展覧会のように人の頭
ごしに見ることはめったにない。美術館の人には申し訳ないが戻ったりして、見たい作品だけ見て、常設展も見ず
1時間もかからず出た。

桜にひかれ桜並木を抜けて御徒町にでた。ガード下の迷路のジッポの専門店でオイルと石、芯を買った。久しぶり
だったので店を見つけられるかわからなかったが、少し迷ったが店はまだあった。

お袋の昼食に間に合うようにと急いで電車に飛び乗って帰宅。せっかくの上野だったので歩きまわりたい気分だった
が満開の桜が楽しめたからよしとしよう。

人ごみの頭上を覆う桜色異国の言葉も飛び交う並木道       上野の桜


     ながら   2012-3-18    

また、鍋を焦がした。

鍋を火にかけている間に、メールチェックしていてうっかり。
一日にやることがたくさんあるので、作業効率を上げるため、手順を考えたりや並行作業することは当たり前になって
いる。
そうでもしないと夜、本を読んだりPCする時間は作れない。母の入浴サポートを受けている間に洗濯ものをかたずけ
たり、夕食の下ごしらえをするとか。並行作業が多いのは調理中かな。火にかけながらただ待つ、というのができない
のだ。

ただ、最近その結果並行してやっている片方がすっかりトンデしまうことが多くなって、失敗することが増えてしまった。
ちょっとかたずけたり、新聞を読んだり、植木鉢に水をやったりするがそちらに気をとられて、焦がしたり煮すぎたり。

この結果、料理の出来も悪いし、焦がしたものの後かたずけも増えるしでがっかりだ。

ゆとりがないんだな。
多少、ながらを減らしてひとつづつに集中するようにしますか。

よく見れば見える花々あちこちに風にもめげず叡山すみれ   叡山すみれ            


      旧市街  2013-3-11   

見直すとただの旧市街地の見どころリストになってしまった感あり。
HPの「旧市街」というページはずっと”工事中”でしたが、やっとまとまりアップできました。当初はイタリア旧市街の
街歩きの楽しさをまとめられたら、とイメージしていたのですが。どうもうまくまとめられません。

イタリアの旧市街、特にローカルな街は街歩きにふさわしい。海外には、美しい街が多くありますが、イタリアの街は
山の中の高台にあったり、斜面に城壁をめぐらし迷路のような路地、石畳などただきれいな街というのとは違う。
時の積み重なった空気が建物や家並を包んで穏やかな時間が流れている。塔に登れば街ごとに違う屋根の色、
城塞のそとの田園や山並みの眺めは見飽きることがない。

行けば、次々と行ってみたい街がある。実物を見たいと思う絵画や建物があるところを絞ってみたのだが、一人歩き
するには、まだ情報がたりないところばかり。今年も残念ながら行けそうにはありませんが、いつでも行けるように情報
を追加するつもりです。

街歩きに役立つ地図がなかなか見つかりません。(グーグルマップなど海外のWEB地図は意外と散歩には使い
にくいです。現地のインフォメーションでもらえる地図が事前に入手できればいいのだが)

次に行くとすれば、どこかなー。
以前はバスの車窓からしかみていないナポリか、ミラノ近郊のマントヴァとかパヴィアとかかな。

石坂に弱音もはけぬ一人旅傍らにいない君につぶやいてみる   福寿草


     接点  2013-02-28   

日々3度の食事にまつわる時間に多くを費やす。その他の家事や庭仕事もある。自分の時間がますますとれず一抹
の焦りを覚える。

やっと行くことになった恵比寿の歯科の帰り、たまの外出だからと新橋から銀座をぶらついた。金券ショップで映画のチケ
ットを眺めていたら、「ラファエロ展」があった。知らなかったので迷いつつ購入。グレコ展は知っていたが、日本でやる展
覧会で見ると、人が多すぎるせいもあるが、現地で見るのとでは印象が全く違うので、最近は見に行こうと思わなくなっ
ていた。

現役の時は幅広く情報のアンテナを張っているのが商売だったので、オン、オフ問わず情報の感度は敏感なほうだった
と思う。今はさっぱりだ。感度というより世の中や政治に嫌気をさして自分で接点を薄くしているせいだ。

毎日の生活に集中すればするほど視野がせまくなってしまうんだ。どうしたものか。

老梅の冬芽色づく雨もよいタバコの煙が隙間をうめる        ラファエロ展


     衝動   2013-02-05

いわるゆる外出するという機会がどんどん減ってきた。正月に奥歯に違和感を感じて、歯医者に行かなくては、と思った
ものの、
毎日の用事が多いせいにして延ばしていたら今日、奥歯の詰め物がなくなっていた。今週中に予約しようと思
う。

出かけられない分、食事づくりはきちんとやっている。調理道具はみな長く使い続けているものばかりだ。娘に無水鍋を
プレゼントされたのをきっかけに前から気になっていたものを通販サイトで見比べていたら、思わずクリックしてしまった。
マルチホットサンドメーカーとマルチブレンダーだ。

直ぐに届いた。ホットサンドメーカーで早速トライ。ワッフルと引き続いてモッフル、マルチブレンダーでもスムージーのよう
な野菜ジュースを作ってみた。最初は両方とも意外と手間がかかって面倒くさいな、と思ったが、何度かやってみると結
果はなかなかいい。

食べることに関してどんどんウエイトがかかってしまうな。

明日は、野菜ジュースとホットサンドでいってみるか。それとも焼きおにぎりにしようか。
 

落ち葉からやっと顔出す福寿草冷えつのる小庭にも息吹く土くれ   マルチブレンダー


     筋肉痛  2013-02-05 

昨年暮れに受けた健康診断の結果が出た。メタボではなかったものの多くの数値が危険域にかかってしまい医者から
注意された。
ジーンズはきつくなったし体を動かしていないせいだと思っている。お袋を土手の散歩に連れ出すと多くのジョガーが軽
やかに走っていて、私もやらなくちゃ、と思っていた。

1月にしては風がなく薄日が差す程度の日に、走るにはちょうどよさそうだと思い立った。ヒザ痛と腰痛で中止していた
ので1年7か月ぶりの土手だった。2kmくらいで折り返すつもりで、はじめはおそるおそると。そのうち後ろから高校生
の大集団がマラソン大会らしく追い抜いていく。
先頭集団は本気で、中団はのんびりと、後ろのほうは早々にだらだらと。そういえば、私の高校もマラソン大会はここ
だった。
そのころも3種類の人間がいたので変わらないな〜と思っていたら、4kmの京葉道路が間近に。高校生集団は手前
で折り返していく。
ここまできたら京葉道路までいくことにした。距離がわかったとたん、フトモモに痛みを感じた。ジョギング中に筋肉に痛み
なんて感じたことはないのに。ペースをさらに落としても止まらずにもどろうと頑張った。

やっとのことでスタート地点にもどって、整理体操をしようとしたら全身が痛い。軽いストレッチがやっとだ。いかに体を動
かしていなかったかということだ。体は痛いが気分はいい。

その日から階段を下りるのが一苦労。いつまで痛みが続くかと思っていたら3日目までだった。今日はタイムを測らな
かったが、次は測ろう。
天気と相談しながら、今年はキチンと走ろうと思う。

今からやれば、里見公園や二重水門の桜の見ごろにはそこまで行けると思うんだ。

ジョギングに今日の自分をほめてやる蝋梅の香りに杏の冬芽      ろうばい     


      宅配便  2012-01-28 

珍しく娘から宅急便が届いた。ちょうど、透明ウレタン塗料をネットで注文していて、宅急便を待っていたところだったの
で、サイズがずいぶん違うので間違って注文してしまったのか、と思ってしまった。大きな箱から出てきたのは、ピッカピカの
ステンレスの無水鍋。
送り状を見なおしたら娘からだった。

我が家の調理道具、特に鍋とフライパン類はほとんどがテフロンや琺瑯がすりきれていて、もはや鉄器とかわらない。
よく焦がす事を知っているので気をきかせて買ってくれたのかと思ってお礼メールを送った。夜になってメールの返事あり。
お誕生日おめでとう、だって。

自分の誕生日なんてすっかり忘れていたし、鍋が誕生日のプレゼントとは全く結びつかなかった。それでも無駄なものを
頂戴するより実際的でありがたい。鍋についているパンフレットを見たら、やたらに禁止事項が多い。めんどくさそうだ。
使いこなせるかな。せっかくだから試しに一品作ってみるか。

まだ残る雪塊の中ひっそりと水仙のみどりが息づいている       無水なべ


    谷間 2013-01-14 

早朝は雨だったが、いつの間にかすっかり白いもので覆われていた。家の前の道も足跡もなく白一色だ。
買い出しに行くつもりだったが今日はやめにした。

天気予報は大抵当たらないな。昨夜の予報は雨で、山沿いは雪に、という程度だったのに。初雪が大雪とは。
成人式も大変だろうに。電車は止まるし、高校サッカーの決勝は延期になるし。娘の旦那は宮崎の応援に決勝戦に
行くといっていたが残念だったね。

東京の東の端っこに位置する我が家のエリアは、普段でも天気予報やマスメディアの情報の谷間だ。「東京は・・」と
いうのは大体が都心の話だし、「東京は曇りです」といっていてもここは雨だったり。ラジオの話題も都心から西側の話
題ばかりだし、下町といっても日本橋や浅草までの東京だ。

ここはいったいなんというとことろか教えてほしい。

懐かしき友の名見つけ読み直す賀状の中にセピアの記憶       2003年大雪


     おせちアゲイン 2013-01-04 

一昨年はうまく出来なかったおせち料理に、年末3日間かけて再挑戦した。今度こそはと思いきや慣れが油断に。
簡単なはずの炒り鳥と伊達巻もどきは明らかな失敗作となってしまってがっかり。それでも、黒豆、栗きんとん、紅白
なます、田作り、煮豚はまずまずの出来。数の子の塩抜きも前回よりはましに。誰もほめてくれないので自画自賛
している。

3が日もすぎて、飽きてきたがまだあるのは、伊達巻もどきと炒り鳥、煮豚、紅白なますと大量に作った黒豆だけに
なった。

おせちは日頃の食事の手間をはぶく意味もあるはずだが、娘夫婦が来てくれ人数が増えただけでなく、配膳と後か
たずけもやらなくてはならないので少しも楽にはならない。
今日からはいつもの日常に戻ってしまい、これが続くのかと思うとちょっと気が重い。

スーパーやコンビニの店頭に惣菜が並ぶのも納得だ。

元日の食卓にぎわす朱の器失敗作も新年を寿ぐ        2003年おせち


           肩すかし 13-1-4  

大晦日の天気予報は、関東南部は晴れで初日の出は見られる、とのことだった。
いつものように起床して、土手に向かったら既に空は明るく大勢が待っていた。6時50分。旭日旗のようにオレンジ色の後光が下から射して美しいものの、肝 心のお日様は顔を出さない。晴れているのに東の空の下のほうだけ厚い雲が横たわっていて、土手の上でケイタイやカメラを持って待っていた大勢は肩すかしを くらった元旦だった。

よほどのことがなければ、毎年初日の出を拝みに来ている。以前は6時50分に日の出を見るには寒さと戦いかなりの早起きでキツかったが、この1年は、毎日5時30分から6時には起きて、家事をスタートしているのでこの時間に来るのは楽勝だった。
7時10分になっても太陽は雲に隠れているのであきらめて土手をあとにした。何とも締らない新年のスタートだった。

カメラ手に土手に居並ぶ初春に後光は射すも肩すかしの朝              2013日の出?


           NEWS  12-12-30             

年末年始といっても、昔と違い元日からお店は開いているし、毎日が平日のわが身には、相変わらずの一週間に過ぎないのだが、何とはなしに気忙しい。クリスマスを祝うこともなかったが、手抜きの大掃除とおせちの準備だけは少しづつやっている。あまりにめりはりがないので2012年のわが身の十大ニュースでも考えてみようと振り返ってみたのだが、重大ニュースは十もなかった。

ち なみに1.母の介護度が2に。2.ホームページとブログを全部無料で開設できた。3.義妹の脚本家、大山淳子が「猫弁」で小説家デビュー。4.姪っ子の結 婚。5.家の屋根・外壁のぺンキ工事完了。6.初期の緑内障発覚。 7.イタリア熱続く。8.家事力アップ。といったところだ。いらつく出来事も多いし区 から国までの行政に怒りがたまるが、普段の日常にかまけられたのは平穏だったということか。

何事も気忙しいだけの年の暮家事こなす日々花梨の実落つ     鉄塔2完成

              
             
雪猫 12-12-22                

最 近、本やの店頭には”猫”がたくさん隠れている。猫が象徴する勝手気ままさ、こだわりのなさ、いやし感ばかりでなく、変化(へんげ)やあやし感、ぬけめな さまでが人の気持ちにひっかかるのか。他のイキモノがこれほど多くのタイトルにはなっていまい。そうした中、義妹、大山淳子の書き下ろし第三弾「雪猫」 (講談社刊)が出たというので、早速購入。(残念ながら我が街の本屋さんまでは配本されず、都心の大手書店で購入。)

主人公の一生を縦糸に、縁あるモノ・ヒトとの思いがけない出来事どもを横糸に織りなされる物語は、ほんわかとさわやかな読後感をもたらしてくれる。大人の童話のよう。「猫弁」にも通底するやさしさが「雪猫」にも流れている。いい本だ。

思 えば、小学生か中学のころ鍵のしっぽの黒猫、クロがいた。その後、白い犬のシロ、手乗り文鳥のピーもいたなー。我が家の住人の名前には何のひねりもなかっ たんだ。トイプードルのマイ(本名マイケル)は16才で天寿をまっとうし、その後はイキモノを飼う気にはなれないままだ。

実を言えば、猫はキライなほうなのだ。庭を荒らしおいたするネコには今も困り果てているのだ。

雪猫に憑かれた3日ほっこりと 掃除の疲れに今日も暮れていく         シチリアのネコ

 

           怪人 12-12-17
       

送電線の鉄塔が近くにある。風の強い日には、風を切る音が不安を煽るが、普段は見慣れすぎ風景に溶け込んでしまっている。
それがある日突然に鉄塔が鉄塔でない何者かに変貌したので驚いた。使徒のような、二十世紀少年の巨大ロボットのように、不気味に庶民を睥睨している気がした。

鉄塔を航空法によって赤白のペンキで塗りかえる作業のため、住宅地の中なのでカバーをしたそうだ。とび職のような人が数人で大きな幕をはっている。高所の作業と聞くだけで背中がぞくっとがしてくる。

それにしても、身のまわりの見慣れたモノたちにも何者かが内在してるとしたらどんなことが起きうるか。SFか怪奇小説に登場するような。


たそがれる川面に流れるトランペットセーラー服の少女繰り返し繰り返す    鉄塔


             12-12-17

                

ごみの回収は、「燃やすごみ」、ペットボトルや瓶・缶・プラステック類の「資源ごみ」、その他の金属やガラスなどの「燃やさないごみ」という3分類で分別することになっている。曜日によって回収日も決められてもいる。
その資源ごみには専用の回収ボックスが用意されていて、当地区では当番制でその箱や集積場所の管理をしている。集積場所は我が家の角だ。
この地区も高齢世帯、単身世帯が増え、認知症の世帯もある。さらに分別に無関心な人間もいて、スムーズにごみの回収ができているわけではない。集積場所の掃除などは、当番の家より、気づいた人がやってくれていることが多い。
箱の移動に苦労している人、認知症で曜日がわからない人もいて、どうにかしませんか、と声をかけられた。考えた末、資源ごみの回収箱を常設することにした。家には廃材やブロックが少しあるので作ります、と安請け合いしてしまった。

廃材から使えそうな木材を選び、しまいっぱなしだった大工道具を引っ張り出し、まずイメージ図を描いた。サイズを図り、久しぶりの電動カッターで部材を準備しトンカチやドリルを使って苦戦しながら何とか形にした。
長さを間違えて切ったりしたもので、箱ひとつ作るのに半日もかかってしまったがDIYは久しぶりで、へたなりに楽しく、いい運動になった。これで、少しはゴミ回収場所がすっきりしてくれ、きちんと当番さんが管理してくれればいいな。

音のないもみじちらしの雨が降るめっきり根気が続かぬ大掃除       ゴミ箱


           孫の手  12-12-17
 

娘は私一人が母の面倒をみているのを見て、何かあるたびに顔を出してくれるようになった。娘の旦那にはほっといて悪いなと思いつつ助かっている。母も娘が顔を見せてくれるだけでうれしいらしく来るとお小遣いをあげようとする。
このところ少しだが病状は進行している気がする。何かしようとしても、自分でもどうしたらいいのかわからずぼーとしていたり、着るものがわからないとうろうろしていることがある。
私の知らない身づくろいや着るものについて、私も気が回らない事が多い。季節ものもそうだ。娘が来たときに、在りかを探したり、どんな時にどれを使うかを教えてもらっている。

母は以前、何かあったときのために入院用の小物や着るものを一か所にまとめラベルを貼っていたし、夏物、冬物などラベルを貼ったボックスに整理はしていたがそれがどこにあるかがわからなくなっている。
毎朝の着るもの、外出する時の持ち物や身支度には、かなりの時間の余裕を見ておく必要がある。そうしないと私もイラついてしまうし、キツイ言い方をしてしまうことが増えた。

私の忍耐力や人間性を、毎日試されている。

                孫の手をかり着るものを選ぶ母おしゃれ心が手をとめさせる        花梨の実


         
冬支度 12-12-4

い つにも増して12月は忙しいので、何事も早めに手を付ける。年末には大掃除が。第二は私の健康診断、クリスマスプレゼントの手配、賀状、おせちにも再挑戦 するつもりなので、少しづつでも進めている。大掃除は特に、我が家は2世帯住宅様なのですべてが2倍あり、かつ昔の造りで窓が多いので困り者。11月中旬 からいろいろ着手しているが、庭木のぼさぼさが気になって仕方がない。今以上に高くなると家にある脚立類では届かなくなるので、手が届く限界の高さに刈り 込んでいるがさらに伸びてしまっている。一度気になると落ち着かないので、先に庭の整理をした。

素人植木屋なので、私が剪定すると花が咲かなくなるが高さをおさえるためだ。以前ならフルに頑張って4日でできたのに、今は、主夫業もあるので毎日少しづつしかできない。結局、松は来年の5月ごろに先延ばししたのに4日もかかってしまった。
体力の衰えもいかんともしがたい。

寒空を仕事場にして枝をうつ腰のいたみに曇天を仰ぐ           庭の紅葉



     予習復習 12-1-15

イ タリア熱はまだ続いている。古い石畳みの街をのんびり歩きながら建物や美術をみてまわるのは至福の時間だ。円高の時に行きたいが、当分出かけられそうもな いので、ホームページを開設して、書き溜めていたメモや旅先での覚書をまとめている。誰かが見てくれるのを期待しないわけではないが、ため込んだままの情 報を整理したい自己満足でまとめている。工事中のままで完成はしていないところがあり、他にもまとめておきたい項目もある。

工 事中にしている一つ「旧市街地の作品リスト」にやっと着手したところだ。印象深かった街や作品のリストと次に行きたい街の準備資料からまとめようとしてい るのだが、あるはずのメモや資料が見つからなかったり、地球の歩き方の情報に頼ったりして、構想していた内容とずいぶん違うものになりそうで、再度見直し している。

旅の記録や現地で買った資料(読めないが)を見直すのも楽しい。これから行こうとして情報を集めるのも私にとっては旅の始まりなのでウキウキ感がある。この情報をいつ使えるのかわからないのがさみしいが。

聖母像ただある静けさ空気澄む時の翁に見据えられつつ        フィレンツェ夕景

     
      
味覚  12-11-4

栗 に続いて、いとこからベニアズマが届いた。実りの秋だ。今度も少し近所に助けてもらいおすそわけ。焼き芋だけでは能がないし食べきれないので、またクック パッドでレシピ探しをした。以前作ったこともあるスイートポテトのほか、炊き込みごはん、御御御付け、とイモヨーカンを作った。

母は一度に食べる量が極端に少ないので、おやつを用意するのだが、最近私の作るデザートの売れ行きはよくない。我ながらよくできたと思うのだが。

金木犀の香りただよう陽だまりに人なつっこい蝶ともに陽をあびる     ローマのトラム


     美食家 12-10-30   
           

先 週あたりから我が家の庭にも今年も小鳥が遊びにくるようになった。朝日がのぼるころ鳴き声をまき散らす。春までの間に、鵯、四十雀、目白、鶯と名前のわか らない鳥が数種来る。虫をとってくれたりするが、目立つのは花や実をついばんでいく。来てくれるのはうれしいが、花びらやつぼみを食べつくしていくのは困 り者だ。特に、椿や蝋梅、福寿草は食い尽くされ、ここ数年まともに花が開かないうちになくなってしまう。千両、万両、南天、万年青の実までとり尽くされ る。どの鳥が食べてしまうのかわからないが。梅や金柑、杏は花や実の数が多いので、枝わたりしながらついばむのを見るのはかわいいものだ。

来ないのもさみしいがここまで食べつくされると何か考えないとと思う。

四十雀枝わたりする山法師夕餉のしたく夕焼けみつつ           自家製いも羊羹       

 

      お初 12-10-22

千葉の叔父から大量の栗が届いた。以前ならさっさと母が下準備したものだが、今はただ眺めているだけだ。せっかくなので、栗関連料理をクックパッドで探し、私でもできそうな、鬼皮と渋皮の剥き方と栗ごはん、甘露煮、ゆで栗のレシピを見た。

大なべに湯をわかし鬼皮をむく準備からスタート。大粒であまりに大量にあるので意を決して栗の山に向かう。包丁は直ぐに切れなくなるし、いやいややっては手を切りそうだ。気を落ち着かせて200個だけ剥くことにして、あとはゆで栗だ。J−WAVEを聞きながら無心でむいていたらやっと山がなくなった。3時間がたっていた。伸びをして一服。これだけの栗をイガからはずして整理するだけでも大変だったでしょうに。叔父も80だ。ありがたい。

今晩は栗ごはん。甘露煮とゆで栗は明日だ。

初栗を自動人形ごとく剥く猫の時間が流れている                  きんもくせい           

  
    主夫 12-1-05 

わずかながら下がる可能性あり、との試算が東電から届いたので、さっそく22時から8時制の料金制に変更し、計量メーターを取り換えてもらった。

せっかく新料金制度にしたので、生活パターンを大きく変えない範囲で省電力生活を試行中。毎日の炊飯を8時前に、アイロンと洗濯は22時以降にしている。掃除機をかけるのは無理だったので従来通りのままだ。

母 は全く省エネや電力使用には無頓着。エアコンやガスストーブはいやだと電気ストーブを抱えながら窓やドアを開けて暖房するわ、カーテンをしめたくないわ、 と頑固のままだ。いちいち気を使っているのはこっちのイライラがつのるのであきらめてはいるが、さすがに、窓とドアは閉める。(いつの間にか開いている が)。その他、簡単に省電力できそうなのが照明のLED化だが、まだ数か所だ。電球が切れて交換する時にLEDにしようと思っているのだが、最近切れな い。あれほどしょっちゅう切れていた電球類は全く切れない。どういうことだろう。

早起きの身にはうれしい朝ぼらけグラデーションの空に居待ちの満月     デリアンジェリ教会  
     

            動揺 12-9-24 

先週末の秋分の日、姪っ子の結婚式に お招きいただいた。久しぶりの青山通り。タイムトラベルしたようで私には似つかわしくないと思いつつ、地図を見ながら裏道の会場へ向かう。緑の多い小道に はしゃれたお店が並ぶ。アスファルトの道にこじゃれた店、店の脇のごちゃごちゃが見えてしまうところは、これこそ現代日本的。会場はこれま た落ち着いた素敵なレストランだ。

いい式だった。若い二人にもてなされ た気持ち。それぞれの母親が、息子、娘の生い立ちを作文させられたとのこと。MCが代読してくれたのだが、よくある媒酌人の紹介と違い、母親の目線から紡 がれたプロフィールは温かい気持ちにさせてくれた。娘を送り出す弟は一見普段と変わらないと思ったが、動くとぎこちなく、言い間違いはするし、動揺が見え 隠れする。わかるよ、その気持ち。

我が母も娘に付き添ってもらい出席することができた。久しぶりの遠出だっ たがおめでたいことはいいね、と帰宅するまで頑張ってくれこちらもほっとした。

                姪っ 子の華燭の宴青山の愛しまれた美味の祝福         会場入り口イラスト

            再認識 12-9-17 

東電の値上げを機に、料金体系の見直 しに「おトクなナイトプラン」に切り替えるべきか試算してもらおうと一週間、7時・8時・22時・23時に電気メーターを検針して記録した。その結果を 待っているところだ。その記録用紙にお宅の休日はいつかと問う欄があったのだが、よくよく考えてみるとうちには平日と休日の区別がないことを再認識した。

息子の勤務先は土日祝日は、平日以上 に早く出て深夜に帰宅するし、母のケアサービスは土日は受けていないが、三度の食事とお茶、散歩に連れ出すのは毎日のことだし。今日が敬老の日で休日と 知ったのは朝刊だった。そういえば、政治屋の思いつきの祝日は月曜日ばかり、と床屋さんが怒っていたっけ。

休日かどうかより違いはお天気次第 だ。洗濯、布団干し、庭仕事をするかしないか、買い物は歩きか自転車か天気と相談する。晴耕雨読など夢のゆめだ。メリハリをつけるため、きちんと掃除する のは土曜日の午前中と決めている。(働いている時はジョギングだった)1,2階の掃除で2時間はかかるが、これをしないと一週間が終わった気がしない。毎 日を淡々と暮らす境地にはほど遠い。

                     夕方の母を連れ出す土手の上すじ引く雲にとんぼ群れ飛ぶ 

         

               ワンコイン 12-8-31 

2,3日おきに駅の近くまで買い出し に行く。以前は家の近所にも魚屋さんや肉屋さん八百屋さんをはじめ商店街というほどではないがお店がたくさんあった。一時、シャッター通りのようになって しまったがいつの間にかそれらの店の後にマンションが建ち並ぶようになった。それで駅近くまで自転車で買い物に行くようになった。

母の朝食や洗濯、家の周囲や庭掃きな どを済ませ、デイケアに送り出してから買い物に行くのが午前中の作業手順のようになっている。買い物メモを片手に、駅のショッピングセンターやスーパー、 ドラッグストアを巡ってから駅近のマックに寄って一服するのがコースとなっている。ホットコーヒーだけを買い、ショッピングバッグを脇に置いて狭いテーブ ルで一息つくか持ち歩いている文庫本を読む。HPの構想を練っていたこともある。昔から喫茶店で仕事したりするのが集中できる性分だったせいか、店内の音 楽や周りの会話や音は聞こえないし全く気にならない。ほんの30分足らずの時間だが、本に集中できたり、考え事に没頭できた時は、雑事や家事からすっかり 解放された気分で頭を切り替えられる。ショッピングバッグも心持ち軽くなった気がする。

                   マック出て空を仰げば入道雲ショッピングバッグの指先軽く        ペルージャのバール

 

          無規律の混沌 12-8-23 

旅にも街歩きにも行けない今年、猛暑 が続くせいか、もろもろの仕事が一段落した昼下がりに食堂の椅子にすわったままぼぅーとしてしまうことが多々ある。知らぬ間に何かと昔の旅や山歩きの断片 が出てくる。

国東半島の石仏をめぐった土埃の道、 井草の波がゆれる総社の国分寺のあぜ道、日之影から豊後高森に抜ける峠道、夕闇がせまった知床五胡、旭岳から黒岳石室にぬける大雪山のお花畑、悪天候の中 渡った利尻で無理して登った利尻山、霧の中の雌阿寒岳、十勝岳から下った白金温泉の白い湯船、大沼を見おろす駒ヶ岳からの眺め、パッションフルーツを買い に万屋へゆく八丈島の坂道、家族しかいない白い隠岐の島後の砂浜、安曇野の石仏を巡った田んぼ道。

最近どうしたのか自分もぼけてしまっ たのか、とハッとすることが度々だ。浮かんでくるのは学生時代や妻が元気な頃の場面のきれぎれが多い。昼間なのにどうしちゃったんだろう。齢のせい?まだ 昔はよかったなどと言っている場合じゃないんだけど。さあ明日のメニューはどうするか。

 
                   焼ける屋根きれぎれの夢まどう午後開け放しの窓から蝉しぐれ      不矩美術館への地蔵

 

            挨拶 12-8-21 

母は最近腰が痛い、とすぐに目を離す とベッドにいってしまう。半日のデイケアや入浴介助を受ける時は、他人様のせいか言われたとおりにするのだが、私の言葉には素直にはいうことを聞いてはく れない。ケアマネージャーからもなるべく起きていたり行動したりするメニューを考えましょうと言ってはくれるが、本人は面倒くさがってしまう。

寝たきりになってはと、食が細いこと もあり10時、3時には水分と甘いものか果物を出して お茶の時間と称し起こすのが日課になってしまった。多少涼しくなった5時過ぎ頃には、家の周囲の散歩に連れ 出すようにもしている。歩けそうな時には江戸川の土手に手をひいてあがり、近くの農家の無人販売によって、小松菜やミニトマト、小玉スイカ、マクワウリな どを100円で買ってくる。歩けるといっても15分か20分くらいか。

顔見知りとすれ違っても声をかけてく れるのは、相手のほう。会話はまったく問題ないので、私が付いているのが不審そうにされることもある。9月下旬に姪っ子の結婚式があるので行かせるにも、 歩かせなくちゃ。

                   今日もやっと生きていますと母のいう決まり文句となったこの頃の挨拶   善養寺境内

 

          お盆 12-8-16 

先週、母を連れ母の実家の墓参りに 行ってきた。介護サービスをいろいろ受けているので出かけられる日は水曜日に限られているので。お墓のある墓地は畑と森に囲まれた、水場もない斜面にある 一族だけの場所だ。墓所の向かいは谷だが、ブルドーザーが谷を埋めていて眺めが変わっていた。タクシーを待たせてお線香だけ手向けてから実家にいった。実 家は千葉ニュータウンの中央駅が今や最寄駅となり、ニュータウン開発の際が近くまでせまっている丘陵の田園地域にある。数十年前までは里山という言葉が ぴったりののどかさと活気のある農村地帯だった。開発が進み、丘を平らに崩し、谷は埋めてマンション群とビジネス街区、戸建て宅地エリアに切り分けて平坦 な荒野にしたため風をさける丘もなく無国籍のゾーンがひろがるだけだ。しかも商業施設は誘致できず、人が住んでいるのかわからないマンションとさら地がめ だつ。

実家のある集落は藤原氏の落人のかく れ里と聞いたことがある。五十数戸の集落のほとんどが同じ苗字で屋号で呼び合っている。高齢化して耕作していない畑や手入れがされていない山林が増えてい て、日本の農業問題を一目でわかるような状況だ。実家も叔父がひとりでできる範囲の自宅用の食材のための畑とその数倍も広いきれいに手入れされた庭があ る。この日は猛暑日の谷間で涼しい風が裏の竹林から吹き抜け、お茶をごちそうになっているとセミの声しかせず母は耳がおかしくなりそうな静かさだと繰り返 していた。

                  里山の記憶を埋めるブルドーザー白き光に静かねを繰り返す母      フェッラーラ駅から

 

          へそまがり 12-8-14 

ベストセラーは読まない。人出の多い イベントは行かない。頻繁にメディアに取り上げられるところは旅しない。食べるのに並ぶのも嫌い。

屋久島の宮之浦岳に登ったり与論島、 奄美諸島に行ったのもその年、大阪万博が開催され人気で各地がすいている、という情報とその数年前に発見された縄文杉に会いたいと思ったからだ。寝台特急 で23時間くらいかかった記憶があるが、大阪を素通りし西鹿児島駅までいった。屋久島の安房港の近くでテントを張る場所を探していたら、家に来なさいと屋 久島の山で働く日高さん一家に3日お世話になり、当時走っていた鉄枠 だけのトロッコに乗せてもらい小杉谷まで送ってもらった。おかげで半日分の登り時間を短縮できた。縄文杉だけでなく、宮之浦岳、永田岳の登山道の自然は忘 れがたい。宮之浦岳下の無人の石室で1泊。鹿や猿も近くにいて不思議な夜だった。喜界島の田中さん一家とも、日高さん同様に数十年手紙のやりとりが続いて いる。船で少し話しただけで見ず知らずのこ汚い貧乏学生を家にあげ、食事と寝床を用意してくれ島も案内してくれ、海に落ちる夕日と満天の星空とともに島人 の優しさは忘れられない。TVでたまに屋久島や奄美の情報が流れるが当時の環境や自然は見る影もない。悲惨な島を見たくないと3回目は行くのを躊躇していたら、昨 年、田中さんのお父さんが亡くなられてしまった。

他にいつか行こうとは思うのに行けな いところが、広島と沖縄だ。近くまでは行ったことはあるがどうしても気軽に観光する気になれないのだ。九州を1周した時長崎には寄ったがその時も途 中で気が重くなりそそくさと天草に移動してしまった。今もまだ原発や基地が続くなか平和ぼけしていられない。

          芝を刈る炎天のもと黒帽子みんみんぜみの声ふりそそぐ          アグリジェント

 

              ブーム 12-8-10 

自他ともに認める旅好き。家族とでも 一人でも歩く旅を強いている。いつの頃からか自分でも意識しないうちにそれぞれの旅にテーマを設定している。何をするか、何を見るか、どこに行くかなどな ど。一時期、今でいう小京都的な趣のある土地ばかり訪れたり、焼き物の窯元のある町を選んで歩いたりとか、仏像を見にいったり、島ばかり行っていた時期も ある。利尻、礼文、奥尻、佐渡、八丈、隠岐、世論、沖永良部、奄美、喜界、屋久島、種子島・・・。三、四十年くらい前なので観光開発もされていない鄙びた 街ばかりで、カニ族の本領が発揮できた旅ばかりだった。ただし、いいところだったと2度、3度目に行くと観光地になってがっかり することが多い。行こうとして行けなかったのは、長崎の五島と小笠原だ。両方とも夏、台風で船が出ずだめだった。小笠原は世界遺産に登録されてしまったの でもう行くことはないだろう。

日本の観光産業と海外の観光地との違 いは地元の自然や特色を大事にするかどうかだろう。環境を整備して便利になれば喜ぶとどうして思うのかわからない。そんなこんなで、国内旅行もいいが行き たいと思うところが浮かばなくなってしまった。

今も熱がさめないイタリアの街歩きや 中世美術を見る旅はこんなへそまがりの旅人に、はまらないわけがない。最初はダビンチやミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリなど受け入れられやす い絵画に魅かれていたが、名前もよく知らない作家の中世やルネサンス美術に不思議な魅力を感じると同時に、その街と同化した歴史と雰囲気の違和感にもまた 魅力を感じてしまう。宗教美術や生活を少しでも知らないと違和感はぬぐえない。知らないので調べたくなり、背景が少しでもわかるとどんどん魅力に引き込ま れる。

絵を描く友人にいわせると、イタリア のルーズさについてゆけないというが。そこが日本とは異質な時間が流れる土地ならではの魅力にもなっているのだが。まだ熱はさめず事前情報を準備できれば 行きたいのだが、今はすぐに行ける状況にないので、情報をため込んでいる。

                    夏蝶が熱風をさけ百合巡る石畳の路地にまどろむ猫を思う        イタリアツアー

 
          一期一会 
12-7-27 

読みたいと思う本が街のほとんどの本 屋さんの店頭には置いていない。あっても高くて手が出ない。それで、大手書店で見てインターネットの中古書店で探すことも。新刊書店だけでなく、古本市や 神田を歩くのは楽しい。宝探しの気分で散歩している。ただ、最近の神田古本市はすずらん通りなどは古本屋さんより飲食店や雑貨屋の出店が多く面白くない。 それで靖国通りぞいの出店や古書店をのぞいてみることが多いがこれという本に出会うのはうれしい。探している本を見つけられることはほとんどないが、こん な本があるのか、と気になる本を見つけられるのも古本市ならではだ。そんな時は直ぐには買わない。古本市をひととおり見て回ってから戻りながらまだあれば 縁があったと思い購入する。

数年前、ベレンソンの「イタリア絵 画」を見つけた時は驚いた。残念ながら3万円もしていて手がでなかったが、よく探せばほんとうにあるのだと認識を新たにした。戻りながらあったらどうしよ うと考えながら行くと、「イタリア絵画」は消えていた。その後インターネットの古書店で6000円でみつけ購入した。

別に本のコレクターではないので多少 傷みがあっても書き込みがあっても気にならない。それでも失敗はよくある。インターネットでは、本のサイズや版がよくわからない事が多く、書名と著者、訳 者、出版社だけでは探しているものかどうかはわからない。ヴェルフリンの「美術史の基礎概念」が安い価格で出ていたので掘り出し物だと購入したら、版が古 く、しかも旧仮名遣いで読めない字が多く大苦戦。読み通しても内容はよく理解できなかった。安物買いの銭失いとはこのことか、と思った。

                    扇風器すらけだるげに首をふる夕立を乞う雲を仰いで           庭の花

 

           難クセ 12-7-24 

今年は電子書籍元年、電子化される本 も増えリーダーも各社が参入して活況とのこと。それでもどうも手を出す気にはなれない。リーダーが違うと読めないらしい(共通の言語化もあるそうだが)コ ンテンツの統一規格ができてどのリーダーでも読めるようになれば入手する気になるのか?  ある大手出版人のコメントで「出版社側の事情、戦略があり、 ターゲットに即した分野しか電子化しない」という。つまりライトノベルやコミックス、絵本、図鑑のようなものか。電子書籍は読むだけでない、webとの連動や画像・動画との連携、ゲー ム感覚の広がりがあるという。これまた、ゲームにも全く関心もないので豚に真珠だ。

活字を追って何度も読み替えし頭に入 れ、線をひいたり、辞書を引いたり、疑問点に?をつけたり、余白に関連したことを書き込んだり、難クセをつけたりしている私にはやはり紙がいいな。ベスト セラー本は読まないし、電子化されにくい偏りのある分野の本が好きなので結局は電子書籍とは縁がないのだろう。

読書家には読んだらすぐに処分するこ とを前提に、よごさないようにしている人もいるが、私のように手放せず、並べておきたい人間もいる。特に高価な本のコレクターではなくただ、本を手放せな い、というだけだが確かに場所をとる一方で困るが。それに背表紙のタイトルを他人に見られると心身を見透かされてしまう気がするこそばゆさもあるのだが。

                   風もないしじまの闇に浮かぶ美女中世絵画の粗いモノクロ        みかん       

 

           収集癖 12-7-23 

我が街の本屋さん、古本屋さんはめっ きり減ってしまい、今頑張っている本屋さんでも置いてある本といえば、漫画、雑誌、児童書、ハウツーもの、有名作家の単行本、文庫、新書少々。何軒かの チェーン店では、新刊本の回転が速い。文庫があっても、ハヤカワや創元社はほとんど置いていない。美術関連本はほとんどない。そんなこんなで読みたい本が 見つからず、たまに神田や都心の大手書店に行くことになる。一方、大手書店は、大きすぎて探したい本があるときは探せず、端末で探すか店員さんに聞くこと になる。人気作家の本はいろんなところに大量陳列してあるが、私の読みたいジャンルの本はこじんまりしている。

アマゾンなどで探すのと本屋さんの店 頭で探すのとは全く違う行為だ。本屋さんの楽しみは、探している本の周りの知らない著者や本に、こんな本もあったのかと気づかされた時。最近は関連展示の ような本屋さんもあると聞くが。回転が速いのは大手書店も同じ。次に来た時に、と思ってもすぐに店頭在庫はなくなっている。そのため、お小遣いがなくても 重くても、読みたい本に出会ったら無理しても買うことにしている。この買い方は、古本屋さんでも同じ。この方法の良い点は、読みたい本を手元に置いておく ことができる点。悪い点は、手元に積んであると読んだ気になってしまう事と、どんどんたまる事。今やその手の本が30冊以上、読まれるのを待っている。本 は捨てたり処分できないたちで、コレクターでも無いのだが、たまる一方だ。

                   古本のひかれた線に惑わされさまよう深更言霊の森に          鬼百合

 

               「猫弁」賛歌 12-7-16 

主婦で母で仕事をもち、脚本家を目指 してシナリオ教室に通う中、映画の脚本家の最高の登竜門、城戸賞に現代の社会風俗を時代劇の中に移し変えややコミカルに表現した「三日月夜話」で受賞。順 調に脚本家の道を歩みだすかと思いきや、昨今の経済環境の中で新人の出番は少なく、苦戦。ここで挫折するかと思いきや、脚本の元となる原作が売れていれば それで脚本を書けるのではと小説という新たな目標に挑戦。TBS/講談社のTVドラマ原作大賞にむけ、天才的な頭脳ながら不器用な生き方しかできない心優 しき正義感をもつ弁護士を主人公にした<a href="http://bunbunbin.cocolog-nifty.com/">「猫弁」</a>をぶつけ、見事大賞を受賞しドラマ化 される。しかもその脚本まで。
こんな出来過ぎたお話のような事を実現させてしまったのは、義妹、つまり弟の嫁さんだ。

少しおっとりとしたお嬢様タイプのよ うに見え、多少センシティブでギスギスした実社会と対抗するのが苦手のような穏やかな人だ。弟が結婚する、と聞いてイラストレーターという不安定な仕事人 間で押しの弱い弟がやっと家庭というものを持てるというので嬉しかったし、お相手がとってもかわいい人だったのでよくぞと感謝した記憶がある。その嫁さん が、「三日月夜話」にしても今度の「猫弁」にしても、現代のいびつな日本社会をよく見て、芯のあるそれでいてユーモア感覚ををうまくコーティングして表現 する才能に全く驚かされる。おっとりした見かけは仮面かも。「猫弁2」がこの7月に出版され、大手書店で即購入。読 みだすと一気に引き込まれ、中断できず読み切ってしまった。まだまだ先にいろいろ展開しそうで「猫弁3」を早く読みたくなった。「猫弁3」って出るんで しょうね。本屋さんも大変な時代だけど早く出してほしいな。

                  国政に憤る日々猫弁にどう生きるのか悩めさせられ           ロンドンのリス

 

                 決意  12-7-1 

ベッドの中でのどが痛くて目覚めた。 久しぶりの感覚だ。これはヤバイ。風邪をこじらせるパターンの初期症状だ。今、熱を出してはいられない。家のことが回らなくなるし、明日は母を担当してく れるケアマネージャーと打ち合わせだ。きのう小雨のなか薄着で歩いたのが原因かも。寝込まないようにする方法はただ一つ、イソジンガーグルを濃いめにして ウガイする。一日に何度も。これに期待するしかない。 昔はかぜをひくとのどをやられ、そのうち高熱を出すというのが持病のようになっていた。3,4年に 一度、3日くらい休まなくてはいられないほどひどかった。 それがなくなったのは、30代半ばから始めたジョギングのおかげ だと思う。最初は、体力の衰えを感じて始めたのだが距離がどんどん伸びる楽しみに加え、肩こりがなくなったおまけ付き。ところが、昨年、ひざ痛と腰痛のた め中断せざるをえなくなり、はや1年。なまけた体になってしまった警告 かもしれない。何とか生活のなかに再びジョギングできるようにしよう。

                   流されてゆく日常に棹さされ再び起きるのどの痛みに          高尾の地蔵

 

             四苦八苦 12-6-27 

一昨年の暮れ、ケガをして寝込んだの をキッカケに老母がアルツハイマー型の認知症になった。大学病院で検査してもらおうとしたのは、食事を2回続けて食べようとしているのに気が 付いた時。いよいよ、来たかとぞっとした記憶がある。すぐに検査を申し込んだが、予約が混み、4か月待たされた。診断・検査の結果、 初期の認知症とのこと。会話や運動、刺激を与え続けること、と薬を処方され、介護保険をすぐ申請せよとアドバイスされた。薬は、現在、2系統4種類が認可されているが、いずれも進 行を遅くする効果があるだけで治すことはできない。まだ、自分の身の回りのことは自分でできるので介護といっても四六時中目を離せない、という状況ではな い。それでも、昨年までは、来客があれば、お茶をたてて供していたが、最近はお茶菓子も普通のお茶も出すことを忘れるなど、全ての面で自発的な行動をしな くなってしまった。昨年、ボヤ一歩手前の鍋焼却事件があったことも尾を引いているのかも。

私もきつい言い方は逆効果ということ はわかっているのだが、同じことを何度も繰り返さなくてはいけないし、何をするにも準備しなくてはいけない。最近は、デイケアの送迎に間に合わせるために 起こして、朝食の準備をし食後の薬を飲むのを確認しなくてはならず、イライラを抑えるのが難しくなってきた。友人の多い母には、おかげで周囲や親戚、友人 が度々顔を見せてくれるので非常に助かっている。それで、私にもいろいろアドバイスしてくれるのだが、認知症について生半可な知識の方が多く、もっと外に 連れ出せ、とか連れて行っていいか、とか、認知症も治る薬に切り替えればとか、心配はありがたいが私のほうがイライラしてしまうことも。なかなかこの病気 と向き合っていくのも長丁場だけに難しそうだ。

                    自分の時やっと深夜に本開くふっと気が抜け進まぬページ        庭の鳥

 

                梅雨時の豊穣 12-6-24 

庭の老木の梅は今年、実が少ないと思 い梅とりはやらないつもりだった。この雨で毎日10数粒が落ちていたが意外に粒が大きく良い実なので急遽、収穫した。例年より少なかったが17kgとれ た。昨年までの戴きものがまだたくさんあるので、梅酒はやめて、梅干し用に15kg、残りをシロップ用に漬けた。収穫が遅くなった分、青梅より黄色く色づ いてしまったが。梅干しは出来がいつも安定しない。実の熟成度、塩の量、干し時の天候などお袋が作っていた時のような出来にはなったことがない。毎年、試 行錯誤している。今年もまだ、白梅酢を返したり、重石を変えたり、赤紫蘇を加えたり、干したり、いくつか作業手順があるのでどんな出来になるか。これから 次第だ。

                    梅雨時の恵みの黄緑穏やかな日々に福島を思う            梅の実

 

          波にのれず  12-6-17 

地デジ化のおかげでTVを見なくなっ た。それまでDKにも置いていたアナログTVを見ながら家事をしていたのだが、これ以上分波してTVをふやせないのでDKにはTVが無くなった。この事が ちゃんと見なくちゃと思う番組がほとんどないことに改めて気づいてしまった。サッカー中継以外まともな番組がない。元広告屋としてはメディアとしての価値 が大幅に低下していると思えてならない。ネットにはコーポレートブランドを意識した優れた映像が見られるのに。 TVの変わりがラジオになった。毎日、ほ とんどJ-WAVEを聞き流している。いい音楽を流す局 というイメージだったが、改めて聞くとJ-WAVEもバラエティ的なものやほとんどが店 や飲食店のレポートだったり、環境や省エネのきまりきったコメンテーターの番組だったりする。もっとJAZZなどいい音楽番組を増やして欲しい な。こんなにマスメディア全てにしっくり受けとれない気分は私だけなのだろうか。

                  ながら聞くFMの音も消えていく包丁にぎる魚の前に           百合

 

           遅ればせながら 12-6-10 

変化についていくのが面倒になるくら い進化するデジタル機器。ついて行っている人がうらやましくもあるが、どんどんキカイを購入しなくてはならなくなってばかりでいいのか、という気がする。 どうしても見たいコンテンツも少なく、空気のようなツィートでコミュニケーションが成立しているとも思えなくて。それでも情報だけの話なら放っておけばい いのだが、リアルの生活場面にモバイルが実態化してくると、そうは言ってもいられない時代になってしまった。ケイタイも使いこなせていないのだが、日頃の 生活にメリハリもつくなかなと思い、今さらながらHPの作成にトライ中。 解説本とフリーソフトの力を借りて、コスト0での開設をめざし、苦闘している。 なかなか一筋縄ではいかない。子供たちに教授をお願いしたが、忙しいと相手にされず、独力で壁に立ち向かっている。開設しても来てくれる人がいると思えな いが、何かを発信するのはいいかも、と思ってきた。その過程でgooブログにも参加することになった。プ ロが一方的に発信してきた勝手な情報を受けとるより、市井のつぶやきも意味あるものと実感することができた。

                    黒箱に挑みかかるも高い壁フリーソフトの知恵借り進む        山法師

 

 
          区切り線 
12-6-3   

専業主夫生活も5年目。当初は晴耕雨 読を半ば夢見ていたが、とんでもない。日々の家事は繰り返しの上、終わりがない。やればやるだけ、動けば動くだけ、家事の地平は広がっていく。昨年暮れに 読み始めた、アンリ・フォションの「西洋の芸術」、円城塔「これはペンです」、RCウイルスン「連環宇宙」も読みかけのしおりが挟んだままだ。休養日を 作って出かけもしたいし、時間を作るべく作業スケジュールをたてても、電話、セールス、来客、母の体調不良など突発事項で何事も中断。かくして、毎日の時 間を区切るボーダーラインが消えていく。

 陽がさせばさしたでふえる初夏の家事読みかけの本横にながめる


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